古き小さきもの

鈴ノ木 鈴ノ子

ふるきちいさきもの


 京都から遷都して東の都だから東京、京都に嫌味をぶつけるべく関東最大の嫌がらせとして、東京に京都を後ろに付け加えたことによって東京都となる。

 敬意もへったくれもない、どう考えても嫌味であると私は思う。まぁ、京都人ならそんなこと屁にも思うまい。

 都市としての歴史も浅い、京都は言わずもがなであり、大阪、名古屋などなど関西方面が昔は中心地であった。鎌倉幕府がといったところで・・・微妙だ。

 江戸は歴史から見れば「後期発展型」の都市と言える。

 生粋の江戸っ子だ、東京育ちだと言ってみたところで、それは江戸城の堀くらいの浅さであり、富士のお山ほどもある京都などには叶うまい。


 中根宗一郎 著書、「嫌味の東京人(あずまきょうじん)」より抜粋。


「すっごい嫌味だ」


 途中まで読んでいた単行本をベットの上に投げ捨てた私は狭い1LDKの天井を見つめた。

 シーリングライトの白い輝きが室内全てを照らしている。スイッチの紐にぶら下がっているクマのキーホルダーがエアコンの風に吹かれてクルクルと回っていた。


「どうしたの?」


 1LDKの猫の額ほどのキッチンから声がして、いい加減な返事を返すと彼氏の犬姉妹吉郎が珈琲の入ったコップを持ってベット脇であり、テレビの前ともいうべき小さな机の上に一つを置いた。


「珈琲の飲むでしょ?」


「うん、もらう」


 半刻ほど前まで肌を重ねていて、互いにシャワーを浴び終わり、私はふと最近知り合った友人から貰った同人誌を読んでいたのだった。彼からカップを受け取りながら何気なくキスを交わして、そして彼は私が投げ捨てた単行本を私と同じ位置まで読み進めたところで、本は再び投げられてベットの上に落ちた。


「本は投げちゃダメ」


 私が注意すると罰の悪そうな、そして、何か言いたげな表情でこちらを見たので、私は素知らぬふりを決め込む、吉郎もそれに敢えて戦いを挑むことなく、卓上に置いた自分のカップを手の取ると、自慢の猫舌でそろりそろりと飲み始めた。


「そういえば、前回の写真、現像できたよ」


 そう言って吉郎が足を伸ばしてリュックを引きずり寄せると中から袋を取り出した。袋には小牧写真店と印刷されており、中から昔懐かしい写真を入れる長袋が出てくる。


「あ、ありがと。上手く撮れてた?」


「まだ、少ししか見てないんだよね」


 そう言いながら吉郎がベッドの上に一枚、一枚と現像された写真を並べてゆく。

 2年くらい前のことだ。仕事の帰り道に小牧写真店の店の周りを歩いていた時に、一台のカメラに一目惚れをした。国産の古いカメラだったけれど、視線が釘付けとなり、数日、店の前を行き来して、意を決して飛び込んだ。そしてアルバイトで働いていた吉郎に教えて貰いながら、このデジカメでないフイルムカメラの扱い方と歳の離れた吉郎の扱い方をマスターした訳である。吉郎の扱い方については元気な男子大学生ということで、まぁ、押して知るべしというところもあった。


「今回はなかなかでした」


「毎度、嫌味な言い方」


 藝術大学に通学している男子大学生からみれば、それはそれは、な写真かもしれない。


「いや、悪く言ってるんじゃないよ、被写体が興味深くてさ」


 並べられた写真の被写体は風景でも人間でもない、小さな可愛らしいお姿ながら、それでいて柔和であったり、怒っていたり、微睡んでいたり、緩んでいたり、と色々な表情を浮かべたお地蔵さまや佛さまなどの石仏だった。東京の街中、ビルの谷間などにも実はお地蔵様はいらっしゃったりするのだが、郊外へと足を運ぶと、お寺や角地の一角、はたまた公園の端に御鎮座されていることがある。

 なぜ、この被写体を選んだかといえば、偏に言って「動かない、そして、表情がある」という短絡的な理由からだったが、その地蔵に刻まれた様々な姿や文字を見れば、いかにして建立されたかが分かり、それによって地蔵のお顔の表情もまた違ったものに見えてくるのだった。


「どうして地蔵を選んだの」


「どうしてって、そこにあるから?」

 

