(4)

「冬摩、急患だ」と研究室に篭っている冬摩と駆のもとに葵が子供を抱えてやってきた。

子供はもうだいぶ泣いたのが目は腫れ、ぐずぐずと鼻をすすっていた。


「転んで倒れているところを見つけてな。かすり傷かと思ったら少し傷が深いようだ。出血がなかなか止まらない」


葵も清香の人間で、看護の心得はある。

傷口を布で素早く縛り、止血を試みたがそれでも不安になって冬摩のところへ連れてきた。

診療所の方へ連れて行っても、他の重症者の対応で手一杯でいつ診てもらえる分からないからだ。


葵は困っている人をほっとけない性格らしい。

友人の腹痛やら、調理場のおばさんの火傷やらのためによく薬をもらいにくる。

冬摩はそれぞれに合った薬を出し、効果を確かめる。

葵のお節介に、冬摩の新薬。

2人に共通しているのは人を助けたいという気持ちだ。

そんな考え方を駆はすきだと思った。


冬摩は作業の手を止め、傷の様子を確かめる。


「葵の処置のお陰でほとんど止まってるな。洗浄はしたか?」


「いや、すぐここに連れてきたからな」と葵は首を振る。

駆は清潔な布と消毒液をすぐに準備し、水も汲みにいった。

研究所の勝手はもうだいたい頭に入っている。


「葵も看護に向いているよな」


懸命に子供を励ます葵の横顔を見ながら、何気なく思った一言だが葵には引っかかったらしい。


「葵も、とはなんだ。も、とは」


「無意識に結と比べてんだろ」


「ほう。それほどまでに結姉さんのことを考えているということだな」


「あ?そんなんじゃないっての」


駆にはよく分からなかったが、冬摩と葵のにやにや顔に揶揄われてるのは分かったため否定しておいた。


「今日は紫苑はいないのか」


「あいつには庭の世話をやらせている」


冬摩の自室の庭には花畑が広がっていた。

以前に「細い計算があるから手伝え」と冬摩に誘われ一度訪れたことがあった。

潔癖そうな見た目からは想像のつかない、とっ散らかった部屋だった。

冬摩曰く清潔なものしか置いてないから汚くはないのだそうだ。

この時部屋から眺めた庭を思い出す。

見事なものだった。

生き生きと葉に張りがあり、色づく花は可憐に咲き誇っていた。

様々な植物がばらばらに植えられているように見えて、実はすべての花がより良く見えるよう配置してあるようだった。

冬摩も本人は気づいていないようだが自慢げに鼻を膨らませていた。

そこで育てた植物を冬摩は研究に使っている。


「あの植物たちは全て紫苑が育てているんだ」


「そうなのか。あの種類を、一人で」


冬摩の花畑は数もすごかったが、種類もなかなかなものだった。

それら全てを一人で世話をしているとは駆は驚きだった。


「分かるか駆、」と葵が小声で駆の耳元で囁く。


「あれは冬摩の甘えだ。そう思うだろう?」


「あぁ」と妙に納得できた。

今度はこっちがにやにやする番だった。

「やらせている」なんて言っていたが、本当は「紫苑にやってもらいたい」のだろう。

あの綺麗な指先や、決して乱れない着物の裾が泥で汚れるのを見て優越感に浸ったりするのだろうか。

それは行き過ぎた駆の妄想か。


あの日以来、駆に対する悪口めいたものや陰口がぼそぼそと続いたが、暴力を振るわれることはなかった。

きっと軽くても怪我を負わせてしまったことを反省しているのかもしれない。

少なくとも本気で人を傷つけたいと思っている人はそういないのだ。

駆は感情的にやってしまった過ちであったと信じたかった。

傷も早々に癒え、紫苑の教えの通り気にしないでいることにした。

ただ自分がそのような対象になってしまう可能性があることを自覚するようになった。

でもそんなこと、何も気にせず冬摩や葵とは楽しく話せることが嬉しかった。



清香の本部に当たるところに大きな風呂場がある。

住み込みで学びにきている医学生や下働きの人たち、本家の人間も使用する。

駆は当初、湯舟にみんなで浸かるなんて、と思っていたが、今ではその広さが気に入っている。

駆のように清香の中に家族の持つ家のある者は、家の風呂を使うのが普通であったが駆はどうも最近家での居心地が悪い。

時間を見計らっては冬摩を風呂に誘っていた。


「今日も二人でお風呂?仲がよろしいようで結構だね」


紫苑が洗濯済みの衣服を冬摩に届けにきたところだった。

「着ないものはちゃんと箪笥にしまうんだよ」と丁寧に畳まれた服を手渡す。


「紫苑も一緒に入れたらいいのにな」


「いいよ、二人で行っておいで」


紫苑に笑顔で見送られ風呂場へ向かう。


「紫苑は学生じゃないから、当てられた時間が違うんだ」と冬摩に教えてもらった。

清香の風呂場は時間によって利用者を限っていた。

初めの方に本家の人たちが、その後に医者、学生と続き雑務員の順番だ。

冬摩は本家の人間だが、たいていは学生と一緒に入っていた。

定期的に掃除が入るからいつでも清潔に保たれているが、学生の時間は酷いものだった。

短い時間に大勢入らないといけないからゆっくりしていられない。

洗い場や石鹸の奪い合いの戦いが始まるのは茶飯事だった。

しかし、そんな騒がしさも駆は嫌いじゃなかった。


「最近、葵の姿見ないな」


風呂に入りながら冬摩がぽつりとつぶやく。

今日は比較的空いていて、久しぶりに全身で湯舟に浸かることができた。

冬摩と駆。

並んで足を伸ばすと、細く真っすぐな足が駆の方がほんの少しだけ長い。

普段、学力や知識で冬摩に勝てることはないが今だけはちょっとだけ勝ったような気分になった。

浸かっている部分と湯から出ている部分、温度の差が開いて、縮まっていく。


「そうか?一昨日くらいに研究室に顔出してなかったか」


「その後見かけてないだろ」


「あぁ、そうかもな」と返事をして思い返す。

いくら広い敷地と言えど、みんなが同じ場所で学んだり、働いたりしている。

気にしたことがなかったが、確かに喋ったりはしなくても姿くらい、毎日見かけていたと思う。


「具合でも悪くて眠り込んでんのか?」


「可能性はなくないが、あの丈夫すぎる体だぞ。風邪の流行る季節でもないしな」


冬摩がいつになく気に掛けている様子だったので、頭がぼうっとしてきた駆もだんだんと心配になってきた。

冬摩の頬を伝った汗はきっと湯が熱いせいだと思った。


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