第46話 分家との因縁

 


 シオン、ユフィア、アルフォンス、それと成り行きでエリザも加えた四人が昼食を共にした日から、一週間が過ぎた。


 その一週間の間、アルフォンスは毎日シオンとユフィアと共に食堂で昼休みを過ごした。


 三人での食事中の会話内容は、最初の内は三人のそれぞれの過去や地元の話が主な話題だった。


 しかし三人は魔術学園の生徒。必然的に、魔術に関する話題が中心となっていった。


 魔術に関する話を掘り下げる程、シオンの持つ驚異的な知識量にアルフォンスは思わず舌を巻いていた。


 幼少期から魔術の教育を叩き込まれていたアルフォンス。

 彼自身、魔術の知識に関しては学生レベルを凌ぐ知識量を持っているという自負が多少なりともあったが、シオンの持つそれはアルフォンスをも大きく凌ぎ、まるで底が知れなかった。


「シオン君は、まるで歩く図書館だね」


「言っておくが、歩けるだけじゃないぞ」


「おっ!じゃあ他に、何が出来るんだい?」


「一人でパジャマお着替えだって出来る」


「はははっ、それは凄いね!」


「まぁ、嘘だがな」


「嘘なんだ……」


「(一人でパジャマお着替え、出来ないんだ……)」


 ……などと、その知識量を褒められたシオンは冗談めいた返しをした。


 しかし、その知識量は紛れも無く膨大なものであった。


 共通言語だけではなく、シオンは竜族語でのみ書き残されたいくつかの魔術に関しても詳細を把握しており、アルフォンスはシオンに対して「やはり只者ではない」という心証が強まるのだった。


 だが、一般的な魔術教本に関しては本当に「全てを網羅もうらしているのでは」と思わせる程の知識量を持つシオンだったが、一般には出回っていないような竜族語でのみ記された魔術については、流石に多くは知らない様子だった。


 アルフォンスの知る竜族の魔術について、シオンが非常に興味深そうに尋ねる為、アルフォンスは自身が知る限りの知識を彼に語った。


 更に、現在アルフォンスの手元にある竜族の魔術本を貸し出す事と、いずれフリード家の実家にあるいくつかの魔術本の現物をシオンに貸し出す事を約束した。


「本当に良いのか?」


「うん、別に見せたって減るもんじゃないからね」


「良い奴だな、アルフォンス。パンをくれてやろう」


「おちょくってるよね?そうだよね?」


「………?」


「『大好きなパンが貰えて嬉しい筈なのに、どうして?』みたいな顔しないで」


「ほえ……?」


「ほえ……?じゃないんだよ」


 とぼけ顔のシオンに対して、アルフォンスは「もうっ」と不満げなリアクションをとった。


 しかし、当然アルフォンスは本気で怒っている訳もなく、すぐに「あ、そうそう」と話を切り替えた。


「そう言えばこのあいだ、実家の書庫から古い竜族語の魔術本を何冊か持ってきたんだけど、ページの欠落や汚れのせいで術式が分からなくなってる魔術があってさ。本を貸す代わりに、って訳じゃないけど、良かったら術式の解析にシオン君の知恵を貸して貰えないかな?」


 と、アルフォンスが話を持ちかけると、


「ああ、それぐらいお安い御用だ。むしろ、それほどふるびた竜族の魔術本には俺もかなり興味がある」


 と、シオンは即座に快諾した。


「やった!有難う!じゃあ、放課後空いてる日に頼めるかな?」


「ああ、それなら今日の放課後は空いてるし、今日から始めるか」


 アルフォンスも本日の放課後に予定はなかった為、早速さっそくその日の放課後にシオンと軽い研究会を行う事となった。


 また、一連のやり取りはユフィアの離席中に行われた会話だった為、


「ユフィアさんも一緒の方が良いよね?」


 とアルフォンスがシオンに確認した所、


「いや、あいつは竜族語は読めないからな。一緒にいても退屈なだけだろう」


 という事だったので、その日の放課後はシオンとアルフォンスの二人だけで研究会をする運びとなった。



 本日、Aクラスのアルフォンスは3限までの授業、Cクラスのシオンは4限までの授業日程であり、アルフォンスとシオンが合流可能になるまでには約90分間の空き時間が存在した。


