第33話 隠密伏海艦チェルノボーグ(2)

 エドガーがたどり着いたのは、艦内にあって、開けたエリアだった。


 沢山の円柱が立ち並ぶ。その円柱は巨大で、大人の両手の幅ほどもある。


 縦に数フロアをぶち抜いていて、その様子はまるで林のようだった。


 円柱の間をぬうように張り巡らされた足場の中。ここを操作するための端末が見える。


 そこに兵士が三人。何かの作業をしていた。


「ここは……?」


「おそらく、武装の格納庫だと思います」


 兵士たちが見守るなか、円柱の一つから、轟音が響く。


 鋼鉄でできた階層全体に響い音は、最初に大きく、次第に小さくなっていった。


「次弾急げよ。シリンダーの排水作業はどうなってる?」


「一番から八番まで完了しています」


「よし、次弾装填だ」


 エドガーは自身の予想が正しかったことを確信した。


 大きな物質を飛ばすタイプの武装の格納庫だ。


 兵士たちの作業は粛々と進む。

 一定のリズムで、決められたことをこなしていた。


 違和感がある。攻撃タイミングに指示がない? 

 とすると、反撃を考慮していない?


 一方的に攻撃できる状況なのか?

 目標になっているのはユルシカ基地だ。


 ステラや月光は大丈夫だろうか。


 焦る心を押さえ、エドガーは観察を継続した。


「ラブリスさん、彼らを制圧したいのですが、どうしたらいいですか?」


「え……、わ、私?」


「はい。知恵を貸してください。俺がやります」


 エドガーの手の中には一丁の魔導ピストルがある。


 心許ない武器だ。もちろん、人を撃ったことは無い。


 だが、ラブリスを頼れない現状、自分がやるしかないとエドガーは思っている。


 問われた彼女は、顔を歪めた。『無理だ』と表情がつげていた。


 相手はきちんと訓練された兵士。対してエドガーは、正規の軍人ではない技術者だ。


 普段のラブリスなら自分がやるだろう。だが、今の彼女では難しい。


 泳ぐラブリスの視線。言葉がなかなかでない。


 エドガーは待った。黙って彼女を見つめた。


 彼女の、作戦指揮官としての能力だけが頼みだった。


 しばらく視線を泳がせていたが、ラブリスは頭をふり、言う。


「わ、わかった……。けど、エドガーくんにはそんなことさせられない。危険なの。それに、人を殺すことになるわ……」


 だから諦めろ、とエドガーに向ける目が告げる。


「――だめです。今やらなきゃいけないんです。俺たちが無事に脱出するためには。俺だって人を殺すことになるのは嫌だ。でもそれでも俺はやります。ラブリスさんと基地のみんなを守りたい」


 ラトクリフの元で過酷な日々を送った。

 突然の左遷で、ミラージュを取り上げられた。


 死にたい気分だった。実際無気力で、ほっておかれたらそんな決断をしたかもしれない。


 しかし、今エドガーはユルシカ島の仲間たちが大好きになっていた。


 彼らを守るならば、この手が血で汚れようが、何をしようが……。


 そう思っていた。


 エドガーの決意を聞くラブリスはより顔をゆがめる。


 泣きそうな、苦しそうな、辛そうな、


 目を閉じて、頭を振った。


「成功率が低すぎる……危険。でも、だったら、――が頑張れば……」


 自身の体を抱え込み、顔を伏せて呻くラブリスにエドガーはうろたえた。


「だ、だいじょうぶですか?」


「――お願いがあるの」


 絞り出すように彼女は言う。


「なんでも言ってください」


 ラブリスが作戦だけでも立ててくれたら何とかなる。


 エドガーはそう思っていた。そのためならどんな困難でも乗り越えるつもりだった。


 あの兵士たちに肉薄して、倒す。殺す。


 自分も死ぬかもしれないけれど、やらなければいずれ殺されるかもしれないから。


 だが、


「――ぎゅってして」


 彼女から発せられた言葉は予想外なものでありすぎた。


 意気込んでいたエドガーは見事、固まる。


「ぎゅってしてくれたら、いい……」


 聞き間違いではなかったらしい。


 顔を赤らめたラブリスが、両手を広げている。


 顔こそ横を向いているが、ちらちらと視線をよこす。早く、と言わんばかりに。


「あ、え、……なんで、今?」


「ぎゅってしてくれたら、頑張れる、気がするから」


「そ、それは何か関係が……?」


「頭を使うのにも、落ち着かないといけないから……」


 そういわれてしまえば、エドガーはもう何も言えない。


 ラブリスは変わらず、手を広げて待っている。


 なんで? 今の状況で? それに、王女だぞ? と戸惑いがある。


 別に抱きしめるだけなら、こんなに動揺しない。


 だが、ラブリスから漂う雰囲気がどうみて、マジだったからだ。


(どうしよう? でも、ラブリスさんがそうしろっていうんだから……)


