第10話 ステラのお願い

「ちょっと待っていてくださいね。すぐに終わりますから」


 そう言って、彼女はシャワールームに消えた。


 光をかざせば、簡単に透けてしまいそうなカーテンが一枚。

 こちらとあちらを区切るのはそれだけだ。


 エドガーの耳に、パチャパチャと跳ねる水の音が響く。

 あたたかな湯気と湯の香りが鼻孔をくすぐった。


「言っておきますけど、エドガーさん。覗いたらだめですからね」


「うん。わかってる。けど、なんで急にシャワーを……?」


「何言っているんですか? 外から帰ったら浴びますよシャワー。それに女の子はいつでもキレイに気を使うんです」


「あー、あー、そう。そうかぁ」


 エドガーにはさっぱりわからない。


「やだ……なんかべとべとしてる。これだから海の風は……」


 なんてつぶやいている声もした。


(女の子の考えることはわからん……)


 彼はステラの考えを汲むことを放棄した。


 朴念仁を絵にかいたようなエドガーに女心を理解することはできない。


 だから、せめて下心が透けることだけは避けようと思って室内に目を移した。


 もともとは管理室なのだろう。


 人が寝泊りできるように改造がなされているが、ステラのようなうら若い女の子の部屋とは思えないほど無骨で、実直で、機能的だった。


 魔導機関や造艦、錬金加工肢の技術書が並んだ本棚。


 デスクは大きな作業台になっていて、壁には工具がかけられている。


 部屋の一角はカーテンで仕切られ、シャワールームになっていた。


 設備が限られた軍において自室にシャワーがあるというのは破格の待遇だろう。


 別の壁の小さなコルクボードには、数枚の写真が飾られていて、真新しい軍服姿の少年少女たちと共に写る彼女がいた。今の彼女よりも少し幼いだろうか。


「君も技術者だったんだ」


 シャワーが終わったのだろう。タオルで身を拭く音がする。それがまたエドガーの耳を刺激するのだが。


(お、落ち着け。動揺を悟られるな)


 と務めて平静を装った。


「私は軍人でただのメカニックですけどね。今日は非番だったんですけど、どうしても手が離せないから行って来いって。お前の上官になるんだからって。あ、申し遅れましたが、私、この倉庫の前任の管理者です。階級は伍長。今日からエドガーさんの指揮下に入ります」


「伍長? ……ステラちゃん、君、軍隊教育ちゃんと受けてる?」


 エドガーが驚いたのも無理はない。


 アゼルデン王立軍において、伍長は下士官の中でも最下層だ。


 一般兵士ではないとはいえ、それでも下っ端であることにはかわりはない。


 エドガーは、技術士官とはいえ大尉相当官だ。


 彼の常識ではステラの関わり方は上官に対するものとして、あまりにフランクだった。


「エドガーさんって階級至上主義ですか? 嫌だなぁ、そんなんじゃここでやっていけないですよ」


「いや、でもそういうものじゃないの」


「私は嫌です。そんな上官がどうとか、階級がどうとか堅苦しい感じ。これから一緒に暮らすのにそんなの疲れちゃいますよ」


「だけど、軍規律というのはそういうものだって言われてて――って、今なんて言った君?」


 さっとカーテンが開けられる。


 そこには、オレンジ色の作業着に身を包み、きれいなミルクブロンドの髪をポニーテールにまとめたステラが立っていた。


「ここ、これからエドガーさんの部屋にもなります。私とエドガーさん、これからルームメイト。いつでも一緒です。ベッドも隣です。食事も私が作りますね。変なことしないでください。――いや、それは駄目か……。一応、聞いてからにしてください。私も心の準備があります。……でも、その前にどうか私を助けてほしいんです」


