第15話 ノーマルリスト

 ミッションの日まで残り一週間と近づいたある日、この日も俺は服部の勉強に付き合っていた。


 とにかく暗記をする科目は自分でやってもらうことにして、とにかく問題を解く科目だけ俺は教えることにした。暗記科目も勉強法は教えたから、何も文句はないだろう。


「なあ、ここってどうやるんだっけ」

「え?」


 俺は服部の指差した問題を見る。


 その問題は数学の教科書にある発展系の問題で、数値の形状が例題などとは異なるため、迷いやすい問題だ。


 だが、発展系の問題で、例題などの部分に数値の形状が変わった時のの解き方が特に書かれていない状態では、大抵その例題通りやれば問題ない。


「例題通りだ。例題の解き方は理解してただろ?」

「そうだけど……」

「そこはそのまま解けばいい」

「わかった。ありがとう」


 俺たちは、こんな会話をずっと繰り返している。


 俺もその隣で参考書を解いているが、もう一度解いた参考書の答えは覚えてしまった。そんな状態では意味がないので、今の俺はただぼーっとしているような感じに近かった。


 どうせ部屋に戻ったって勉強はしないし、これでいいと思っているが。


「早見はさ、」

「ん?」

「早見は、何でそんなに頭がいいんだ? 昔からか?」

「まあ……」


 昔から記憶力はよかった。そのおかげで施設でも生き残って来られたし、今こうやって交換条件にだって使えている。


「物心ついた頃には何でも覚えていた」

「すごいな……私立の入試があるような幼稚園とか行ってたのか?」

「いや、そんなんじゃない」


 もっとレベルが高く、そのことが異常だということにも気付かないくらいにそれが当たり前だった。


「でもすごい。運動もできてスポーツもできて……何でFクラスなんだろうな」

「さあな」


 施設から送り込まれたからだろう。


 一応、施設で生き残った人たちは一クラスに一人いるかいないかくらいで分けられていた。同じブラックリストの奴とは、お互いにいることは確認できているはずだ。


 施設での下の区分であるノーマルリスト、もしくはホワイトリストと呼ばれるところの人たちは、こっちには気付いていないようだったが。


 施設は帝国学院より上の地位に位置しているため、その監視などの意味で送り込む。だが、Fクラスならこのように疑問に思われすぎる。七条にも同じことを言われ、バレるのも時間の問題な気もしてきた。


