第9話 重たい痛み

 五十メートル走が終わると、選択種目になっていた持久走とシャトルランに分かれる。


 どちらがいいのかは完全に好みで、ちょうど半分になるように調整されたらしい。元々、どちらでもいいという選択肢があったくらいだから、そこが調整されただけだと思うが。


 俺は外の持久走を選んで、七条はシャトルランを選んだ。さっき「どうせ分かれる」と言ったのは、そういうことだ。


 男子の持久走は一五〇〇メートル。女子は一〇〇〇メートルだ。


 クラスは均等に十人ずつ分けられていて、どういうことかこの一か月気にかけてきた人たちはほとんどシャトルランに行ってしまった。周りはみんな明らかに運動ができなさそうな人たち。おそらく、どちらでもいいという選択肢で提出したのだろう。その中に、和田もいた。


 逆に、気にする心配が無くなってよかったかもしれない。


 体調が悪いことと、今日最後の種目で、一番体力が奪われる持久走。一番体調に気を使っていかないといけなかった。


 周りを気にしなくてよくなったことによって、より自分のことに集中できる。


「……ちょうどいい」


 持久走はまず距離の短い女子から開始した。その間、男子は休憩だった。


 俺はグラウンドの端にある木の陰で、スマホをいじっていた。


 すると、俺のスマホに一件のメッセージが届く。それは、さっき服部たちのことを調べてもらうように頼んだ人からのメッセージだった。


 本文も件名も無く、ただファイルが添付されているだけ。


 俺はそのファイルを開き、中身を確認する。よっぽど暇だったのか、ほんの一時間で調べ上げて送って来た。


 内容はよく調べられていて、一つ一つが細かい。


「……相変わらず、だな」


 読み込むのは後にするが、大体のことは頭に入れておく。


「早見くん、そろそろ終わるよ」


 なんとなく覚えたところで、そう声をかけられてグラウンドに戻る。


 ちょうどそこで女子の最後の人がゴールし、男子が準備を始める。


 一五〇〇メートルはコーナーの真ん中からスタートし、そこから約五周弱する。高一男子の平均が六分ほどだったはずだが、もちろんこの学校が求めるものは平均以上である。


 俺は長袖ジャージを脱いで、スマホと一緒に他の人と並べて置いておく。傷があった左手首には包帯が巻かれていて、誰も傷には気付かない。


 そしてのんびりとスタート地点に集まり、気温も上がって来た昼下がり、スタートの合図が切られた。


 俺は百メートルあたり平均二十二秒のペースで走り、後ろをどんどん突き放していく。


 とはいっても、さすがに一周四百メートルのトラックで周回遅れになるようなことはなく、ラスト二百メートルに差し掛かる。


 今日一番の気温もあってか、さらに頭が朦朧としてくる。


 足はなんとなく動いているが、ゴールまで持つかもわからない。


 視界もぼやけて来た中、なんとかゴールラインを超えた。タイムは五分半ほど。


 それを確認すると、一気に体の力が抜け、俺はトラックに倒れこんだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 黒の廻り火の中持久走をしたおかげで、とにかく息が上がっている。ただの持久走なら、こんなに息は上がらない。


 体が一気に重くなり、声も出ないほどの重たい痛みを感じる。


 もう動けそうにない。


 そうは思うが、全員がこうなってしまうこの状況では、誰も気付いてはくれない。


 気付いてくれるとすれば、来見か、血だまりができた時。後者になったなら、かなり重症化していて危険すぎる。死にはしないと思うが、どうにか来見に気付いてほしいものだ。


 そう願いながら、俺はゆっくり目を閉じた。



  ◇  ◇  ◇



「ん……」


 体の感覚が戻り、手の感触からしてベッドの上にいることがわかる。


 左の腕には点滴の針が刺さっているのも感じる。


 ゆっくり目を開けると、そこは見慣れた天井ではなかった。


 なんとか体を持ち上げて辺りを見回してみると、そこはどうやら保健室のようだった。


 俺にとって、見慣れた天井とは病院の天井のことだ。だが、約二十人の生徒の前で倒れられてしまった以上、黒の廻り火のことを悟られてしまっても困るという学校の方針か何かで、保健室での治療となったのだろう。


 保健室にしては、点滴のような保健室らしくないものも置かれているが。


「ここは診療所か」


 そうぼやいていると、パーテーションで隔てられた向こう側で何かが動く音が聞こえる。その人物は、俺のいる場所に向かってきていた。


 部屋が暗く、窓の外を見ても夜とわかるため、誰もいないものと思っていた。


 気配を消していられるとは……さては、普通の生徒ではないな。


 そう思ったのと同時に、その人物が姿を現す。


「目が覚めたか」

「……先生でしたか」


 生徒ではなく、担任の来見だった。まあ、この時間にここにいられるのは教師くらいか。


「体調はどうだ?」

「もう大丈夫です」

「そうか」


 そう言うと、来見はベッドに腰かける。


「なら、相談なんだが……君は丸一日昏睡状態だった」

「……そんなことだろうと思った」


 症状からも、一日くらいは意識を失うだろうなと思っていた。


「それによって、ミッションが一つ受けられていない」

「ああ、そうだな」


 あの障害物競走だけ、翌日の日程となっていた。今日の午後の割り当てだったと思う。


「今からならまだ間に合う。受けに行くか?」

「え?」

「日付が回らなければ問題ない。誰にも悟られず受けられる。しかも、本気が出せる」

「本気、ねぇ……」


 やはり来見には見抜かれていたか。ブラックリストがこんな平凡な記録のはずがない、と。


「どうする?」

「先生も結構なことしますね」

「それって……?」

「やりますよ。せっかくの提案なんですし」

「そうか。それはよかった」


 そして俺は来見に連れられ、障害物競走の場所に向かった。

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