第28話 リリサ・アンブレラの受難
その日、リリサ・アンブレラ技術中尉はなんとも言えない違和感を覚えていた。
それは少し前から。
彼女の敬愛する先輩であるエドガー・レイホウと電話した日。
その数日前から、誰も手配していないはずの生産済みのミラージュがすべて格納庫に集められた。
開発局ではミラージュ以外の兵器も平行して開発している。局の格納庫はそれぞれのセクションで共用になっている。ミラージュが格納庫を占拠した事で、他の部署からクレームが入ったのだ。
原因究明と対策さえ確立すれば、各地の現場で改修が可能だ。それなのに、なぜここに集める必要があったのだろう?
上司であるラトクリフは指揮権を剥奪され、局長室で不貞腐れている。彼の差し金ではない。ならば誰が? 最近めっきり顔を出さないベンメルだろうか。
(あの人、何なのかな。将官の息子なのはわかるけど、やる気も無さすぎる)
開発局の廊下を歩くリリサは、怒っていた。
(先輩なら、こんな事にはならなかったのに!)
ミラージュの改修案は難航していた。
構造材を再変更すると、完全に一から作り直しになる。
その場合は予算が降りない。補強的な修正で何とかせよとの命令なのだ。
リリサは、徹夜で修正案を作成していた。
不安は残るものの、現状よりはよほどマシにはなりそうなものは出来上がった。
とはいえ、エドガーが残した初期のデータには遠く及ばない。
リリサはエドガーとの実力の差を痛感した。
指揮権をなくしたラトクリフと違い、ベンメルは未だにリリサの名目上の上司であった。
エドガーには及ばないまでも、精一杯努力して作成したこの案をベンメルに見せ、許可を得なくてはならない。あのボンボンに何がわかるのだろう? と思わなくもないのだが、規則は規則である。
(もう、何言われても曲げませんよ! 先輩の残したミラージュを守るんです)
彼女はこれから行われるであろう、攻防に向け気合を入れなおす。
「失礼します。リリサ・アンブレラ技術中尉です。ご報告にあがりました」
しかし、ノックをすれども、部屋から返事は無いのだ。
(あれ、いない……? 仕事もしていないあの人が、どこへ行くの?)
訝しんだリリサは、そっとドアノブを捻る。
「え……、なんですかこれ! なんでこんなにめちゃくちゃに?」
そこは、まるで台風にでもあったかのような荒れ果てた部屋であった。
書類類は、床に散乱していたし、間接照明に使われていたライトは横倒しになっていた。
何かが起こった――、そうリリサが思うのに、十分な惨状がそこにはあった。
「べ、ベンメル少佐は⁉」
彼女も軍属者である。まずはベンメルの身を案じたのだ。
しかし、それどころではない事態が起こる。
――局内に響き渡る爆発音。
続く振動。明滅する灯。部屋に設置された本棚が次々と倒れた。
「きゃ、きゃああ――――――!!」
驚いたリリサはとっさに、しゃがみこんだ。
這いつくばって、机の下に避難する。頭を守ってうずくまった。
爆発音は、断続的に続いていた。
いくつかの破滅的な音と、悲鳴。犠牲者がいるのだ。
ようやく音が止んでも、リリサはまだ震えていた。
廊下の外から、切羽詰まった様子の声が聞こえる。大声で、誰かが誰かを呼んでいる。
けたたましく鳴り響く警報。大勢が走っていく足音。
火災も起こっているらしい。非常事態を知らせる館内放送が避難誘導を開始した。
それを聞きながらも、腰が抜けたリリサはすぐに立てずにいた。
「ううう、ううう、うえええぇ…………」
(何が起こったの? 怖い、怖いですよぉエドガー先輩ぃ……)
非常事態に慣れていない彼女は、ひたすらうずくまって、泣くのみだ。
その日、アゼルデン王国の王都郊外にある中央工廠開発局の格納庫で大規模なテロと推測される爆破事件が起こった。
現場は混乱しており、テロリストの特定は難航している。
爆発の中心となった格納庫には、アゼルデン軍の新型飛空艇MX‐4Fミラージュが計十六機が格納されていたが、一機残らず破壊されていた。
ミラージュは開発段階から問題が指摘されており、全機損壊につき同機体は開発中止を余儀なくされる。このテロでの犠牲者は行方不明者九名 死者十七名にのぼった。
なお、行方不明者の中に、元開発主任のベンメル・リベリア少佐が含まれている。
◆◆◆
「坊ちゃま。潜入任務、ご苦労様でございました」
高速隠密艇のタラップを降りる主人に対し、黒ずくめの男がうやうやしくかしずく。
「此度の、破壊工作もまことにお見事でございましたな」
かしずく男は五十歳を少し過ぎた頃だろうか。
軍人然とした厳しい顔。額からほほにかけて大きな傷と持っている。
年齢に似合わず、よく鍛えられた身体で軍服がはち切れそうである。
「ありがとうオーウェン。だがいささか疲れたよ。異なる人間をよそおうという事はなかなかに労力がいる」
「でありましょう。何も坊ちゃま自らが赴く任務ではなかったと、私は思うのですが」
「お前たちでは北方の血が濃すぎる。私は祖先にアゼルデンの血を持つからな。適任がいなかったのだから、仕方あるまい」
坊ちゃんと呼ばれた男は長身金髪の青年である。
オーウェンから渡された、軍服に袖を通す。
灰色と黒を基調とした、シックな軍服。アゼルデンのものとはまた違う。
「そちらの首尾はどうだ?」
「成功しました。『兜』の力は素晴らしいですな。一切の邪魔が入ることなく、任務は完了しています。――ただ」
「ただ、なんだ?」
「王女のほかにも、男を一人拘束しました」
「ほう?」
「すこし調べてみたところ面白い縁でした。これには坊ちゃまの方がよくお知りでしょう」
オーウェンはまとめられたレポートを青年に手渡す。
「ああ。確かにコイツのことは知っている。なるほどなるほど。面白いな」
レポートに目を通した青年はくっくっくと笑いを隠せない。
「ヤツにはいくつか話したいこともある。ぜひ面会をさせてもらおう」
「はい。そう言われると思い、艦内に」
「今すぐ会おう」
青年は先ほどこの艦に乗り込んだ。それまでは別の場所で別の任務に就いていた。
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