第47話 リナ・レスティア
クロフォード魔術学園の植物魔術教員であり、現在は2年Cクラスの担任教師も勤めるリナ・レスティア。
彼女を育ててくれた両親は、リナと血の繋がりのある本当の肉親ではなかった。
ギルバート王国東部のとある街に、中年の夫婦が営む小さな宿屋がある。
およそ24年前のある日、夫婦の主人が宿屋の入り口の扉を開くと、毛布に包まれた生後間もない赤ん坊がポツンと置かれていた。
主人は初めは大変
しばらくの間、夫婦は行く当てのない赤ん坊の世話をしながら、自分達はどうするのが一番赤ん坊の為になれるのかと話し合いを重ねた。
そして後に、夫婦は正式に赤ん坊を引き取り「リナ」と名付け、自分達で育てる事を決意した。
その赤ん坊こそがリナ・レスティアであり、宿屋の中年夫婦がリナの育ての両親である。
子宝に恵まれなかった夫婦は、自分達の本当の子供のようにリナを可愛がり、大切に育てた。
夫婦の暖かい愛情によって、リナはとても健やかに、心優しい少女へと成長した。
リナが10歳になる頃、彼女は宿屋の仕事を手伝いつつ、文字、計算、地理などの基礎教養を学ぶ地元の学舎に通わせて貰っていた。
そして同時に、リナはある事に夢中になっていた。
それは、植物と植物魔術について勉強する事だった。
彼女はその頃から植物や植物魔術に対する好奇心に目覚め、栄えた隣街まで頻繁に足を運んでは、隣街の図書館で植物に関する学術本を沢山読み、両親からのお小遣いで植物園に
最愛の両親の仕事を手伝い、学舎に通い、時間があれば大好きな植物と触れ合う。
そのような大変充実した日々を過ごしながら、5年の月日が流れた。
「リナは、もう今年で学舎を卒業だのう……」
「あれから15年も経つなんて、あっという間ですねぇ」
「……卒業したら、リナはどうしたいんだい?」
リナが15歳を迎える年、両親は食後の
その問いに対して、
「決まってるよ。私は、これからもずっと宿屋を手伝うよ」
と、リナは、はにかみながらそう答えた。
きっと両親は、いつものような暖かい笑顔で「そうか、そうか」「リナがいてくれると助かりますねぇ」と言ってくれるだろうと、リナは思っていた。
「「………」」
しかし、リナの予想に反して両親は僅かに暗い表情を浮かべていた。
「ど、どうしたの……?」
リナが困惑した様子で尋ねると、父親はどこか心苦しそうに口を開いた。
「……リナ。本当は、もっと他にやりたい事があるんだろう……?」
「………っ!な、何言ってるの、お父さん……?」
一瞬、図星を突かれたようにリナは言葉を詰まらせ、慌てながら言葉を紡いだ。
「私は、本当にお父さんとお母さんの宿屋をこれからも手伝いたいと思って……、───っ!」
念押しで切り抜けようとするリナだったが、途中で母親がテーブルにそっと出した紙を見て、彼女は言葉を失った。
「どうして、それ……」
「リナ、勝手にお部屋に入ってごめんなさい。でも、リナのお部屋から持って来た
申し訳無さそうにリナに謝罪した母親が出したのは、リナの部屋の机の引き出しに入っていた、クロフォード魔術学園の入学試験案内状だった。
「学舎の先生が、魔術の学校に通う事についてリナから相談されていると言っていたんだよ」
「!」
「それに、前までは植物の本しか読んでなかったのに、最近は色んな魔術の勉強をしてるって、リナと図書館でよく会ってる近所の娘さんから聞きましたよ」
「………」
両親の言い分に対して、リナは何も言えずにいた。
「リナ。リナは本当は、魔術の学校に行きたいんだろう?どうして、私達にだけ秘密にするんだい?」
「私達に隠したりせずに、素直に言えば良いじゃないですか」
「そうだよ、リナ。ワシらは親子じゃないか」
リナの隠し事を責めるではなく、優しく諭すように語り掛ける二人。
それを受けたリナは、その場で
「………言えないよ。言えるわけ、ないよ……」
ずっと宿屋の仕事を手伝っていたからこそ、リナは知っている。
自分の家には、
地元の学舎に通うのと魔術学園に通うのとでは、必要な学費は文字通り桁が違う。
もう70を越える年齢の二人に、無理はさせたくない。
