第17話 エドガー機関工房始動
「エドガーさーん、これでいいですかー?」
「オーケイ。次こっちの
「わかりました。そちらへ行きますね」
軽快な返事と共に、ステラがドック内を駆けていく。
前を通りすぎると、よく洗濯されているオレンジ色の作業着から爽やかな香りがした。機械油と鉄粉にまみれたドックにあって彼女の存在は、一服の清涼剤だ。
ステラちゃんがいると、工房が華やぐなぁなんて、エドガーはしみじみと思っていた。
ポニーテールにまとめられた髪が泳ぐ。
汗が光る横顔が陽光に輝くのだ。
(いや、ほんとに可愛いな。この子)
とエドガーの頬も知らず知らずに緩む。
『お、その顔。にやけてんね。女の子はいいよね。柔らかくてふわふわでいい匂いでな。跳ねるみたいに走るもんなぁ。ほれ、ステラちゃんツナギ越しでもぽいんぽいんだぞ。相棒もそう思うだろう?』
「……顔に出てた?」
『出てたねぇ。鼻の下が伸びてたよ、びろーんとな』
「……気を付けるよ。セクハラで懲罰は勘弁だからな」
エドガーの肩口に浮かび、フランクな調子でしゃべりまくっているのは、直径三〇センチほどの黒いキューブだった。
魔導コア月光の本体から分離し、空間に投影された仮想霊体。
本体からおよそ百メートルまでの範囲で自由に出現させることができ、遠隔で月光への命令とコミュニケーションを可能にする機能だ。
これによって、コンソールに張り付かなくても月光を使用することができる。
『相棒はずいぶんお堅いねぇ。ディムはいつでも軽口ばかり叩いていたぞ。アイツはとにかくスケベだった。英雄色を好むだな。軍法会議がなんぼのもんじゃい。相棒もあいつを追いかけるっていうなら、見習ったらどうだい』
「頼むよ、グラナダを汚さないでくれ。……ほんとに、そういう人だったの? 他に彼のエピソードない?」
ユルシカ基地に赴任してから二週間が経過している。
エドガーが霊子戦で制圧した魔粒子縮退炉は平常運転に移行し、現在では豊富な魔素動力を基地に供給していた。
縮退炉の動力を使えるようになったことで、エドガーとステラはこの倉庫ドックを本格的な兵器工場に変えることを決め、整備を始めているのだ。
また、起動した魔導コア月光は、伝説の技術者ディムルド・グラナダの情報を保持しているらしく、同じ技術者であるエドガーが預かることになった。
しかし、この月光が曲者だ。
『お、ステラちゃーん。背伸びすると、お尻のラインが良い感じ。かーわーいーい。えっちー』
「うっさい、スケベ人工精霊。酒場の飲んだくれみたいな絡みしないでください」
飛んで行った月光がヤジを飛ばす。
ステラは手に持ったバインダーで追い払おうとしているのだが、すいすいと自在によけられて顔をしかめていた。
(ほんとにエロ親父なんだよなぁ、あいつ)
起動直後から好き放題喋りまくり、セクハラを繰り返す様を見て、これ本当にグラナダの遺産か? とエドガーは疑問を感じはじめていた。
『むむ、相棒から俺様ちゃんへ熱のこもった尊敬のまなざしが送られている』
「送っていない。あきれてるんだよ」
『まぁまぁ、そういう事にしとこ? ……それにしても、相棒。あの赤毛の姉ちゃん、本当に王女様なんだなぁ』
呆れられていることをさすがに気にしたのか、月光は無理やり話題を変えたようだった。
『アゼルデンも立派になったじゃねぇか。俺さまちゃんが活動していた時は、侵略されて滅びる直前だったんだぜ。当時のお坊ちゃま王子に、俺さまちゃんたちが手を貸さなきゃ隣国あたりにとられてたな。それが、今では立派に近代国家になってるなんてなぁ……。うう、泣けるねぇ』
「俺もびっくりしたよ」
赤毛の王女。この基地の指令であるラブリス・ティア・アマルティアだ。
縮退炉から戻ってきた彼女と面会したエドガーは正式に彼女から名乗りを受けた。
基地司令でもあり、皆から姫と呼ばれる彼女は、エドガーたちが暮らすアゼルデン王国の第一王女だった。
アゼルデンは、約九百年もの長い歴史をもつ。
過去は君主制であったが、現在は両院議会を有する立憲君主制の国家である。
やんごとなきアゼルデン王室の人間は、本国で外交や祝典などの公務に従事しているはずなのだが、なぜか彼女はこの辺境の軍事基地にいた。
戦時中ならばともかく、うら若い王女殿下がこんな南方で基地司令をやっている理由が、エドガーにはわからない。
あの人のことなら、『面白そうだから』みたいな理由かもしれないけど。
あるいは、王家の直轄でないと駄目なくらい、基地の秘匿性が高いとか?
