57.私はここが一番好きです

 予定した最後の候補地へ向かう馬車の中で、上着をお返しした。本当は洗って返そうと思ったのだが、寒いと言われたら……返すしかない。迷いに迷った末の決断に、彼は「お気遣いなく」と微笑んだ。こういうところ、本当に紳士的だわ。帝国の貴族が紳士なのか、それともモンテシーノス王国の貴族がおかしいのか。


 がたんと大きく揺れた馬車が止まり、最後の候補地へ降り立つ。森の中、鳥や獣の声や葉擦れの音がするのに、不思議な静寂も感じ取れた。夜になると静かすぎるかしら。先ほどの街中とは逆で、誘惑はなさそう。


「静かですね」


「ええ」


 緑が豊かなこの地に新しい屋敷を建てるとなれば、数年がかりの大工事だった。大公家という格式を考えるなら、街中より相応しい気がする。でも最初に見た街の向こう側にあった土地もよかったわ。私が住むわけでもないのに悩みながら、ぐるりと見回した。


 小さな野ウサギが走って行く。色鮮やかな赤と黄色の鳥が木々の間を横切った。素敵な場所だわ。もちろん屋敷が出来たら、野生の動物は近づかないと思うけれど。


「気に入りましたか」


「私はここが一番好きです」


 今まで見た中で、落ち着きそうだから。でも住むのは私ではなく、大公家の皆様だった。だから自分の感想だと伝えるために「私は」と口にする。少し考えた後、オスカル様は「決めました」と笑った。でもどこを選んだのか言わないので、尋ねない。寂しいけれど、部外者だもの。


 手を取って馬車に乗せてもらい、我が家の方へ向かう。宮殿の屋根が見え始めたところで、思ったより近いと気づいた。


「こんなに近かったんですね」


「ええ。数代前に大公家が屋敷を構えた土地なんです。現在は使用していません」


 そんな土地があるなら、使えばいいのに。自分の考えが貧乏くさいのかしら。新しい土地を見に行ったのだから、あの土地に何か不満があるのかも。宮殿が近すぎる、とか?


 太公家ともなれば、皇帝陛下の兄弟が継ぐ格式の高さだ。普段から呼び出される可能性があった。遠ければ、距離や時間を理由に断れる。いろいろ考えたけれど、オスカル様の代になれば関係ないのだと思い至った。


 皇帝陛下の末の妹君の息子、かなり血筋は遠い。さらに代替わりしたら、皇太子殿下の従兄弟になる。いろいろ考えている間に、屋敷の門をくぐった馬車は速度を落とした。森を抜けて見えてきた屋敷は、まだ我が家と呼ぶほど馴染んでいない。


「いい屋敷ですね。二階を造らないのは、財と権威の象徴です」


 他国では王家が高い塔を建てて見下ろすけれど、カルレオン帝国は逆だった。広大な敷地に平らに屋敷を建てる。二階や三階がある建物より建築費がかかる上、広さも必要だった。贅沢の最たるものと聞き、納得する。


 宮殿も迎賓館も、太公家だって同じ造りだった。私の視点は少し違って、全部の部屋から庭へ出られること。移動の際に階段がないことの利便性が気に入っている。そんな話をする間に、馬車は玄関前に止まった。


「どうぞ」


 先に降りて手を差し伸べるオスカル様に甘え、迎えにきたお母様に声をかけた。


「ただいま戻りました。お母様、オスカル様を晩餐にお誘いしたいのですが」


「あら、素敵じゃない。私からもお願いするわ」


 お母様と私で押し切る形になったけれど、オスカル様は了承してくれた。

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