 その為、アルフォンスはAクラスでの授業が終わった後に寮の自室に戻って自習しながら過ごし、4限が終わる時間に2年Cクラスの教室がある校舎の入り口付近で合流する事となった。



 ◆



「(……ん。……そろそろ、4限も終わる時間だね)」


 部屋の掛け時計を確認し、自習の為に広げていた教本やノートを整頓するアルフォンス。


 しばらく自室で明日の授業の予習に取り組んだ後、1冊の古びた魔術本を手に持ったアルフォンスは自室のドアを開き、部屋を出た。


 すると、アルフォンスが自室のドアを開けた直後、廊下を通り掛かった男子生徒達の話し声がアルフォンスの耳に入った。


「き、肝が冷えたぜ……」

「俺なんか心臓が口から漏れるかと思ったよ……」

「大体、なんだってがAクラス男子ここ寮の前にいるんだ……っ」


 アルフォンスの部屋の前を通り過ぎて行ったのは、アルフォンスと同じ2年Aクラス所属のケヴィン、マルコ、ドミニクの三人だった。


 一週間前、アルフォンスは実技の授業中に姑息な策謀ごと彼ら三人をまとめてねじ伏せた。


 圧倒的な実力差を突きつけ、これからは堂々と抵抗していく意思を見せたものの、彼らの目にはアルフォンスに対する強い憎悪が滲んでいた。


 その為、彼らからの嫌がらせ行為はまだ続くものだとアルフォンスは考えていた。


 しかし、意外にも翌日にはすでに彼らからの嫌がらせ行為は綺麗になくなった。


 聞こえよがしに陰口を叩く事もなく、アルフォンスと目が合えば気まずそうに視線を逸らすようになった。

 彼ら三人はすっかりと大人しくなり、喜ばしい事ではあるものの、アルフォンスにとっては拍子抜けといったところだった。


 そのようなケヴィン、マルコ、ドミニクの三人は、


「もしかして、俺らに止めを刺しに来たんじゃ……」

「じょ、冗談じゃねぇ!俺らはあれから大人しく過ごしてるってのに……!」

「そうだ、おっかないこと言うな……っ」


「もう、あんな化物みたいな奴と関わるのは二度と御免だ……」


 と、酷く怯えた様子で話しながら、アルフォンスに気付く事無く廊下の先へと歩いていった。


「………」


 三人の後姿を無言で見送るアルフォンス。


 断片的な会話の内容から汲み取るに、どうやら「に身の安全をおびやかされた事が原因で彼らが大人しくなった」、という事をアルフォンスは察した。


 あれだけ自身に強い敵意を持っていた3人が大人しくなる程の事態。

 アルフォンスとて、何があったのか気にならない訳ではなかった。

 しかし、何が彼らの琴線に触れるかは分からない以上、アルフォンスが彼らに事情を尋ねる事はあまり良い選択ではないと思われた。


「(……何があったにせよ、結果的に彼らからの嫌がらせが完全に終わりを迎えたのなら、これ以上は気にしても仕方ない、よね)」


「(そんな事よりも……)」と、アルフォンスは思考を切り替え、シオンとの待ち合わせに遅れないように少し急ぎ足で寮を出た。


 すると、Aクラス男子寮を出た直後、思わぬ人物がアルフォンスの視界に入った。


「あれ、シオン君……?」


「ん、おう」


 寮の前の石畳の広場に設置されているベンチにはシオンが腰掛けており、アルフォンスに気付いた彼は軽く手を上げた。


「授業、もう終わったの?」


 一冊の魔術本を片手に、アルフォンスはシオンの座るベンチに歩み寄った。


「ああ、結構早くな。お前が4限後まで寮で自習するって言ってたから、ここで合流しようと思ってよ」


「そっか、逆に待たせちゃったね」


「いや、ここまで歩いて時間を潰せたから丁度良かった。それより、それが例の魔術本か?」


 シオンはアルフォンスの手元の魔術本に目をやった。


「あ、うん。そうだよ。凄いボロボロでしょ」


「ああ、すげぇ年季が入ってるな。興奮してきた」


「興奮するんだ……」


「当たり前だろ、古い魔術本はロマンだ。よし、行こうぜ」


 そう言うと、シオンはベンチから立ち上がり歩き始め、アルフォンスもその隣に並んで歩いた。


「あ、そう言えば……」


「ん?」


 歩きながら、ふとアルフォンスの頭の片隅にあった点と点が繋がったような気がした。


「もしかしてだけど、シオン君、さっき寮に入っていった三人と何かあった……?」


「まさかそんな訳はない」と思いつつも、アルフォンスにはそう思えて仕方が無かった。


 しかし。


「さっき……?三人……? ……いや、俺はAクラスの男子生徒はアルフォンス以外に知り合いはいないぞ」


「寮の前のベンチに座っている間、シオン君の前を三人組が通らなかった?」


「いや。俺がベンチに来てからは誰も通らなかった筈だぞ」


 アルフォンスには、シオンが嘘を吐いているようには見えなかった。


 事実、シオンはとぼけている訳ではなく、彼は本当の事しか言っていなかった。


 何故ならば、ケヴィン、マルコ、ドミニクの三人は遠くからシオンを目視した時点で寮の敷地を回り込み、シオンに見つからないようにこっそり窓から寮内に入った為、シオンは三人を見ていないからである。


「そっか……。ごめん、なんでもない!僕の勘違いだったみたい!」


「おう、そうか。気にするな」


「(まぁいくらなんでも、流石にそんな偶然はないよね)」と、アルフォンスは懸念を拭い去った。


「それよりさ、どこで研究会する?図書館は、あんまり声を出すとまずいよね。いつもみたいに、食堂に行く?」


「いや、図書館二階のテラスにしよう。あそこなら話してても問題ないし、関連資料も集めやすい。それに、今日は風も気持ち良いしな」


「あっ、それ良いね!そうしよう!」


「あ、でも……」


「? どうしたの?」


「図書館にはパンが……」


「あぁ、そっか……。パンがないと困……らないよ!!良いよ、パンは無くても!!」


「……泣かないか?」


「泣かないよ!!本気な顔で心配しないで!!むしろ、今泣きそうだよ!!」


 クスッ、と笑うシオンに対して、「もうっ」と、アルフォンスも思わず笑顔を浮かべた。


 そんな他愛も無い会話をしながら図書館へ向かう、──その道中。



「C級なんかと、随分仲が良さそうじゃねぇか──アルフォンス」



 アルフォンスにとって、聞き覚えのある声が二人の後方から聞こえてきた。 


「っ!」


 バッとアルフォンスは振り返ったが、声の聞こえてきたはずの後方には誰も立ってはいなかった。


 しかし、アルフォンスが振り返った、その直後。


「雑魚のお前には、お似合いの友達だな?」


「────ッ!!」


 今度は、アルフォンスの真後ろから同じ声が発せられた。


 すぐさまアルフォンスは真後ろへ振り返った……が、またもや、そこに声の主は立っていなかった。


「どこ見てんだよ、ウスノロ。こっちだよ」


「………」


 再び後方から声が聞こえ、アルフォンスは今度はゆっくりと振り返った。


 振り返った先に、今度はニヤついた笑みを浮かべた男が立っていた。


「久し振りだなぁ、アルフォンス」


「……ロイド」


 アルフォンスがロイドと呼んだ人物は、跳ね上がったオレンジ色の髪が印象的な、アルフォンスらと同年代と思われる少年であり、アルフォンスらが着る制服とは異なったデザインの制服を身に纏っていた。