 生き残りがクラスの数すらいないっていうのに、わざわざ下のFクラスに入れるということは、Fクラスはそれほど重要なのだろうか。


 七条だって、Fクラスっぽくない成績してるし。


 今月のミッション次第ではあると思う。それで、クラスがどんな状況なのか、どうやって分けられているのかがわかるだろう。



「そろそろ帰らないと買い出し間に合わないな」

「え、もうこんな時間かよ……」


 教室の壁に掛けられていたデジタル時計には、『17:52』と表示されていた。


 門限の時間などを考えると、十八時くらいまでが限度だと考えていた。だから、今日はそこで切り上げることにした。


 大分問題も解いてわかってきているだろうし、このまま行けば脱落は回避できるだろう。何も起こらない限り、だが。


 そして俺たちは荷物をまとめ、校舎を出た。おそらく、十八時ぴったりくらいだったと思う。


 そこから数分歩いた先にある寮まで一緒に帰る。そこまでがこの一週間の日課のようになっていた。


「結構わかってきた気がする」

「そうか。それはよかった」

「早見は、何かやってるの?」

「いや……大したことはしてない。そもそも、試験前に追い込んだりしてない」

「そうだよなぁ……天才は違うなー」


 単純に、施設にいた時は追い込んでる暇が無かったからというだけだが。


「天才なんかじゃないよ」

「あんな点数、天才以外なんだって言うんだよ」

「あはは……」


 笑って誤魔化しておくが、謙遜しても無駄なようだった。


 お互いに黙ってしまい、夜の静寂に包まれていたその時、三人くらいの女子生徒の集団とすれ違う。


 同じ一年のBクラスの女子だということはすぐにわかった。それだけなら、どうってことはなかったのだが……


「早見、どうした?」


 俺は思わず足を止めてしまう。


「いや……ちょっと、先行ってて。……というか、おやすみ」

「え、あ……おやすみ」


 服部は、何も聞かずにそのまま寮に戻って行った。


 服部と別れて振り返ると、さっきすれ違ったうちの一人も、同じように仲間と別れて振り返ったところだった。


「……何ですか? 急に」

「覚えてないか、俺のこと」


 俺はそう言いながら、カバンからある赤いリボンを取り出して見せる。


「……!?」

「どうやら、思い出したみたいだね」


 この女子生徒は、ノーマルリストの生き残りの一人、山風やまかぜ莉緒りお


 俺は、現状学年では施設の生き残りしか感じることができない特殊な波動のようなものを発し、その女子生徒の足を止めた。


「これ、君に返す」


 俺はその赤いリボンを山風に手渡す。


「……やっぱりあんたが持ってたんだ」


 山風はそう言いながらリボンを奪い去るように受け取る。


 もう何も話したくないと言わんばかりに、山風は足早に仲間のところに戻ろうとする。


「……姉みたいにならないようにな、莉緒」


 俺も山風に聞こえるようにそう呟き、その場を立ち去った。



  ◇  ◇  ◇



 約十年前


 物心ついた時には、施設にいた。


 親の顔など知っているはずもなく、何でここにいるのかもわからなかった。


 まず、それを疑問に思ったことすらなかった。


 確か五歳頃だったある日、俺はリスト分けによって正式にブラックリストに入れられ、『Murderer』という称号が与えられた。


 それまでも他の人とは違った扱いを受けていたのだが、そこで改めて自分が他の人とは違うのだと実感した。


「天音、これでブラックリスト入りだな」

「……うん」


 理解してはいたが、だから何だと思っていた。


「そろそろ行こうか」

「……うん」


 どうやら、リスト分けがされるまでを過ごす棟から、Murdererの棟に移動するようだった。


 俺はそこの職員の男に連れられ、廊下を歩いて移動した。その男が、のちに帝国学院の学長となる霜谷元行だった。


 Murdererの棟に入り、まずノーマルのエリアを抜けようとする。


 ノーマルリストのエリアを進んでいると、前からノーマルリストの同い年くらいの人たちが歩いてくる。


「うっ……」


 すれ違いざまに、俺はその中の一人とぶつかった。


 こっちは十分端に避けていたっていうのに、絶対あっちからぶつかって来ていた。意味が分からない。


 俺は床に尻餅をついたまま、ぶつかってきた奴を睨む。


 すると、そいつはすぐに目を逸らしながら舌打ちをした。


 強気に見せたいのか舌打ちをしているが、目を逸らす速度からして完全にビビっている。


「おい、行くぞ」


 ノーマルの職員の男が、これ以上大きくなるのを防ぐためになのか、強めにそう声をかける。


 そして、数人のうち一人を除いてその職員についていき、足早に立ち去っていく。


「だいじょうぶ……?」


 そんな中、ただ一人だけそこに残り、俺に手を差し出して声をかけてくる少女がいた。それが莉緒だった。


 その時は名前も知らず、『ノーマルとブラックは絶対に関わってはいけない』そんなことをさっき言われたばかりだったこともあって、この少女が何を考えて俺に手を差し出しているのかわからなかった。


 俺は手を掴もうとしたが、その言葉を思い出し、自力で立ち上がった。


「カイリはね、ちょっとせいせきがいいからって、ちょうしにのっただけだから。わるくおもわないでね。これでおもいしらされたとおもうし」


 少女はそう言い残すと、急いで追いつこうと走ってあっという間に立ち去っていった。


 その時、少女が髪に着けていた赤いリボンの紐がほどけ、床に落ちた。


 俺がそのリボンを拾った頃には、少女はもういなかった。


 リボンは羽の部分が綺麗に残っていて、縫い付けてあった紐を髪に結びつけるような髪飾りだった。リボンの真ん中には硬い留め具が付いていて、解けそうにはない。まあ、それくらいじゃないと子供には難しい。


「話は終わったか?」

「あ……うん……すみません」


 霜谷の裏を知らない幼い俺は、これだけは守れと言われていたことを破ってしまったことによる罪悪感で、衝動的に謝ってしまう。


「大丈夫だ。あっちから来たんだ。君は悪くない」


 そんな俺に、霜谷はそう言って慰めた。



 もういなくなっていたし、絶対に関われないようになっていたとはいえ、俺は莉緒にリボンを返そうとはしなかった。


 関わってはいけないのに、霜谷は取り上げるどころか話にも出さなかった。それなら、何か裏があるのではないか。俺は幼いながらそう思った。


 人を疑うようになったのはその頃からだった。つまり、人をちゃんと信じたことはなかった。



 その後、すぐに行われたミッションでそのリボンが鍵になっていたことにより、俺は一気にトップ集団に躍り出ることとなった。

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