月光とか、グラナダの縮退炉とか普通じゃないもんなぁ……。
とエドガーは思考を弄んでいた。
『む、ロイヤル美女の気配をセンサーが捉えたぞ! おい相棒、噂の王女様が騎士を連れてここに向かってきている。しっかり出迎えをしないと首が飛ぶぞ!』
「はいよ。おーいステラちゃん加工肢の調子はよさそうだ。ラブリス大佐が来るそうだからこっちに来て」
どのみち、環境さえ与えてくれるなら、精一杯やるだけだ。
とエドガーは、疑問を胸に秘めることにする。
◆◆◆
「やっほー! 私だよ!」
倉庫ドックに現れたラブリスは開幕一番、大音声でポーズを決めた。
右手を高々と掲げ、左手は腰に。絶妙にひねりを加えた腰付きで大見得を切る。
「一同、姫殿下の御前です。はい、歓声」
『「「きゃー、らぶちゃん殿下カッコカワイーー」」』
ここまでが合言葉である。予定調和のコール&レスポンスである。
「よろしいです。皆さま、以後楽にどうぞ」
ラブリスの側に控えた黒髪の青年が静かに許可を出すと、エドガーとステラは歓声のポーズを解いた。
「うんうん。エドガー君も、ステラもドックの改修作業、順調そうね」
「ええ。大佐が資源を調達してくださったおかげで滞りなく作業が進んでいます」
「ノンノン! エドガー君、作戦行動中以外では階級呼びはしないって約束でしょう? 私のことは、ラブちゃん殿下、もしくは姫と。あ、でも命の恩人のエドガー君になら、『ラブリス』って名前で呼び捨ててくれてもいいかなぁ」
しなを作ってエドガーの背に手を回すラブリスにエドガーは笑顔を引きつらせた。
「そんな恐れ多いことできませんよ」
この王女。作戦行動中の凛々しい姿と裏腹に、それ以外では壊滅的に変人だった。
中央工廠を追われたエドガーをしても、この人が基地司令で大丈夫なのかと本気で心配するほどだ。
「えー、いいのよ? ラブちゃん殿下はアゼルデン一フレンドリーな王族として有名なんだから」
「いや、そうは言ってもですね」
「おーかーたーい! お堅すぎるわエドガー君! 今は王族でも自由恋愛を推奨しているよ! 私の弟なんか、毎日女の子をとっかえひっかえ遊びまわってるんだから!」
「ええ、それ大丈夫なんですか? そのパパラッチとか……」
「知らないわ。あの子のお付きの人たちが何とかしてるんでしょう?」
まったく考え無しの王族ってやーねぇ、とカラカラ笑った。
ステラに聞くには、彼女はいつでもこうなのだという。
明るく、朗らかで懐の深い基地司令。
彼女の納める第五十三ユルシカ島基地はアットホームな雰囲気に包まれている。
「ラブリス様。そろそろ本題に」
とはいえ、風紀を引き締める人物も必要である。
彼女の側に仕えるのは、クラウス・オーレンという青年だった。
精悍な表情でいつもラブリスの側を離れない彼は、少佐という階級も持ってはいるものの、ラブリスの近衛騎士という立場なのだという。
「エドガー。今日はあなたに仕事を持ってきたのです」
「あ、はい……。何ですかね」
実はエドガー、彼を苦手としている。
彼との初対面は、ラブリスと出会ったのと同時である。
彼らが縮退炉から上がってきた後、ラブリスが基地の面々にエドガーを紹介した。新たに来てもらった技術者よ! ユルシカ基地の新たな仲間を歓迎してあげてね! と。
その時、クラウスはジロジロとエドガーを値踏みした。
そして一言。
「貧弱ですね。少し鍛えなおさないと、姫様のお側には置けないかと」
出会いがしらの否定だ。ラトクリフにさんざんいじめられた傷が残るエドガーはそれで萎縮した。挙句に。
「出てきなさいエドガー、午前中の訓練です。あなたも参加しなさい」
と、朝の訓練に引きずりだすようになった。
彼はラブリスの護衛の傍ら、基地の実働部隊隊長も兼任している。
「走れ貴様ら! そんな体たらくで姫様をお守りできると思っているのか! 声をだせ! 気勢を上げろ! 豚小屋の豚でももう少し威勢がいいぞ‼」
異常に鍛えられたゴリラの群れの中で、もやしのエドガーも一緒に走る羽目になっている。技術士官として赴任しているエドガーは、基礎体力訓練は免除されているはずなのだが……。
とはいえ、おかげでエドガー、中央工廠時代よりずいぶんと健康的になっていた。
身の回りの世話をステラがしてくれるから身なりもこざっぱりとした。
軽装の軍服の上に白衣というセンスはどうかという声もあるのだが。
エドガーはクラウスの顔を見るなり、今朝の走りこみと筋肉トレーニングを思い出した。
浜辺でのダッシュ数十本と、むくつけき男たちに交じっての地獄の筋肉イジメ……。
胃酸がこみ上げてきた。まだまだ彼はもやしである。
「――ってわけでね、エドガー君には直してほしいものがあるのよ……、って聞いてるかな?」
「すいません。今朝の訓練の時にはいたゲロの味を思い出して意識が遠のいていました」
『相棒は毎日訓練後に一時間は寝込んでるからなぁ。ディムは毎日ゲロ吐くほど酒を飲んでも翌日にはぴんぴんしてたぞ。相棒は繊細だぜ』
挙句、月光にも煽られる始末だ。
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