 黒を基調としているクロフォード魔術学園の制服とは異なり、白を基調としているその制服は、シオンにも見覚えあった。

 ロイドと呼ばれた男子学生が着ている制服は、クロフォード魔術学園と年に一回対抗戦を行う、アルバレス騎士学園の制服だった。


「知り合いか?アルフォンス」


 横に立つシオンがアルフォンスに問いかけ、アルフォンスはそれに答えた。


「彼はロイド。ロイド=シグルズ。シグルズ家はフリード一族の分家で、簡単に言えば僕の親戚だよ」


 その説明に異議を唱えたのは、前方に立つロイドだった。


「分家だの本家だの、相変わらずフリード家ってのは傲慢な連中だな……。家名が違うだけで偉いつもりか?」


「……別に、上とか下とかの話じゃないだろ。それよりも、どうして他校生の君がここに?」


 アルフォンスは、やや冷たい視線をロイドへ向けた。


「テメェ……。随分と生意気な口利くようになったじゃねぇか、アルフォンス……。」


 ロイドはアルフォンスを睨み返す。


「言っておくがな、別に不法侵入してる訳じゃねぇよ。こちとら用があってここに来てんだ」


「用?」


「騎士学俺ら園と魔術学お前ら園の対抗戦前に合同授業やんだろ。それのスケジュールについての騎士学園からの通知状を持ってきてやったんだよ。んで、そのついでに魔術学園の学園見学って事で……」


