◇
「こいつ、学舎は辞めてんだ」
「清香の人間は医者にならない男は雑務に回るか、悪くて追放だと聞いたぞ」
「そこはほら、俺って美人だから。
他にも使いようはあるってことで」
「手を動かすより口が達者なんだよ。
大人の一人や二人丸め込むなんて簡単なんだろ」
二人の軽快なやり取りに駆も自然と笑顔になった。
二人は古くからの馴染みのようだが当主からは冬摩のことしか聞いていない。
紫苑について当主は言及していなかった。
「紫苑は冬摩の兄さんなのか?」
「あ?別に違うぞ?」
「じゃあ姉さんか?」
ふざけて言ったつもりだったが冬摩にきつく睨まれてしまった。
「…違うだろ。女に見えるかっての」
思いもよらぬ冬摩の低い声にまずいことを言ってしまったと悟った。
「俺は全然気にしないけどね」とひらひらと紫苑は手を振る。
「それより、この翻訳手伝ってくれない?」
左手で垂れる髪を耳に掛け、伏目で紫苑が言う。
紫苑の口調は物腰柔らかで、そういう仕草ややっぱり美人な顔はどうしても女性を彷彿とさせるが、駆にだって明らかに紫苑が男であることは分かっていた。
「英語や東洋医学書はもう翻訳されたのがあるからいいけど、これからは西洋医学も学ばないといけないとかなんとか…。
冬摩に押し付けられて困ってんの」
紫苑の開く書を見るとドイツ語で書かれた論文かなにかだった。
「よく言うぜ。語学はお前の方が成績が良かったくせに」
「そっちこそ、いつの話してんだか。
もう、なんでもやる便利屋だと思われてんの、俺」
文句を言いつつ全然怒った風でない紫苑が辞書をぺらぺら捲り翻訳を始める。
紫苑が話題を変えてくれたお陰で冬摩の尖った雰囲気も崩れた。
感謝の気持ちも込めて手伝いを引き受ける。
「ドイツ語なら、俺分かるぞ」
「本当!計算もできて語学も堪能ですごいね」
きらきらと目を輝かせて言う美人に駆は全く悪い気はしなかった。
「…また嘘つかれてるぞ」
「あ?いまどこに嘘つく暇があったって言うんだよ」
さすがにもう騙されまいとしていた駆は冬摩へ歯向かった。
紫苑はははっと口を開けて笑い、この人もこんな風に笑うのかと思った。
「…知ってたよ。
ドイツから来たんだよね、駆。
これからよろしくね」
これが駆と風変りな二人との出会いだった。
少なくともこれからここに来れば退屈はない、そんな予感がした。
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