ジャクジャキジャッキジャケット②
ジャクジャキジャッキジャケットにとっても、ひどく意外な出来事が起こった。
最初はうまく行っていたのだ。ジャクジャキジャッキジャケット自身はそう思いこんでいた。自分を羽織った『女神』が、一体何を目的としていたのか、それは定かではなかった。エターナル・ギミックは、きわめて特殊な受容器によって現実の世界を認識するのだが、漠然と把握したところでは、とりあえず、ジャクジャキジャッキジャケットの住処であるクローゼットの持ち主を驚かせることには成功したようだった。少年は逃げて行った。『女神』は何故かあまり喜んでいなかったようだ。その後、戻って来た男の子と、何やら言い争ったり、物騒な武器を向けられたりした辺りから雲行きが怪しくなったと思っていたが、唐突に性的接触が始まって、さらにいきなり銃撃された。慌しいことだ。ジャケットは無事だったが、何故か『女神』が動かなくなった。わけがわからない。
わからないのも当然のことだ。彼、ないし彼女、ないしそれは、この世界における生物の死という概念は理解していても、生物様の形質を持つ同胞『女神』が拳銃で狙撃された時に、まさかそれと同様の結果が訪れるとは思っていなかったのだ。何しろ、その本質は形而上にあり、エターナル・ギミックと同様、不滅を約束されているはずだったので。
そして気付けばすぐ隣に、たった今目の前で銃撃を受けた『女神』の本質が佇んでいた。これは勿論形而上においての話で、人間の世界から認識出来る事象ではない。ジャクジャキジャッキジャケットは、他のエターナル・ギミックと何度か交流したことがあったが、その際も決して、本質が剥き出しで自分に会いに来たりすることはなかった。『女神』の方も、途方にくれた様子であるし、どうも、あり得べからざる事態が起こったようである。
「やられた。完全に持っていかれたわ」
発話という情報伝達手段でなかったが、その『女神』が意図していたのはそういう意味合いのことであり、ジャクジャキジャッキジャケットはそうやって明確に交流がもてることを嬉しく思った。やはり『女神』は同胞なのだ。その本質は実に似通っており、だからこそこうして情報伝達が出来るのだ。
「持っていかれた?」
ジャクジャキジャッキジャケットも、その『女神』を真似て、意思を表示してみた。上手くいったらしい。時間という概念を超越した中で、待つまでもなく返事があった。
「取り戻すことはもう不可能。まずいわね」
「何を持っていかれたの?」
「知らないわ。でも、わかるの。今ので何かを持っていかれた。もうあれは不完全な器でしかない。もう駄目ね」
妙なことを言うものだ。ジャクジャキジャッキジャケットは不思議に思った。不完全であろうが、器が器としてそこにあるのならば、使えば良いのだ。『女神』は、その姿形を自由自在に変えられるようだし、本質は不滅ときている。
「どうして? 少量の体液が失われただけだ。ちっぽけな金属の弾が身体にめりこんでいるからといって、体機能に何ら支障はないんじゃない?」
「通常ならばね」
「今回は違うの?」
「ええ。持っていかれたもの」
要領を得ない。持っていかれた、とはどういう意味だ。ジャクジャキジャッキジャケットの把握している限り、何かが物質的に移動した様子は無かった。今もそこに在るのは、鉛の玉がこめかみから撃ち込まれた「結果」、ただそれだけだ。それを超えるものは、何も無い。
「だから何を」
「だから知らないって。一度、地雷を踏んで粉々になった時にも殆どを持っていかれたのがわかったけど、まさかあれっぽっちのことで全部奪われるとは」
「何を言っているのか理解出来ない」
「勿論。あなたは一度も持っていかれたことがないんだもの」
『女神』のその言葉は、ジャクジャキジャッキジャケットを驚かすに足るものであった。
「僕にもあるのか?」
「そりゃあ、あるでしょ? きっと、使い方が違うだけよ。私とあなたは」
「まさか」
ジャクジャキジャッキジャケットは、自らのことは一番把握しているつもりだった。そんな、『女神』の本質を使ってすら正確に理解出来ないうやむやな概念が、自分の中にもあるとは思えない。
「気付くか気付かないか、の違いかもね」
「気付いた僕は、君のように『女神』になれるのか?」
時間という概念がここにもあったなら、しばらく間があったろう。そう思わせるだけの何かを伝えて来て、『女神』はようやく答えた。
「それは知らない。私が持っていかれたものが、どちらに帰属しているのかによる、としか言えないわね」
「どちらって?」
「こちらの私か、向こうの私か」
今度は、ジャクジャキジャッキジャケットが、無言の間をあけた。やってみると意外と簡単だった。
「向こうの君に何の意味があるの? こちらの君が君であって、あれは違うだろ?」
「そうじゃないから持っていかれるのよ」
形而下の物体の方に依存して存在する、自分たちの本質を上回る概念。それぞれの言葉の意味は理解出来るのだが、エターナル・ギミックには荒唐無稽に思えて、その全体像は把握出来なかった。
「よくわからない」
正直に告げた。『女神』がこっちをじっと見ているような気がした。
「興味ある?」
「ないと言えば嘘になる」
「じゃ、試してみようか」
「何を」
「まあ、色々と、よ」
それを最後に、一旦、二者間の情報伝達は途切れた。相変わらず『女神』の本質は形而上にそのまま存在し、現実世界の身体は、ぴくりとも動かないまま部屋の真ん中に転がっていた。どう見ても、先程と遜色なく機能しそうに見えるが、彼女の言う通り、何かを持っていかれているのだろうか。彼、ないし彼女、ないしそれには、よくわからなかった。
ジャクジャキジャッキジャケットは別段気にしていなかったが、河口和己に擬態しているそのメロディアの身体――無論、一般的には死体ということになるが――は、まだジャケットを纏っている。エターナル・ギミックの影響が一体どこまで波及するのか、この時点で把握しているものは皆無であり、形而上で本質として存在しているその『女神』に対してすら、よもや現在進行形で影響を与え続けているとは、ジャクジャキジャッキジャケット本人ですら全く気付いていないのだった。それは、彼、ないし彼女、ないしそれが、自身の本質を支えている根幹の思想体系に無意識に依存している限り無理からぬことであり、誰もそれを責めることは出来ない。使用者が自分で自分の首を締めるという方向性において、このジャケットの右に出るエターナル・ギミックはない、とそれだけが言えるか。
事態は着実に悪化の一途を辿り、取り返しのつかない方向に進み続けている。
ジャクジャキジャッキジャケットは、着用者の邪気を惹起する。
ジャクジャキジャッキジャケットは、着用者である『女神』の邪気を惹起する。
ジャクジャキジャッキジャケットは、『女神』の、会話対象に対する邪気を惹起する。
ジャクジャキジャッキジャケットは、『女神』と会話している。
ただ、それだけのことだ。
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