 そう言いながら、ロイドはポケットからトランプカード程のサイズの薄いプレートを取り出した。


「ほら。入校許可証だ。ちゃんと校門の職員から許可を得てんだよ」


 ピラピラ、とプレートを振るロイド。


「……そうなんだ。それは、お疲れ様。じゃぁ僕はこれから彼と図書館に行くから、これで」


 アルフォンスは当たり障りのない言葉を並べて、さくっと会話を切り上げようとした。


 しかし、ロイドはそれを引き止めた。


「待てよ、アルフォンス。通知状はついでで、俺はテメェに用があって来てんだよ」


「僕に?」


 怪訝な表情を浮かべるアルフォンスに対して、許可証をポケットに仕舞いながら、ロイドは言葉を続ける。


「今度の騎士学園うちとの対抗戦、お前も代表に選んで貰えたそうじゃねぇか」


「……ああ」


「俺も代表になったからよ、お前がどんな鍛錬を積んでるか敵情視察に来たんだよ」


「だが、来てみたらなんだ」と、ロイドは苛立たしげに続ける。


「対抗戦二週間前になって、お勉強会だ?それも、C級なんかと?随分余裕ぶってんじゃねぇかよ、ああ?」


「別に余裕ぶるとか、そんなつもりはないよ」


 淡々と言葉を返すアルフォンスに対して、ロイドは「はんっ」と鼻を鳴らした。


「じゃあ、こんな古くさい竜族語の魔術をC級と一緒に勉強すんのがお前の鍛錬か?」


「!!」


 アルフォンスの手にあった筈の魔術本は、いつの間にかロイドの手元に渡っていた。


「……それ。返して貰えるかな、ロイド」


「ああ、勿論良いぜ。ほら、取りに来いよ」


 と、余裕たっぷりな笑みを浮かべるロイドの元へと歩み寄り、アルフォンスはロイドが手前に掲げている魔術本に手を伸ばした。


 が、しかし。


 アルフォンスが本を掴む瞬間、アルフォンスの指先は空を切った。


「どうした?ほら、さっさと取りに来いよ」


 目の前にいた筈なのに、いつの間にか認識出来ない内に数メートル後方へ下がっていたロイドに対して、アルフォンスは冷静さを欠かないように、落ち着いて言葉を投げる。


「悪いけど、君の遊びに付き合うつもりはない。早く返して貰えるかな」


「ふん……。つまんなくなったな、アルフォンス」


 怒る様子も無いアルフォンスに対して、ロイドはやや面白く無さそうに呟くも、「まぁいいや」と吐き捨て、


「ほらよ」


 と、3メートル程離れているアルフォンスに向けて本を放り投げた。


「っ」


 バサバサとページを揺らしながら飛んでくる本を落とさぬよう、軌道の先で受け止める構えを取るアルフォンス。


 しかし。


「!」


 アルフォンスの両手に本が納まる直前、本はアルフォンスの視界から突如として消えた。


 そして、その直後。


「あれ?どうした、いらないのか?」


 と、数メートル先にいた筈のロイドの声が再びアルフォンスの真後ろで発せられた。


 すぐに振り返るもそこにはロイドの姿は無く、同時に「ぷっ」っと噴出す声が後方から聞こえてきた。


「はははははっ!何回同じ手に引っ掛かるんだよ!ほんっと、マヌケでとろいよなぁ、お前は」


 と、アルフォンスの魔術本を片手に高らかに笑うロイド。


「………」


「おいおい、そんなに睨むなよ。今度は、ちゃんと返してやるからよ」


 と、意地の悪い笑みを浮かべながらアルフォンスの目の前まで歩みよると、バサリ、と、本を地面に落とし、


「ほら、拾えよ」


 と、口角を吊り上げた。


「………」


 ロイドに対して何も言う事なく、無言でその場に屈むアルフォンス。