 混乱する頭を振り切り、おずおずとラブリスに近づき、抱きしめた。


「もっと、ぎゅってして」


「こ、こうですか?」


 もう少し強く抱きしめた。


 エドガーの胸板に、柔らかい大きな膨らみが押し付けられる。


 ラブリスの首筋からはいつぞやのステラとはまた違った、甘い香りがした。


「ふぅ……」


 と耳元で、ラブリスの吐息が聞こえた。


「すぅー……、はぁー……、すぅー……、はぁー……」


 彼女の繰り返す深呼吸。上下する胸郭に、密着したエドガーの体にも柔らかなものが何度もあたる。


「本気、なのよね」


「何が……、です?」


「私を守ってくれようとしている」


「は、はい」


 抱き合っているので、顔は見えなかった。だが、声は耳元で聞こえる。


 小さな吐息まで、鮮明にわかる。声に表情が乗る。


「エドガーくんにとって、この数か月楽しかったの?」


 すぐに声がでない。だが、うなづくことでそうだと伝える。


「基地のみんなを好きになってくれた?」


「は、はい……。みんなすごくいいひとばかりで。ここにきて嫌なことなんて何もなかったです」


「ステラはどう?」


「いい子です。いい子すぎて……はい。かなり惹かれてます」


「……私は?」


「う」


「前も聞いたけど、私はどう? ダメ? 愛してもらえない?」


 抱き合ったまま、ラブリスは問う。

 今その話蒸し返す⁉ 


 とエドガーは内心思った。彼女の柔らかで暖かな体を抱いて、彼女の顔の横で、その吐息を聞いて、その状態で選択を迫るのは卑怯では??


 そう思った。


「だ、ダメじゃないです……」


「そう、ステラと比べると?」


「ふ、二人とも魅力的で、どっちも別々の良さがあって、――い⁉」


 気づくと、ラブリスのふとともが、エドガーの足の間に割り込んできた。そして足がからみつけられる。なんて弾力があって、柔らかな足なのか。


 敏感なところにも密着するものだから、

 こみ上げてくる、衝動を制御するのに必死になる。


「あの、あの、ラブリスさん」

「まって、いま落ち着いてきたんだから」


 どういうこと? そういうこと⁉


 いや、そこに敵がいるのだけど⁉


 敵地で二人、物陰に隠れて絡み合っているのが客観的に見た二人の姿だ。


「ごめんね」


 ラブリスはぽつりとそういった。


「こんなこと言っても困るよね。こんな場所で、こんな風に言ったら、エドガーくんは優しいから断れないよね」


 しばらくの沈黙。

 そして、ふいにラブリスが離れようとした。


 それに……


「だめです」


 ラブリスのつぶやきをかき消すように、抱き寄せて、エドガーはキスをした。


 数回、口づけして、また強く抱きしめた。


「――いやじゃないですよ。基地のみんなも大好きだけど。ラブリスさんも、大好きです。俺を認めてくれた時、本当にうれしかったんです」


 エドガーは、前から思っていた。


『認めてほしい』


 研究局時代はダメだった。ラトクリフが居たからだ。


 自己評価で十分な仕事をしていると思っていたが、生真面目なエドガーは、上司であり尊敬すラトクリフにこそ認めてほしかった。それがかなうことはついぞなかった。


 だから、傷心のエドガーを救ったのは、この基地であり、ステラであり、何よりラブリスだったのだ。


「感謝しています。俺はこの環境を、みんなを失いたくない。だから力を貸してください」


 しばらくそうしていただろうか。ふいにラブリスが、エドガーを突き放した。


 え……? と驚くエドガーに、彼女はいたずらっぽく笑う。


「ありがとう。エドガーくん。もう大丈夫。なんだか気が楽になっちゃった」


 そう言った、ラブリスの深紅の瞳には、光が戻っていた。


「借りるわね」


 そう言いながら、エドガーのピストルを奪う。


「ちゃっちゃとやってくるから、君はここに隠れていて」


 エドガーに顔を向けた。それは実に晴れ晴れとしたものだ。


「そうだ、これからはさ、名前で呼んでほしい。さん、じゃなくて。呼び捨てで、ラブリスって。あと敬語もなるべく禁止。まぁ徐々にでもいいけど……。親しみを込めて話してほしい。おーけー?」


「え、あ、はい」


「約束だからね、じゃ行ってきます」


 聞き返す間もなく、走り出したラブリスは兵士たちに発砲した。


 立て続けに放たれた銃弾二発は、容易に兵士の頭部を撃ちぬく。


 突然の事態に棒立ちになった最後の兵士に向かって、跳躍。そのまま組み敷き、頭部に銃口を押し当てる。


「騒げば、殺すわ。まぁ騒がなくても殺すんだけど」


 馬乗りになって、冷酷な視線を兵士に向けた。


 兵士はなすすべもなく手を挙げて無力化されてしまった。


 エドガーが自身の命をかけ、何とかしようとしていた兵士三人。


 ラブリスによって、あっという間に制圧されてしまった。


 あっけにとられるエドガーに、振り返ったラブリスは笑いかける。


「えへ? エドガーくんがやるんじゃ危ないから。やっちゃった。どうだった? かっこよかった? 惚れちゃった? そんなわけで、名前呼び、どーぞ」


 何か吹っ切れたような笑みをエドガーに向けるのだ。

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