第4話 情報将校

「率直に言うと、僕はナチスが欧州から略奪した美術品の一部があの男の手にあるんじゃないかと疑っているんだ。彼の一族の令嬢とお近づきになったのも、元情報将校として、その真偽を確かめる為の足掛かりにするのが動機だった」

 あまりに唐突な話だった。私は困惑しなかったわけではない。だけど、この国は敵対陣営の情報収集や外国人の協力者を作り出す場所としてはうってつけなのだろう。陣営こそ違えど、まさに私達が撮影している、この映画のストーリーのように。そして謎めいた義手の老男爵夫人ならぬ、捉えどころのない伯爵は、略奪者か盗品の行く先を知っているかもしれない。

「あの伯爵はパイロットだったと、ついさっきあなたが言っていたけど、戦時中はルフトヴァッフェに?」

 私は彼の話への興味が高まりつつあった。ここにもし夫がいたら、更に食いつくように事情の説明をして貰いたがったことだろう。

「いや、伯爵はある時期を除いてはこの国で、民間の航空会社で機長を勤めていた。寧ろそれこそが、彼がナチスの役に立つ方法だったのだろう。機長ならごく自然に搭乗客全ての名前の書かれたリストに目を通せる。危険人物の行き先も察知できるというわけだ」

 確かに、夫も航空会社の機長だった頃はそうしていたと言っていた。

「あの男は、我が国でも米国でも、戦争中は要注意人物として記録されていた。米国の戦略情報局が、工作員を彼の操縦する飛行機には乗せないよう手を回したこともある」

 余程強固なナチスの支持者だったのだろう。彼の言葉から私はそういった印象を持った。

「それで、その伯爵は戦争中をナチスのシンパとして過ごしながら、この国では今も指名手配もされず堂々と暮らしているの?」

「いいや、『お嬢さん』から、彼が反ユダヤ主義者やこの国のファシスト政党の党員だったことはないと聞いている。ただ、その父親については、万人が口を揃えて強固なナチの支持者だったと言っていた」

 親が親なら子も子だろうという理屈らしい。私にはあまり合理的な推論とも思えなかった。親にまるで似ない子は幾らでもいる。

「多くの息子は父親の分身じゃないわ。貴方も男の人ならわかるでしょう」

「それは確かにそうだ。ただ、彼は空軍元帥の甥であり、元帥に関しては好意的な発言があった事は聞き出せた。戦争中に二人は何度か元帥の別荘で顔も合わせていたらしい。加えて、伯爵はゲシュタポにも何度か拘束されたが、常に直ぐに釈放されていた」

 誤認逮捕か、或いはナチスの協力者ではないと見せかける為の芝居か。戦時中のことを思い出すと、親衛隊やゲシュタポという連中は、確かにそんな工作もするだろう。

 もっとも、彼らの手口は噂でしか聞いたことはない。私の国にもナチスの手は伸びていたけれど、一応は政府のお陰で、私達は幸いにも彼らの手に落ちる事はなかった。とりわけ私については、夫の愛人になっていたお陰で間違いなく安全に生きていられた。

「ナチスに収奪された絵画には行方がわかっていないものも多い。その一部が報酬として彼の一族の手に渡っている可能性はある」

 俳優はそう熱弁したけれど、私は完全に納得がいったわけではなかった。噂なんて本人の実像に関わらず勝手に飛び交うものだ。

「貴方は証拠を突き止めようとしているの?」

「ああ。ナチスの残党を追うのは僕の任務だった。……と、言っても、僕はもう軍人ではない。伯爵を捕まえるにしても、僕一人が勝手にやることになる。成功すれば大手柄だが、別にそれを元に軍に戻りたいとは全く思わない」

 俳優は軽く肩をすくめた。

「まさか尋問を始めるわけでもないでしょう。追い詰めるだけが口を割らせる手段でもない。北風と太陽よ。その人、民間企業のパイロットだったんでしょう。私も興味があるわ、手伝わせて」

 本当に興味本意だった。もし伯爵がナチなら一泡吹かせてやることもできるし、そうでないならこの俳優の誤解を解くことができる。

「本当かい? しかし、君、どうやって彼に喋らせる? まさかとは思うが……」

「夫の話を持ち出してみるの。他のパイロットの話になら、食いつくかもしれない。張り合っている内に口が滑ることもあるでしょう」

 そんな風に言ったけれど、もしかすると、私はただ誰かに夫の思い出話をしたくて仕方なかったのかもしれない。彼にとって幸福な時は失われ、きっと二度と戻らないから。

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