37

 鷹峰 凪沙のデスクが片付いていることに気づいた。猫のぬいぐるみやミニチュアハウスが並んでいたのに。

 シュウの視線に公方が応える。「アナタの追っかけちゃん、辞めたのよ」

「辞めた……」

「来て早々、お目当ての景宮クンは関東へ行っちゃうし、ワタシと二人で退屈してたし。そこへオメデタがわかった」

「おめでた……」

「アタシいいお母さんになるの。そう言って、風と共に去ったわ」

 シュウの脳裏を凪沙の変遷がよぎる。

 ご令嬢→ピンクメッシュのヤンキー→ゼロ課エージェント(パート)→いいお母さん。

「いそがしいお嬢サマだ」

「メッセージ預かってる」公方はメモリスティックを差し出した。「ワタシの居る前で録画してたの。おかしくって」噴き出しそうになる。

 シュウはデスクでPCを立ち上げ、スティックを挿してメッセージ・ファイルを開いた。

 凪沙が映る。ミニチュア・ハウスとトラ猫のプチぬいぐるみが、机上に並んでこちらを向いている。

「シュウ、アタシ妊娠しちゃった。コトブキ退社するね。せっかく来たのにシュウはどっか行っちゃうし。一度くらいデートしてあげようと思ったのに、残念でした。アタシ、いいお母さんになる。そう決めたんだ。じゃね」一気にまくしたてニカッと笑う。唇に手を添え大げさなモーションで投げキッスをくれた。

 デスクに立つ赤い屋根と白い壁のミニハウス。こんな慎ましい家が彼女ののぞみなのだろう。幸せが、そこにギュッと詰まっている気がした。

 あのが母親になるか……

 世界を成立させる理屈やカラクリ──そんなもの、ささやかなミニハウスの前では、なんの意味も持たない。

 幻で見ただけの凪沙の母を想う。魂の力で娘を救った女性ひと

 ──あんな母親になってほしい。

 公方が不思議げな表情でこちらを見ている。

「景宮クンのそんな穏やかな顔、はじめて見た」

「え、そうですか」

 気持が浮き立っているのだろうか。こんな感覚はいつ以来だろう……

 メッセージは終了して、投げキッスのポーズで凪沙は静止している。映像を消すのが惜しまれて、ファイルは閉じずにおいた。

 凪沙は、ディスプレイの中から、いつまでもキッスを投げていた。



file is closed

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸福教団〈Boosted Man file.02〉 安西一夜 @nohninbashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