「お父さんもお母さんも、赤の他人の……、捨て子だった私を今まで育ててくれたのに、これ以上我侭なんて言えないよ……っ」
リナは顔をくしゃくしゃにしながら涙を流し、震える声で言った。
「魔術学園に通うには沢山お金も必要になるし……、私、お父さんとお母さんに、そんな迷惑掛けたくないよ……っ!」
「リナ……」
嗚咽交じりに涙を流すリナを目にして、リナの母親は辛そうに呟いた。
すると、その隣で無言を貫いていた父親はおもむろに席を立ち、奥の部屋へと歩いて行った。
1分程経ち、リナのすすり泣く声だけが響く部屋に戻ってくると、リナの父親はある物を机の上に置いた。
「リナ、これを見なさい」
「………?」
未だ両目から涙を流すリナが顔を上げると、そこには思わぬ物が置かれていた。
「……っ!こ、これ……」
机の上に置かれていたのは、今までリナが目にした事のないような高さに積まれた札束だった。
「600万ゼニーある。リナ、このお金で魔術の学校に通いなさい」
「………っ!!」
思わぬ父の言葉に、リナは言葉を失った。
そんなリナに、母親が声を掛けた。
「このお金はね、お父さんが『リナはお花が大好きだから、リナが将来お花の勉強をしたいって言った時に、好きなだけやらせてあげられるように』って、5年くらい前から二人で貯めたお金なんですよ」
「た、貯めたって……、そんなに沢山、どうやって……」
「リナが学舎や隣街に行っている間に、お父さんが街の色んなお店の手伝いをさせて貰ったり、私が時間がある時に内職して稼いだんですよ」
「ど、どうして、そんな……」
言葉が見つからず、戸惑うリナ。
「決まっているだろう。リナが、ワシらの大切な、たった一人の娘だからだよ」
「娘の将来を支えるのは、親として当たり前ですから」
感情の整理が追いつかず、口元を震わせるリナに対し、二人は暖かな笑みを向ける。
「血の繋がりなんて関係ない。ワシらはずっと、リナを本当の娘だと思って育てて来たんだよ。娘の事を、迷惑だなんて思う訳ないじゃないか」
「私達は、リナにとって本当のお父さんとお母さんにはなれませんでしたか?」
母親の質問に対して、リナは強く否定した。
「そんな事ない……!!お父さんとお母さんは、世界でたった二人の、私の大好きな両親だよ……っ」
それを聞いた母親は、ニコリと笑った。
「でしたら、リナのお父さんとお母さんに、本当にやりたい事を言って下さいな」
「リナが本当に魔術の学校に行きたくないなら、勿論それでも良い。リナの、本当の気持ちをワシらに聞かせておくれ」
両親からの暖か過ぎる愛を受けて、リナは両目から溢れる涙を押さえられずにいた。
リナには、大好きな両親に迷惑を掛けない為に、今までずっと言えない事があった。
しかし、ついにこの日、リナは両親に思いを伝える事を決心した。
「お父さん、お母さん……。私……魔術学園に通いたい……っ。魔術学園を卒業して、植物魔術の研究者になりたい……っ」
穏やかな笑顔のまま、僅かに目に涙を浮かべる二人に、リナは言った。
「私を、クロフォード魔術学園に通わせて下さい……っ!」
それを聞いたリナの両親は、とても嬉しそうな笑顔を浮かべて、何度も大きく頷いた。
「勿論、良いとも。ああ、良いとも。思う存分、勉強して来なさい」
「リナなら、必ず立派な研究者になれますよ。私達も、応援していますからね」
………
……
…
それから、入学試験の日まで宿屋の手伝いはしないように両親から言われたリナは、魔術の勉強に集中して取り組んだ。
その結果、最下位のDクラスではあったものの、リナは無事にクロフォード魔術学園に入学した。
リナは一生懸命努力を重ね、入学時にはDクラスだったにも関わらず、4年生になる頃にはBクラスにまで昇格した。
そしてリナがクロフォード魔術学園を卒業する年、年配の植物魔術の教師が二年後に退職する事が決定した。
それに伴い、在学生の中で最も熱心に植物魔術に取り組み、当時の植物魔術の教師に稀有な才能を見出されていたリナに後任の打診があった。
卒業後、どうにか植物魔術の研究者になりたいと思っていたリナにとって、その話は僥倖だった。
植物魔術の研究には個人では到底
しかし、魔術学園の教員であれば研究資金も必要な資材も簡単に揃うため、研究を行うのに最適であった。