「いや、名言ぽくいわなくていいから、どうしてなの?」


「そうね、さっきの本のように大昔から、というより、人の想いが宿っていることに気がついたからかな」


「人の想い?」


「うん、歴史とでもいうのかもしれないけど、そうね、なんと言ったら良いのかな・・・」


 私は考え込んで頭を捻った。


 そこまで難しく考えたことはないし、閃くままに撮影したような気もする。やがてふとソレが浮かび上がった。


「ああ、そうだ。記憶を撮りたかったんだ」


「記憶?」


「うん、土地の記憶というべきなのかな。ほら、近所にあったお地蔵さんが撤去されちゃったの覚えてる?」


「撤去って・・・、うん、覚えてるけど」


 アパートの前には愛くるしい顔をしたお地蔵様がいて、雨の日も、風の日も、たまの雪の日も、どんな時も、そこに居て、通る人々を優しく見守ってくれていた。

 今、その場所にはマンションの建設予定地となり工事が始まっている。


「あの時にさ、あ、消えちゃうんだ、って思ったの、そしたらその素敵なお姿やお顔だけでも、記憶にとどめておきたいと不意に思ったんだ」


 あのお顔の表情を撮影できなかったことは今も無念でならない。


「なるほどね。狭間を撮るか・・・」


「そうね、そういう言い方も出来るかもしれないわね」


 京都や大阪と違うところが一つあるとすれば、東京、いや、もっと大きく言い表すなら、武蔵野台地とでも言うべきだろうか、そこは今だに開発によって膨張が進んでいるということだ。


 そして小さな古き物は消えてゆく運命にある。


 お地蔵さまなどを撮影していて本当にそう思えた。

 

 都市部から離れたところならゆったりとそのお姿を目にすることはあるが、家々の狭間やマンションの敷地の一角、雑木林の端に、追いやられるようにして御鎮座されて居られるように感じたのだ。

 冒頭の本ではないが、都市の歴史が浅い分というのか、はたまた、経済成長によってソレばかりを優先したせいなのか、何か、こう、大切なものを置き忘れ始めているのではないかと心配になる。

 私たちがいまここに生きていると言うことは、当たり前のことなのだけど、先に住んでいた人達によって切り開かれたものだ。それに敬意を払わずに開発を進めることは、そろそろ、大いに止めるべきではないかとも思える。

 

 SDGsが叫ばれ、多様性や共存共栄を謳うことが多くなってきた現代ならば、古きものともそうすべきだ。


「このまま古いものが消えていっちゃうのかな」


 一枚一枚のお顔立ちを見ているとソレすらも許してくださるように思え、それほど、その笑みは優しくて愛おしさを備えていた。


「そうだね、でも、これも一種の保存であるとも言えるよ」


「そうかな?」


「うん、そうだな、例えるなら東京と言う地名と同じくらいに武蔵野という地名は周知されているでしょ」


「それは・・・そうね」


「地名は残る、そこの歴史もある程度は残る、そして、小さな歴史は消えていくけれど、それをこれが後世まで残してくれる」


 吉郎はそう言って私の撮った一枚を指差した。

 

 三体のお地蔵さまが並んでいる写真だが、手前には工事用のフェンスが貼られていてその網目をそのままに撮影したのだった。建設業者の方は験を担ぐ方が多いので、その前には御供物が備えてあるが、1ヶ月後に再び訪れた時にはその姿はなかった。


「ほら、写真の中では生きてるよ、全てが消えたわけじゃない」


「そうね・・・」


 それを手にとってまじまじと見つめる。確かに写真の中のお地蔵さまはその姿を残されている。


「この写真は全てが生きているように素晴らしかったよ。小牧のおじいちゃん、おばあちゃんが見ながら泣いてた、僕ももらい泣きしちゃったよ」


 小牧写真店の小柄な老夫婦を泣かせてしまったことを詫びながら、写真を見てゆくと私も一雫の涙がこぼれ落ちた。


「これからも撮っていくんでしょ?」


「うん、なんでわかったの?」


「写真からそんな気配が伝わってきたんだよ。どう言って良いのかわからないけれど決意みたいなものが感じ取れた」


 そう言ってもらえると心に温かいものが溢れてくる。


「その写真を集めていつか展覧会をやろう。ギャラリーやミュージアムとかでみんなに見てもらうのがいい」


「そんな大ごと…にしなくても」


「大ごとでいいんだよ、失ったものだけれど、そこにあった記憶を留める。それもまた、進歩じゃないのかな」


「哲学者みたいなこと言うのね」


「授業の受け売り、あ、この写真を見ていたら、きっと気になってるんじゃないかと思って持ってきたよ」


  そう言って吉郎は鞄から一枚の封筒を取り出すと私へと差し出した。


「開けてみて」


 茶封筒の中から出てきたのは、あのアパート前にいてくれたお地蔵さまのお姿だった。


「ほら、また、出会えたでしょ、それが写真の魅力だよ」


 そう言って笑みを見せた吉郎は珈琲カップに口をつけて、泣きそうになっている私を優しく見守ってくれている。


「私、頑張るよ」


「うん、僕も手伝うよ」


 吉郎の言った東京ではなく、武蔵野という台地の古き小さな物を撮影していこうと心に決めた。


 あれから行く年月を経て、個展から始まった展覧は、やがて大きなミュージアムで展覧会を開くまでに至った。


 写真の中の表情はいつまで経っても色褪せることはなく、そして、優しく私たちに微笑みかけてくれている。


  

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