4-12 捻れた夢
男性は灰色のスーツ姿で、女性は落ち着いた雰囲気のニットとスカート姿だ。私の両親と同年代に見える二人は、私の大切な人の生みの親だと一目で分かった。相手も、私が何者なのか一目で分かっていたのだろう。秋風に髪と衣服を
「倉田澪さんですね。
男性が――彗のお父さんが、穏やかに言った。声のトーンが、驚くほど彗にそっくりだ。声だけではなく
私が「はい。初めまして。倉田澪と申します」と答えると、彗のお母さんが目を細めて「息子が、いつもお世話になっております」と鈴を転がすような声で言ったから、「こちらこそ……」と返事をしかけた私は、
黒髪を肩口で切り
「お会いできて、嬉しいわ」
「積もる話は、うちに着いてからにしようか。時間は、大丈夫?」
「はい。よろしくお願いいたします」
彗の両親と一緒に、桜並木の道を歩いた私は、相沢家に案内された。高校からほど近い住宅街に
一階の和室に通されると、
「あの……彗さんの、お父さん。今日は、仕事を抜けてくださったんですか」
「ああ、気にしないで大丈夫だよ。半休を取っているから」
「すみません。事前の連絡もなく、急に押しかけるような形になってしまって」
「いいんだ。画家として生きるために、フランスに渡ろうとしている息子と、一緒に生きる覚悟を決めてくれた人が、ここまで来てくださったんだから。僕たちは、あなたにお礼を伝えられる日を、心待ちにしていたんだよ。倉田さん、ありがとう」
「そんな……お礼だなんて、私……」
「私たちは、彗から聞かされていたんですよ。近いうちに、私たちに紹介したい人がいる、って。どんな子か教えてってせがんだら、ちょっと照れた顔で、高校の後輩の女の子だって教えてくれたわ。あんな顔をした彗を見たのは、初めてだった」
彗のお母さんは、私の前に温かいお茶を置いてから、彗のお父さんの隣の座布団に腰を下ろして、
「そんなにも大切な人を、ここに一人で来させるなんて。本当に、仕方ない子ね。ごめんなさいね。澪さん、とお呼びしてもいいかしら」
「はい」
私は、膝の上でぎゅっと手を握りしめて、返事をした。こうして痛みを意識していないと、涙が
「私たちは、後悔しているの。
「後悔、ですか?」
「ええ。あのときの私たちは、一哉くんが亡くなった理由を、知らなかったから。知っていたら……彗にだけは、教えなかったのに」
彗のお母さんは、言葉を
「
――この男の子が、
「この写真は、じきに手放そうと思っているんだ。思い出に罪はないと分かっていても、今の彗の
私は、顔を上げた。彗のお父さんは、骨ばった手をテーブルに伸ばして、
「壱河さんの家とは、家族ぐるみの付き合いがあったけれど、あるときを
あるときを境に――
「交通事故のことを、知っているんだね。あの事故で、彗は右腕に
「責任……?」
「あの事故で、車に
息が、止まった。午前四時のミモザの下で、彗が私に伝えた言葉が、胸に
――『歩道に車が乗り上げたときに、腕を
将来を担う右腕を、
「彗が身を
彗の分まで――前向きな言葉のナイフが、心の動脈を切りつける。壱河一哉さんに、悪気はないのだと分かっている。でも、午前四時の
「私たちは、一哉くんを恨んでいないわ。彗だって、割り切れない思いがあるはずだけど、一哉くんを助けたことを、後悔していないって言っていたもの。でも、一哉くんは……せっかく入った美大を、二年で中退していたみたい。
「壱河一哉さんは、そのときの怪我の所為で……怪我をする前までのような絵を、描けなくなったんですね」
ぽつりと私が呟くと、彗のお母さんは口ごもった。そんな妻の肩に、彗のお父さんが手を乗せて「大丈夫。全て話そう」と言ってから、改めて私に向き合った。
「彗に
「え……? あの、それじゃあ、腕とか、手とか、目は……無事だったんですか?」
「うん。画家としての将来に、影響を及ぼすほどの
「じゃあ、壱河一哉さんが亡くなった、本当の理由は……」
このときの怪我が理由で、望む絵を描けなくなったからでは――ない。彗のお母さんが、また目を
「先日、彗が
「……自殺だったことは、彗さんから聞いています」
私に気を使ってくれたことが分かったから、話を
「こういう場合は、警察の現場
――遺書。その
「僕たちは、壱河さんの家を訪問してから、遺書のことを知ったんだ。一哉くんのご両親は、良識のある方々だけれど、中には口さがない親族の方もいてね。遺書の内容を喋っていたんだ。彗を、
――ああ、と思った。私は、ゴッホの『
「壱河さんのご両親からは、
その時期は――私が高校を卒業して、夜明けの世界で、彗と再会した時期だ。
「右腕の
――『彼の作品は、審査には
――『もう何年も、一哉とは連絡を取っていなかったんだ』
訃報を受けた日の朝に、そう語った彗の気持ちも、やっと分かった。二人は、互いのために会わないと決めただけではなくて、きっと彗は、どこかで壱河一哉さんの絵を知った。そして、秋口先生と同じ評価を下したのだ。
「遺書の結びには、彗と出会わなければよかった、と書かれていたよ。……つらい話を聞かせてしまって、ごめんね」
彗に似た声で謝られたら、涙を
「どうして、こんなに……私に、教えてくださったんですか」
「理由なら、もう伝えたよ。倉田さん……澪さん、と僕もお呼びしていいかな。澪さんは、画家の彗と、一緒に生きる覚悟を決めてくれた人だから」
彗のお父さんの微笑みには、怒りも悲しみもなかった。光が影を生むように、影は光なくしては生まれないということを、ちゃんと知っている大人の顔だ。彗のお母さんも、夫とよく似た微笑を作ると、初めて明るい声で言った。
「澪さん。よかったら、あの子の部屋を見ていってくれないかしら」
「彗さんの? えっと、いいんですか? 勝手に……」
「部屋というより、
彗のお父さんが、
でも、二人はどうして、私に彗の部屋へ行ってほしいのだろう。
「私たちは、澪さんに希望を
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