90.成長を目撃するのは運次第

 エルが掴まり立ちに挑戦した話は、あっという間に伝わった。ひいお祖父様は離宮から駆けてくるし、お祖父様やお祖母様も仕事を放り出す。宰相閣下やベルトラン将軍が、渋い顔でお二人を回収した。


「わしはもう隠居じゃ」


 関係ないと言い張ったひいお祖父様は、エルを膝に乗せてご機嫌だ。とても微笑ましい光景だけど、問題があった。


「ひいお祖父様、エルを抱っこしていては立つところが見られませんわ」


「あ、ああ。そうだな」


 残念そうにエルを絨毯へ下ろす。ひいお祖父様や侍女が見守る中、エルは這って移動し、ソファの足を掴んだ。手にぐっと力が入る。足の裏をしっかり絨毯に押し付け、ぐいっと身を起こしかけ……ぺたんと尻をついた。


 息を呑んで見守る周囲から、ほぅ……と息が漏れる。ついつい握り締めた拳を解いて、苦笑いするひいお祖父様が目を逸らしたその時、再び挑戦したエルがぐいと立ち上がる。


「エルっ!」


「え? 見逃したかっ!」


 叫んだ私とひいお祖父様の声に驚いたのか、エルはそのまま後ろへ倒れた。咄嗟に動くが遠い。間に合わないかも!


「おっと、間に合ったか」


 ひいお祖父様が寝転がり、自分の体で受け止める。手を伸ばすより確実で早いわ。お礼を言って、きょとんとした顔のエルを抱き上げた。じたばたと動いた足が、ひいお祖父様の頬を蹴飛ばす。


「大丈夫ですか?」


「なんとも力強い。きっと大きく立派に成長するぞ! はっはっは」


 大喜びで褒める様子から、問題なさそうだと判断した。外交のお仕事を手伝っていたお母様は、ひいお祖父様の赤くなった頬を見て肩を竦める。


「あちらの件は片付きましたの?」


「すまん、途中だった」


 お母様の呆れ半分の指摘に、慌てたひいお祖父様は離宮へ戻って行った。よほど急ぎの仕事なのね。


 エルが立ち上がりそうだと報告を受けたお父様は、仕事が終わってすぐに顔を見せる。だがまだ成功していないと聞いて、明日の休みを検討し始めた。皆がここまで楽しみにしてくれるなら、エルも頑張れるわね。


 明日はきっと立つに違いない。親族のそんな期待を背負ったエルは、お風呂に入って温まるとすぐに眠った。重いエルをベッドに下ろし、いつまで抱っこできるかしらと感傷に浸る。リリアナはまだお風呂に入っており、侍女が着替えさせてくれるだろう。


 夕食を一緒に食べられなかったオスカル様が戻り、寝る前の挨拶に来てくれた。


「明日は皇族が全員集まりそうですね」


「ええ、明日立つか分からないけれど、期待されるのは……あっ!」


 話しながら振り返った私は、驚きの声を上げる。眠らせたはずのエルが、柵に掴まって立ち上がっていた。


「立った……」


「立ってます、よね」


 二人で同時に呟き、顔を見合わせて笑い合った。エルの成長が嬉しくて抱き付いたが、慌てて離れる。赤くなった私達を、お風呂上がりのリリアナが不思議そうに見つめていた。


「お義父様、お義母様、熱があるの?」


「「いえ」」


 同時に返して、ぎこちなく挨拶をして別れた。エルをきちんと寝かしつけ、リリアナを抱いてベッドに入る。どうしましょう、明日……余計なことは言わない方がいいかしら。エルが立ったと言うべきか迷いながら、その夜は眠りについた。

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