第3話 ダンジョンマスター 

──サポによって隔離された通路に腰を下ろしながら、伊織は日課となったダンジョンの管理を行っていた。


「まず日本から。サポ、出して」

「かしこまりました」


 伊織の指示に従い、小さな妖精の少女が動き出す。空間にSFチックな半透明なウィンドウを展開し、ダンジョン内の全てを情報として羅列していく。

 伊織にサポと呼ばれているこの妖精は、異世界の魔王によって造られた伊織を支援するシステムである。

 分かりやすく言ってしまえば、管理AIであり、新米ダンジョンマスターである伊織のナビゲーターであり、作業を行うための端末だ。

 伊織にのみ認識できる彼女は、ダンジョンの意思のような存在であり、事実としてダンジョンの全てを司っている。

 故に大抵のことはできる。ルールそのものに等しい彼女の手にかかれば、ダンジョンにまつわる情報を表示することも、改変することも容易い。

 ダンジョンマスターである伊織に付き従う存在ではあるが、彼女もまたダンジョンにおける神なのだから。


「なにか気になる点があればお伝えください。関連情報を含めて提示させていただきます」

「ありがとう。でもその辺りはまだ分からないから。それよりもまた、重要そうなところのピックアップをお願い」

「かしこまりました。それでは少々お待ちください」


 伊織の言葉に頷き、サポが空間ウィンドウの編集を始める。

 ダンジョンマスターとなってまだ日の浅い伊織には、必要な情報の把握すらおぼつかない。それを素直に認めているため、まず基本の部分をサポに教わりながら進めていた。

 伊織に宿っているのは、確かに凄まじい力である。その気になれば世界征服すらも実現できる大権だ。だが同時に世界の命運を、大勢の人々の命を背負っている。

 故に増長などできない。物語の主人公のような『特別』な立場にいようとも、伊織は本当に普通の高校生でしかないからだ。

 主人公のような快活さも、心の強さもない。復讐すべき相手もいないし、力を求めたこともない。特別な才能もなく、具体的な夢も目標もないために血を吐くような努力をしたこともない。

 学力に合った大学に進学し、定時退社できる会社に就職し、稼ぎは少なくとも趣味と両立できる生活を送りたい。そんな漠然としながらも、平凡な高望みを夢と語る今どきの少年だった。

 だから伊織は今の状況を嘆いている。強大な力、特別な立場は押しつけられたと思っているし、世界を背負っているストレスとプレッシャーで毎日吐きそうになっている。

 それでもやるしかないから、投げ出すわけにはいかないから、今もこうして弱々しい表情を浮かべながらも足掻いているのだ。


「整理完了。現在、ダンジョンに蓄積されている次元エネルギーのグラフがこちらになります。モンスター生成、道具生成などの維持費用を引いた数値では……現状で六割弱。まだまだ許容範囲でしょう」

「……六割。前見た時は五割だったよね?」

「はい。しかしこの数値の上昇は、マスターの存在による部分が大きいです。これまでは魔王様たちが管理していたため、ダンジョンの機能以外での消費が実現していました。しかし魔王様たちが去った今、そのブーストがなくなり供給と消費のバランスが崩れました」

「駄目だよねそれ!?」


 サポの報告に伊織が悲鳴を上げる。次元エネルギーの増加はダンジョンの危機、すなわち世界の危機だ。許容範囲を超えたところで、すぐにどうこうなるわけではないとサポから聞いているとはいえ、それでも見過ごすことはできない。


