第32話 隠密伏海艦チェルノボーグ(1)

 エドガーたちは艦内の物陰に隠れていた。


 ラブリスの発作は、独房を抜けた事で少しだけ落ち着いた。


 とはいえ、青白い顔をしているのは変わらない。今も、浅く早い呼吸が続いている。


 とはいえ、いつまでもこうはしていられない。


 ラブリスを気にしながらも、動き出そうとするが――


「ま、まって、エドガーくん……」


 自由になった手で、エドガーの服の裾を掴む。


「すいません、早かったですか?」


 気遣うエドガーにラブリスはふるふると頭を振る。


「ただ、怖く、て……、すぐに立てなくて、ごめんなさい。私、足手まとい……」


 エドガー何も言わず、ラブリスの背をさする。


 こんな弱っているラブリスを見るのは、初めてだった。


 この基地にきて、初めて出会ったときは通信機越しの威厳に満ちた指揮官の顔だった。


 次に会ったときは天衣無縫ないつものラブリス。


 そして、夜の浜で見たのは、飾らない生々しい女の顔だった。


 だが今の彼女はそれらのどれとも違う。


「……大丈夫ですよ。ラブリスさんにいつも頼っていたんです。これくらい何てことないですよ」


「……ええ、ええ。エドガーくん……、ごめんね」


 心細げな表情でエドガーの手を握る、赤毛の王女。

 今や、その姿は気弱な少女のそれだ。


 それまでに見たことが無かった彼女の一面。

 その姿に、エドガーはぎゅっと、心が締め付けられる。


 エドガーとて、この状況は怖い。


 そもそもこの間まで、前線に出る事なんて考えられなかった。それが今や、敵艦のまっただ中にいる。


(まったく、どういう星の巡り合わせだろう……)

 

 ユルシカに来てから、彼の人生は大きく変わった。


 それは彼にとっても喜ぶべき変化だったが、それでも激変は激変だ。


 一介の技術者が、今は王女殿下を守って命を張っている。


(ここで男見せなきゃ駄目だ)


 手に持つ武器にも力がこもる。


「あのですね、実は独房にいる間に気が付いた事があるんですよ。この艦、音がおかしいんです。構造材の影響も多少はありますが、なんというか『こもっている』んですよね」


「それ、どういう意味……?」


「わからないです。でも、この違和感が脱出するにあたって、重要になるんです。どんな艦なのか分かれば、対策が立てられますから。俺は軍人じゃないから戦闘は苦手です。けれど魔導機関の事なら――」


 息を殺しながら話していた二人、近づく足音に気づき口を閉じた。


 兵士たちが近づくが、二人には気づかず小走りで通り過ぎていった。


 薄暗い船内が味方をしている。


「――揺れが変なのも気になります。波の影響が少なすぎる。もしかしたら自分が想像もしないタイプの船なのかも……」


 そう思考するエドガーの頭の中は、脱出への方法とこの艦への興味が同居している。


 まずは状況を把握することが急務ではあるが。


「うん、エドガー君にまかせるわ……」


 青白い顔をしたラブリスは、そんな彼にすべて託すように、握った服の裾に力を込める。




 物陰から物陰へ。決して見つからないように、注意深く移動する。


 幸運な事に、艦内に人は少ない。あるいは、魔導コア搭載型なのかもしれない。搭載艦であれば、必要最低限の人員で魔導艦は動く。


 進みながら艦の構造をつぶさに観察していたエドガーには気づくことがあった。


「この艦、水中にいるのかも」


 まず、舷窓がなかった。あるにはあるのかもしれないが、少なくともエドガーには発見できなかった。さらに船体がスリムすぎる。空気の流れもおかしい。


 多くの魔導艦艇の設計図を見てきたエドガーだからこそ、その違和感に気づく。


 直線の通路に対して、幅が狭すぎる。海上を行くには横転してしまいかねないのだ。


 水中戦艦。そう呼べる類の船ではないかと、エドガーはあたりを付けた。


「……論文では見たことあるけど、実用化されていた? そうだとしたら快挙だな」


「……それ、すごいの?」


「すごいですよ。設計思想自体は前からあったんです。でも技術的に難しい。水圧に耐える構造と素材。魔導機関を使って人間に必要な酸素も供給しなくちゃならない。それから武装も問題です。水中じゃ魔導陣砲は効果が減じますから使えません。特別なものが必要になる」


 エドガーは考える。するとこの艦の主武装はなんだ? 


 物理砲であることは確かだが、従来の物理砲では駄目だ。


 何か水中から発射できるタイプが。

 さらに、どうやら戦闘中らしい。艦内のあわただしさがそれを物語っている。


 攻撃されているのはユルシカ島だろう。


 対地装備。それも施設破壊が可能な大きな破壊力を備えたもの。


 そういうものがあるとしたら――


「エドガーくん?」


 ぶつぶつと自分の世界に入っていたエドガーを引き戻したのは、上目遣いのラブリスだった。不安げな瞳はすがるように彼を見る。


「すいません。ちょっと思いついたことがあります」


 エドガーは彼女の手を取った。思ったより小さく、やわらかい手。


 守らないといけない手だ。


「ラブリスさん、行きましょう。逃げ出すアイデアが浮かびました」

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