  ◆◆◆


 南国の第五十三駐屯部隊。

 通称「ゴミ箱」部隊は、規律も何もない無法地帯。


 放り込まれるのは、どこの部隊も持て余した無能の厄介者ばかり。


 入ったが最後、二度と出てこられない軍人の墓場。


 それが、エドガーが聞いていたこの基地の噂だった。


「一部正しくて、一部間違っています」


 ステラがいうには、一般的な軍規律が機能していないのは事実だそうだ。


 それは、基地司令官の方針なのだという。


「あと、『どこの部隊も持て余した』は正解。でも、無能じゃない。『姫』はそんな人材を求めないです」


 基地司令を務めているのは姫と呼ばれる女性であるらしい。


 あだ名だろうか。部隊によっては、指揮官自らボスであるとか、カシラであるとか、好きに呼ばせる事があるとエドガーも聞いていた。


 それならば、この部屋に専用のシャワールームがあるのも納得できる。


 本当に欲しいものは、同性が知っている。


「基地に来る人はみんな有能な人ばかりです。そしてエドガーさんもそうなんでしょう?」


「そ、それはどうだろう」


 苦笑いでエドガーは自身の軍用端末をタッチした。


 気持ち悪くて職場を追い出された者は果たして有能なのだろうか。


 エドガーの操る端末から伸びたケーブルの先にあるのは、一メートル程度の黒曜石でできた黒い立方体だ。


 紫に薄く発光し、時おり、虹色の情報伝達軌跡ムーバーラインが浮かんだ。


 何百層と重ねられた極薄の黒曜石板に刻まれた魔法刻印が、微細びさいな光を断続的に放っている。


「これ、ずいぶん物騒な代物だよね。こんなもの、辺境の基地にあっていいものじゃないよ。今は休眠中みたいだけど……」


 エドガーの眼のまえにあるもの。


 それは人工精霊ホムンクルスマキナ搭載型、魔術刻印ルーンティック多重集積情報処理ユニットという。


 通称を『魔導コア』


 近代魔導工学の極地にして、高級魔導兵器の頭脳ともいえるパーツである。


 アゼルデン軍でも、戦艦級の水上艦や、防衛基地の制御ユニットとして数台しか稼働していない。超高性能の演算機械に搭載された人工精霊は、多数の魔導兵装を無人でコントロールし、自立駆動を可能とする。


 本来、戦艦などの大型軍事兵器に必要な人員は莫大だ。


 しかし魔導コアなら、それだけで熟練の兵士、数千人に匹敵する。


 つまりこの物体は、一個連隊に匹敵する価値がある。


 これを直してほしい。


 それが、ステラからエドガーへのお願いだった。


「二年間、ずっとこの子の起動を試みてきました。私もメカニックのはしくれです。魔導コアの構造を一から学んだりもしました。信頼できる本国の技術者を招いた事もあります。でも動かないんです」


 ステラの可愛らしい顔には似合わない苦悩がにじむ。


「姫はエドガーさんに、このコアの再起動をしてもらえと言っていました。エドガーさんならできるから、と」


「ずいぶん買い被ってくれたね、その姫も人使いがあらい」


 端末のディスプレイには、コアの内部回路の解析結果が表示されている。


 ほとんどの機能が停止しており、先ほどから、起動命令は弾かれ続けている。


「情報伝達軌跡は通ってるんだ。壊れてないはずだけど動かないのはなぜだ。やっぱり動力不足かなぁ? 最新式のコアの定格以上を流してるんだ。これ以上って、戦艦級の全動力でもなきゃ、まかなえないはずなんだけどなぁ」


「エドガーさんでも、駄目そうですか?」


 不安そうな顔をしたステラが聞く。


 確かにこれはやっかいな仕事だけど……。


 エドガーの心は不思議と平静を保っている。


「君のボスは、俺にこれを直せって命令したんだろ? なら何とかするさ。――でも言いたいことはある。君、何でそこまでするの。今日初めてあった男に色仕掛けなんてして、挙句に好きにしていいだなんて。その姫とやらに何か弱みでも握られているの?」


 ――それは、その、とステラはバツの悪い顔で言い淀む。


「色仕掛けしてるって、ばれました?」


「最初から、変だなと思ってたけど、さっきの発言で確信した」


 エドガー、この基地に来てからようやく頭が回り始めている。今も目の前に鎮座する魔導コアというめったにお目にかかれない代物に好奇心が隠し切れない。


「今までの人は、すぐ手に負えないって逃げちゃったんです。もしくは壊れてるからあきらめろと。そのたびに口止めをして、大変だったから……。その、篭絡できれば、有利かなって。……ごめんなさい」


 まぁ、そんなところだよね。とエドガーは思った。


 一瞬でも春が来た? と喜んでいたのが恥ずかしかった。


「言っておくけど怒ってないからね。それに多分だけど、君の案じゃないでしょ? おかしいのは、そのとやら姫だと思う」


 女をあてがってまで仕事をさせる。


 まだラトクリフのように怒鳴って働かせるほうが潔いと思った。人一倍兵器を愛する彼には、それがなんだか兵器に対する侮辱のような気がしてならない。


「そんなことしなくていいんだよ。もう階級の事もとやかく言わない。どうせここしか行くところなんて無いんだから、なんでも言う通りするよ。諦めたりもしない」


「はい。どうかお願いします」


 少し言い過ぎたかなと思ったが、その分仕事で返そうとコアに向き直る。


(しかし、このコアはいったい、どこ製の第何世代だ? いやそもそも規格があるのか? 魔導コアもいくつか触ったことあるが、こんな仕様初めて見るぞ……)


 解析した回路の様式からかなりの年代物であることがうかがえる。


 しかし、刻まれた魔術刻印が理解不能だ。こんな書式は見たことがない。


 さらに、密度が異常だった。


 精緻にして、極小。既存のものと比べて何もかも異質だ。


「こいつ、どこから来たものかステラちゃんは知っているの?」


「いえ、私も詳しくは……。でも姫は、『遺産』の一つかもしれない、と」


「これ、グラナダの遺産なのか……!」


 目指すべき前大戦期の大技術者、ディムルド・グラナダ。


 エドガーをして敵わないと言った彼が残した遺物。


 それが目の前にあると知って、エドガーのやる気が燃え上がる。


「へぇ……、俺。燃えてきたよ……。こんなものを前にして逃げ帰るなんて俺の前に来た技術者たちは三流以下だね。ふふふ……腕がなる」


「なんとかなりますか?」


「なんとかするのさ」


 エドガーは猛烈な勢いでコンソールを叩きはじめた。


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