4-16 別れの挨拶
数か月ぶりに訪れた
「ケイ、ミオ、どんどん食べてね。今日の主役が遠慮しちゃだめよ?」
「アリスさん、ありがとうございます」
「このレバーパテ、美味しいです。アリス、また作り方を訊いてもいいですか?」
「もちろん。ミオは、いいお嫁さんになるわね」
にこにこしたアリスは、金髪を緩く一つに束ねていて、毛糸のセーターが暖かそうだ。二月の下旬に差し掛かり、寒さが
そのとき、向かいの席でお
「澪ちゃん、指輪を見せてくれる?」
「絢女先輩は、一緒にここに来る途中で、見てるのに……」
もじもじしていると、高嶺さんまで「それなら、僕に見せてくれるかな」と爽やかに言って、私にお祝いを伝えてくれた。
「
「ありがとうございます……」
観念した私は、そろりと左手をみんなの前に差し出した。薬指にはめた婚約指輪は、細くてシックな金色で、台座には小粒のダイヤモンドが光っている。なんだか自分の指ではないみたいで、手を見下ろすたびにドキドキしている。
「いいなあ、素敵!」
巴菜ちゃんが、華やいだ声を上げた。そして、私たちがいるダイニングテーブルではなく、窓際のローテーブルに取り皿を置いた
――彗のフランス留学が、三週間後に迫った今日。
「まさか、友達が大学在学中に婚約するなんて……澪ちゃん、早すぎるよ」
巴菜ちゃんは、オーバーリアクションで眩しそうな顔をしている。「えっと……自分でもびっくりしてる」と答えた私は、今までのことを回想した。
――
まず、故郷から私と一緒にアパートに戻った彗は、連泊の荷物をスーツケースにまとめると、久しぶりにアトリエに帰っていった。その後は、まず
私の両親は、意外にも、私と彗がアトリエで暮らすことを認めてくれた。ただし、彗が海外で過ごす間、私が彗との口約束だけを頼りに「ほったらかし」にされることだけは、
そのあとは、昨年のうちに慌ただしく両家顔合わせを済ませて、私のアパートを引き払い、彗のアトリエに引っ越して――彗は、私に指輪を
「ケイ、やるじゃない。画家とはいえ、今はまだ学生なのに、思い切ったわね」
アリスは、彗の左腕を肘でつついた。高嶺さんも「先を越されちゃったな」と言って
「私にお金を使うよりも、留学中の生活費に
彗にとって大切な時期の買い物だから、今もまだ気が引けているけれど、約束が形を得た輝きを見ていると、心がふわふわと浮き立った。彗は、私の指に婚約指輪をはめたときは、誇らしげな顔をしたけれど、アリスの家に来る途中で、絢女先輩に冷やかされたときには、真顔で『もっと早く、こうするべきだった』と語ったから、私を大いにたじろがせた。私の話を聞いた巴菜ちゃんは、
「
「ストレスって……そうかも。最初は気づけなかったから、意外だった」
「あたしは、すっごく共感できるよ? 日本に残していく恋人に、悪い虫が寄ってきたらって考えたら、心配で帰国したくなっちゃうよ。ま、恋人がいるって知っていても、寄ってくるときは寄ってくるんだけどね!」
「巴菜はうるせえよ……」
星加くんは、さっきから気まずそうだ。告白して振られた相手が、ホームパーティーに二人も同席しているのだから、当然だ。でも、アリスが巴菜ちゃんに『ダイスケにも会ってみたいから、連れてきて!』と言ってくれたことを差し引いても、星加くんが彗を送り出そうとしてくれたことが、私は嬉しかったから「巴菜ちゃん、一緒に行こう」と声を掛けて、星加くんと綾木さんがいるソファに移動した。
「星加くん。今日は来てくれて嬉しかったよ」
「うん。相沢先輩には、迷惑かけたし。それに、ほとんど部外者みたいな俺まで、綾木さんたちが招いてくださったし。友達の婚約祝いを兼ねてるパーティーなら、俺も祝いたかったから。倉田さん、おめでとう」
「……ありがとう」
「
「いいんだよ、
「はい。すごく貴重な体験をさせていただきました。私の力不足を感じる場面が多かったので、これからも勉強に励んでいきたいと思います」
「収穫があったなら、高嶺くんも喜ぶと思うよ。アリスの英会話教室を辞めたあとも、友人として仕事の悩みを聞くことならできるから、気兼ねせずに僕らを頼ってね」
「ありがとうございます。心強いです」
私が微笑むと、ダイニングテーブルのほうから「ケイは、いつ帰国するの?」とアリスが訊ねる声が聞こえた。振り返ると、彗は
「もっと短期で留学を終えるかもしれませんし、もっと長期で滞在することになるかもしれません。秋口先生が紹介してくださった画家のもとで、僕がどれだけのことを身につけられるか次第ですね」
「でも、年末年始には帰ってくるんでしょ?」
「それも……分かりません。今のところは、途中で帰国を挟むよりも、できるだけ早く技術を習得して、澪と一緒に暮らす段取りを整えたいと思っています」
「そう……寂しくなるわね」
アリスが、しんみりと言った。巴菜ちゃんが、私の手を握ってくれた。
「澪ちゃん、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。ずっと、覚悟してきたことだから」
「……あのさ。俺も、巴菜も、話なら聞けるから」
「うん……ありがとう」
きゅっと唇を噛んでから、私はみんなに笑った。そのとき、彗に「澪」と呼ばれたから、時間なのだと気づいて、立ち上がった。彗も席を立っていて、私の隣に歩いてくると、一同をぐるりと見回して、別れの言葉を口にした。
「皆さん。今日は、僕たちのために送別会を開いてくださり、ありがとうございました。フランスに
「早く帰って来なさいよ」
絢女先輩が、肩を
「それでは、僕と澪は、そろそろ失礼させていただきます」
「主役が帰っちゃうのぉ? 寂しいじゃない、ケイ。もっといればいいのに」
「アリス、二人を困らせてはいけないよ。皆さんが全員揃う休日は、今日しかなかったんだから、仕方ないさ。玄関まで送るよ」
苦笑した綾木さんも、ソファから立ち上がった。全員が席を立とうとしたので、彗が「お見送りは、ここまでで大丈夫です。本当に、ありがとうございました」と礼を言った。私も彗と一緒に頭を下げて、みんなに手を振られてリビングを出ると、綾木さんとアリスだけが、私と彗に付き添った。
玄関を通ったときに、淡い薄紫色が目を引いて、私は壁を振り返る。
金色の
電車を乗り継いで、徒歩と合わせて二時間半かけて故郷に戻ると、約束の時間が迫っていた。私と彗は、自然と早足で、桜並木の通学路を進んでいく。
「
「先生、全然変わってなかったよ。前に高校に行ったときは、私も校舎を見て回れなかったから、今日は楽しみにしてたんだ」
高校の校門前には、待ち合わせの時間までに到着した。息を弾ませた私と彗は、示し合わせたみたいに見つめ合うと、少しだけ寄り道した。校門を素通りして、下校している在校生たちの
――仲間外れのミモザは、満開だった。シャンパーニュ・ア・ロランジュみたいなオレンジ色を帯びた黄色は、間もなく午後四時を迎える日差しを受けて、キラキラと
「彗がフランスに行く前に、ここに来られてよかった」
「うん」
頷いた彗の横顔も、日差しに照らされて明るかった。ミモザと同じ色の光に包まれた私たちは、校舎から出てきた
私たちは、きっともう、仲間外れのミモザのもとへ、午前四時に来ることはないだろう。その理由は、高校が
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