91.こんな嘘なら許されるはずよ

 朝食の席で顔を合わせたオスカル様は、小声で「黙っていよう」と呟き、視線をエルへ向けた。エルはまだ一緒に食事ができる年齢ではない。それでも食堂へ同行させていた。侍女バーサがエルを抱いて近くに立つ。


 昨夜のエルが立った話は、私とオスカル様の秘密になった。楽しみにしているお祖父様達をがっかりさせたくないわ。素知らぬ顔で食事を始めた。バーサの抱っこに飽きたエルは、下ろせと腕を振り回す。


 這い這いを始めてから、腕の力が強くなった。足も絨毯を蹴飛ばすせいか、太くなった気がする。すぐに用意された絨毯の上に下ろされ、エルはご機嫌で這い這いを開始した。食事をしながらも、気になって視線がエルを追ってしまう。


「お義母様、パンのバターが垂れてしまいます」


 リリアナに注意され、バターを染み込ませたパンを口に入れた。ありがとうと伝えた語尾に、お祖母様の声が重なる。


「エルが、立つわ!!」


「立ったぞ!」


 お祖父様も大喜びし、お父様やお母様も口々におめでとうと声を掛けてくれた。うまく家族が集まった場で立ってくれて良かった。そう思ったのに、はっと気づく。ひいお祖父様がいない。まだ離宮にいるひいお祖父様は、昨日あんなに楽しみにしてたのに。


「どうしたの」


「ひいお祖父様が楽しみにしてらしたから……お気の毒で」


「なら、エルはまだ立っていないな」


「ええ。私も歳のせいか勘違いしたようですわ」


 お祖父様とお祖母様がそう笑って、見なかったことにする。お父様は大急ぎで、離宮へ使いを出した。侍女達も顔を見合わせ、微笑みを浮かべる。何くわぬ顔で食事を続け、ひいお祖父様の到着を待った。


 他の侍女が取りに走った木製の玩具を並べ、エルの気を引く。バーサが積んだ玩具を、エルは崩して声を立てて笑った。這い這いして移動し、エルはごろんと寝転がる。このままでは眠ってしまうかも知れないわ。


 心配になった私が席を立とうとした時、ひいお祖父様が入室する。


「おお! 立ちそうだと聞いたぞ。どうだ?」


「今は遊んでいますわ」


 よく響く大きな声に目を見開いたエルは、興奮した様子で体を揺すった。離れた位置に置かれた私の椅子まで這って、がしっと椅子の脚を掴む。腕に力が入り、エルは期待通り立ち上がった。


「あう゛! だぁ!」


 どうだと言わんばかりの声を上げ、エルは両足を踏ん張る。頭が大きいから今にも倒れそうだけど、バーサが巨大クッションで受け止める準備をしていた。


「エル、すごいわね」


 リリアナの褒め言葉に、にこにこと笑顔を振り撒くエル。感動しすぎて崩れ折れて泣き始めるひいお祖父様。どちらも微笑ましくて、私は幸せを噛み締めた。


「ナサニエル陛下が間に合って良かったです」


 穏やかな口調でオスカル様が締めくくり、私達は目配せしあって「そうね」と相槌を打った。それぞれ少しずつ意味は違うけれど、秘密を共有する。エルはすぐに尻餅をつき、バーサのクッションに受け止められた。

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