「安心してくださいマスター。慌てる必要もありません。この程度なら、新たにダンジョンを生成すればエネルギーの増加は抑えられます」

「新たに生成……? できるの?」

「はい。正確には増築と言うべきなのですが、基本的に各ダンジョンは独立しているので、生成と表現させていただきました」


 サポ曰く、世界同士を支えている『ダンジョン』というシステムを追加することはできないが、異空間とモンスター、アイテムなどが湧くを追加することはできるとのこと。


「新たに生成することによる消費量と、その後の維持を考えれば問題ない数値です。さらに人が入るようになれば、十分に相殺できるかと」

「人、入るのかな……? 僕が言っても説得力はないけど、ダンジョンなんて危険な場所、普通の人なら嫌煙すると思うけど」

「入ります。どこにも一定数物好きはいますし、今でも冒険者が誕生しているのがその証拠です。──それを抜きにしても、人が入るように仕組んであります。ダンジョンを一部の国のみに発生させ、さらに日本政府を誘導し冒険者を生み出したのはそのためです」

「ど、どういうこと?」

「これも魔王様たちが構築した下地ということですよ、マスター」


 ダンジョンを一部の国に発生させることで、一時的に利益を独占させる。

 常識では考えられない現象、アイテムの数々は巨万の富をもたらすだろう。そのアドバンテージは絶大であり──だからこそ、ダンジョンを持たない国との軋轢が生まれる。


「現在、世界は二つの勢力に割れています。ダンジョンによる利益を独占したい国々と、ダンジョンの利益を教授したい国々です」

「そう、だね……。ニュースでも流れてるぐらいには」


 独占派の国々は、『ダンジョンは自国で発生した異常である同時に、新たな資源となり得るものである。故に自国で運用を決めるのは当然』だと主張し、他国が介入するのは内政干渉であると非難声明を出し。

 片や反対派の国々は、『ダンジョンの発生は、世界が一丸となって対処に当たらなければならない災害である。そのためにも、ダンジョンで得られる全てを共有するのが人類の義務』と主張することで、必死に介入しようと動いている。


「この分断を加速させているのが、日本の冒険者制度です。大半のダンジョン保有国が、ダンジョンを国有地と定め侵入を禁止している中、唯一日本だけが民間に解放されています。そのため多くのダンジョン産アイテムが市場に流れている。秘密裏に他国に渡った物も多いでしょう。そして持たざる者たちは、より強くその利益を求めることになる」


 ダンジョンがない国は、なんとしてでもその利益を享受しようとする。ダンジョンがある国は、なんとしても自国の利益が減ることを阻止しようとする。

 ダンジョン未保有の国には大国もいくつか含まれており、緊張感は日々高まっていると言っていい。

 ……だが緊張感で済んでいる先進国同士はまだマシで、発展途上国ではダンジョンを巡った紛争、内戦、クーデターなどで泥沼の地獄が形成されている地域もある。


「さて問題です。そんな中、反対派の国々に新たなダンジョンが発生すればどうなるでしょう? なんとしてでも奪い取ろうとしてた禁断の果実が、自国でも栽培可能だと判明した国はどうすると思いますか?」


──そんなこと考えるまでもない。即座に鞍替えし、必死になってダンジョンに人を送るだろう。そしてまたも世界は混乱することになる。


「これはそういう仕組みなのです。一時的に各国に差をつけることで、より競走を加速させる。さらに日本という先例があるため、形はどうあれ民間も介入できる方向に向かうでしょう」


