第4章 たとえ世界から希望が消えても
4-1 訃報
その日、いつものようにクッション張りの
日の出の薄明りが
寝起きの頭で、そう
「
早朝のアトリエの空気が、ぴんと張り詰めた気がした。真冬の泉を
「……うん。分かった。すぐに、そっちに帰るよ。お
――お通夜。私も息を詰めたとき、彗は「連絡してくれて、ありがとう。それじゃ、またあとで」と言って、通話を切った。それから、私を振り向いて「おはよう、澪」と挨拶してくれたけれど、表情には影が差していた。
「おはよう、彗……今の電話は、誰から?」
「母親だよ。僕の友達が……地元で、亡くなったから。知らせてくれたんだ」
「地元……」
私たちが、まだ高校生だった頃に、暮らしていた町のことだ。高校のフェンス沿いで咲くミモザの花が、
「……彗の、友達なんだ」
「うん。
私は、茫然としてしまった。起き抜けに飛び込んできた
「彗の友達で、彗みたいに絵を描く人の話を、聞くのは……初めてだね」
彗の表情が、微かに動いた。出窓から入る朝日が、ほんの少しだけ明度を増した。空には雲が掛かっていて、白い光と黒い影が、私たちが見つめ合う出窓で、音もなくせめぎ合っている。彗は、サイドテーブル代わりの椅子に載せた桃色のカーディガンに左手を伸ばすと、そっと
「もう何年も、
――美大。高校三年生の彗が、志望していた進路だ。彗は、私の考えに気づいたみたいで「大丈夫。気にしていないから」と
「
――
「そんな
――自殺。絶句した私に気づいた彗が、ハッとした顔になる。「ごめん」とこんなときまで私を気遣う言葉を掛けてから、再び目を伏せて、ぽつりと続けた。
「一哉の家とは、家族ぐるみの付き合いがあったから……僕は、両親と一緒に、お通夜に参列させてもらうことになると思う。喪服は……ここにはないから、まずは実家に帰らないと。
「お通夜は……十八時、だよね。まだ、時間があるよ」
「そうだね。でも、お通夜の前に、もっと詳しい話を、家族から聞いておきたいから。澪は、まだ休んでて。いつもなら寝てる時間なのに、起こしてごめん」
「彗。朝ごはんだけでも、食べていって。彗の分だけでも、すぐに用意するから」
出窓から下りた私は、キッチンに向かった。彗は、何か言いたそうに黙ってから、やがて「ありがとう」と静かに言って、リビングを出ていった。
トーストとスクランブルエッグを用意した私は、秋服のシャツとズボンに着替えた彗が、ソファで朝食を取っている間に、青と
「澪。僕は、実家に一泊することになると思う。澪の明日の予定は?」
「明日は、十六時からアリスの英会話教室に行くだけ。彗がアトリエにいないなら、アパートに帰ろうと思ってたけど……ここで、待っててもいい?」
「そうしてくれたら嬉しいけど、アトリエにいつ戻れるか分からないから、僕が澪のアパートに行ってもいい?」
「うん。彗が、それでいいなら」
私の返事を聞いた彗は、今日初めて
「いってらっしゃい、彗」
「いってきます、澪」
そう声を掛け合ったけれど、私たちは動かなかった。窓から入る白い日差しは、
――どうしてだろう。彗を、行かせたくなかった。理由は分からないけれど、このまま見送ってしまったら、
油絵具の甘い匂いが、ふっと近づく。玄関を照らす陽光が、彗の身体で
「できるだけ早く、帰ってくるから」
いつも通りの穏やかさで告げた彗は、バッグを左肩に
まだ立ち上がれない私は、無理やり乱された呼吸を整えながら、心の中に
彗らしくないキスの意味は、
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