リナは二つ返事で後任の話を受諾した。
19歳で学園を卒業した後、リナは一年間実習教員として植物魔術の授業の補佐教員を担当し、一年後に正式な植物魔術の教員に就任した。
「大好きな植物魔術を生徒達にも楽しく学んで貰う」という彼女の理想とはかけ離れた厳しい現実に挫けそうになった日もあったが、一人の男子生徒からの支えもあり、リナは日々教師として、そして研究者として、自分を応援してくれた両親に応えられるように尽力する日々を送っている。
『お父さん、お母さん。お元気ですか。最近はあんまり顔を見せに行けなくてごめんね。
肌寒くなってきたので、体調を崩さないように気を付けてね。
私が育てた、身体が温まる茶葉と、頂き物の美味しい桃を送ります。
いつも通り、関節痛に良く効く塗り薬も一緒に送るね。
今、凄く価値のある研究が進んでいて、毎日がとても充実しています。
この研究が上手く行けば、きっと沢山の人の助けになると思います。
いつも言うようだけれど、私は植物魔術の研究者になれて、とっても幸せです。
私を育ててくれて、魔術学園に通わせてくれて、本当に有難う。二人の娘になれて、本当に良かったです。
立派な研究者になれるように、私はこれからも頑張ります。』
◆ ◆ ◆
ある日、クロフォード魔術学園の学園長室にて。
重苦しい空気の中、リナ・レスティアは学園長から内示を伝えられた。
「───解雇……、ですか……?」
現実が上手く飲み込めないかのように、レスティアは学園長に聞き返した。
「まだ最終決定ではないが、その可能性がある事は、覚悟しておいて欲しい……」
学園長は、ひどく申し訳なさそうに言った。
「そんな、どうして……急に……」
「私としても本位ではないが、国からの通達でな……」
深刻な表情を浮かべるレスティアに対して、学園長は事情を説明した。
学園長が言うには、近年、多方面の国々に挑発的な動きを見せる近隣の国の武力強化が増長している事が問題視されている中、先日のドラゴン襲来の一件を期に、いざという時の為に備えてギルバート王国を挙げて武力強化を行う方針が固まったという。
それに伴い、卒業生の多くが王国騎士団で優秀な成果を挙げているアルバレス騎士学園への援助を増やし、逆に、卒業生の国の戦力としての成果が乏しいクロフォード魔術学園への援助を減らす方針となったとの事。
特に、数十年前を境にめっきり目新しい研究成果の出なくなった植物魔術はクロフォード魔術学園で廃止する事が決定した事を国から通達されたと、学園長は語った。
「そんな……」
「ただ、先も言ったように、まだ最終決定ではないのだ」
「………?」
今にも崩れ落ちそうな程に落ち込むレスティアに対して、学園長は話を続けた。
「学園への現在の援助を継続して貰えるよう、私も必死に国に懇願してな……。それで、援助を継続する条件を一つ出されたのだ」
「条件……?」
聞き返すレスティアに、学園長は重々しく口を開いた。
「今度のアルバレス騎士学園との対抗戦。その対抗戦で、我が学園が勝利する事。それが、国から提示された条件だ」
「………っ」
学園長は歯がゆい様子で言葉を続けた。
「君の知っての通り、我が学園はもう十年以上もアルバレス騎士学園との対抗戦に勝てていない……。生徒達には申し訳ないが、騎士学園との実力差は歴然だ……。対抗戦に勝つのに必要な勝利数は3勝……、今年はアルフォンス=フリード君の参加もあって例年よりは望みはあるが、それでも勝ちは薄いかもしれない」
「………」
「だから、最終決定ではないものの、植物魔術と君の雇用は今年で打ち切られると、覚悟だけはしておいて欲しい……。私の学園長としての力が足りず、本当に申し訳ない……」
「………っ」
通達に対して、「分かりました」と返事をしなればと思うものの、レスティアは言葉が出せずにいた。
レスティアは、ただ零れそうになる涙を抑えるので精一杯だった。
俯くレスティアに、学園長はもう一度謝罪を重ねた。
「本当に、申し訳ない……」
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