 そうなればダンジョンは活性化する。多くのモンスター、アイテムが生成され、次元エネルギーは消費されていく。


「それ、は……」


 実に合理的だ。計算され尽くされている。全てはサポの、いや異世界の魔王たちの手の平の上だった。

 恐ろしい。背筋が震える。いともたやすく世界を手玉に取る手腕が、それを可能とする力が。──否。


「……サポ。それで戦争が、起きてるんだよ……? 大勢の人が死んだんだよ……?」


 なにより恐ろしいのは、平然と世界を混乱の渦に叩き込んだことだ。災禍を引き起こす選択を躊躇なくしたことだ。

──そして似たようなことを、以降は自分がやらなくてはならないという現実だ。


「私のマスター。心優しい透明な人。あなたはきっとこう思っていることでしょう。なんて酷いことをしたんだ。それと同時に、自分には無理だと思っているのでしょう」


 そんな伊織の恐れを、サポは正確に読み取った。そして励ますように、ゆっくりと伊織に近づき、コツンと額を合わせて囁いた。


「酷いことをした。それは否定いたしません。ですが必要なことなのです。世界を守るためなら、どんな非道も肯定されるのです。されなければならないのです」

「それは違うよ! そんなわけがない……!!」

「違くありません。社会というのは、常に誰かの犠牲で成り立っている。そしてこの世界は──マスターという犠牲がなければもはや存続できない」

「っ……!」


 あなたは犠牲なのだと、生贄なのだとサポは語る。平凡な人としての生を捨て、世界の存続のために永劫の時を生きることになった人柱。

 それがダンジョンマスターなのだ。それが伊織なのだ。


「そんなのっ! そっちが勝手に押しつけたんじゃないか!!」

「違います。私は、私たちはマスターに押しつけたのではありません。マスターしかいなかったのです」

「同じことでしょう!?」

「怒りの矛先が違うと言っているのです。魔王様たちはこの世界を救った側であり、責められる謂れはまったくありません。異なる世界を救い、さらに事後処理にまで奮闘してくださった。これ以上なにを求めるというのですか?」

「っ、それは……」

「もちろん、マスターからすれば納得などできないでしょう。ですが考えてみてください。世界の行く末を決めるのは、その世界に生きる人々であるはずです。いや、そうでなければならないのです」


 異世界の住人である魔王たちが、この世界の未来を決めることは許されない。救った手前ある程度までなら手を貸せど、最後の決定はその世界の人々によってなされるのが筋というもの。

 だからこそサポが生み出された。最後の決定、それをするはずだったを補佐するために。


「責められるべきは、マスターただ一人に全ての後始末を押しつけたこの世界の人々です。マスターのような子供が乗り越えた試練をクリアできなかった、不甲斐ない全ての大人たちです……!!」


 サポが叫ぶ。主の負担を少しでも軽くするために。救世主となってしまった少年の心を支えるために。


「切り捨てられ、押しつけられたあなたは、本来なにをしても許されるべきなのです! 私利私欲に溺れ、世界に唾を吐いたとしても誰も文句を言えないのです! だってあなたしか、世界を背負うことができなかったのだから! 土俵にすら立てなかった者たちには、何も言う資格はないのです!」


 伊織という犠牲の上で生きている者たちは、伊織の全ての行動を肯定する義務がある。救世主という重責を背負わている以上、その全ては世界を守ることに繋がっているのだから。


「でもあなたは優しいから、心が濁ることのない透明な人だから、きっとそれはできないのでしょう。我欲に走ることもできず、非道に心を痛め続けるのでしょう。……それでもこの二つだけは忘れないでください」

「ふた、つ……?」

「ええ。一つ目は、あなたは切り捨てられた側であるということ。できないことを無理にやれとは言いませんが、それでも切り捨てた側を想って、あなたが必要以上に傷つく必要はないのです」


 これから何度も、伊織は地獄のような難問に突き当たることだろう。犠牲が出る選択をすることになるだろう。

 だが決して苦しむ必要などないのだ。善良さは美徳であったとしても、それに囚われる必要などないのだ。──何故なら伊織は、世界を守るという何物にも代えがたい善行を積んでいる。


「もう一つ、は……?」

「自分にはできないなんて、そんなこと思わないでください。絶対に卑下をしないでほしいのです」

「ひ、卑下……?」

「そうです。あなたならできます。できるのですよ、私のマスター。どんなに苦しいことがあっても、どんなに辛い選択をしても、あなたは絶対に進み続ける人なんです」

「そ、そんなことない……!! そんなこと、ないよ……」

「いいえ。自覚がないだけですよ。だって──」


 真っ直ぐと伊織の瞳を見て告げられその言葉は。慈愛に充ちたその言葉は。


「──あなたはダンジョンマスターに選ばれたじゃないですか」


──まるで呪いのように、魔王に選ばれたという事実を伊織に自覚させたのだった。

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