 そして、地面に落ちた本を拾おうとしたその瞬間、ぐしゃっと、ロイドがその本を踏みつけた。


「……っ」


「惨めな姿が似合ってるな、アルフォンス」


 冷たく、低い声が響いた。


終焉の黒殲龍シュヴァルディウスを倒していい気になっていられるのも今の内だ。フリード家お前らの天下はお前の代で終わる。俺が、終わらせる。もし対抗戦で当たった時には、それを覚悟しておくんだな」


 ロイドの言葉に、アルフォンスは屈んだ姿勢のまま何も返答せず、


「………足、どけてくれるかな」


 とだけ、言葉を発した。


 ロイドは暫く無言でアルフォンスを睨み付けるも、


「……まぁ、良いや」と、呟くと、


「それよりさぁ」


 と顔を上げ、



「───さっきから何ガンくれてんだ?お前」



 と、一瞬にして後方に立っていたシオンの目の前に現れ、彼を睨み付けた。


「っ!ロイド!!」


 それに気付いたアルフォンスは、慌ててロイドに声を掛けたが、それもお構いなしにロイドは続けた。


「さっきからずぅ~っとよぉ、俺の事睨んでくれてたよな?一体何のつもりだ?あ?」


 と、威嚇するように鋭い視線をシオンに向けるロイド。


「別に、何のつもりって訳じゃないが……。ただ──」


 それに対し、特段臆した様子も無く、



「さっきからキャンキャンと、弱い犬ほど良く吠えるもんだと思ってな」



 と、シオンは淡々と様子で言い放った。


「な……に……?」


「(シオン君……!?)」


 こめかみに青筋を浮かべながら顔を引き攣らせるロイドと、動揺した表情を浮かべるアルフォンスなど意に介する事無く、シオンは更に言葉を続ける。


「お前みたいな小者こものは下らない嫌がらせでもしないと自尊心を保てないんだろうな。お前に気持ち良く帰って貰う為にわざと演技をするアルフォンスも大変だっただろう」


「あんなを、さも見えていないようにのはな」



 ロイドから視線を逸らす事無く、淡々と言い切ったシオンに対して、ロイドは声を震わせた。


「聞こえ間違いか……?今、なんつった……?もう一回言ってくれよ、C級……」


 表情を引き攣らせながら、低くドスの利いた声を出したロイド。


 しかし、やはりシオンは一切動じる事もなく、


「聞こえただろ。お前みたいなの動きなんて、追いつかないフリをする方が難しいっつったんだよ。意味も無く相手の後ろに回ったり前に戻ったり、ドヤ顔でぐるぐる、ぐるぐると。あれでスピード自慢のつもりか?観てるこっちが恥ずかしさで憤死するかと思ったぜ。共感性羞恥テロか?」


 と、つらつらと言葉を並べた。


 すると、その中のある一言が、ロイドの琴線に触れた。


「おいC級……、お前、この俺にって言ったのか……?」


「何回同じ事繰り返すんだ?さっきからそう言ってんだろ。仮にお前が何かしてきたって、あんなトロ臭い動きじゃアルフォンスどころか、出来ねぇよ」


 シオンの台詞を前に、ロイドは思わず肩を揺らしながら俯くと、


「……なぁ、C級……」と呟き、顔を上げた。


「お前……。吐いた唾、飲み込めるとは思ってねぇよなぁ……!?」


 シオンを睨むロイドの目は、激しく血走っていた。


「いくら相手にする価値もない格下だからって、そこまで言われちゃ俺も黙っているわけにはいかねぇぞ……!!」


 目と鼻の先で怒声を浴びせられるも、シオンは表情を変えることなくロイドから視線を切らなかった。


「雑魚がスカしやがって……!!上等じゃねぇか!!この……ッ!!」

「───やめろっ!!ロイド!!」


 ロイドが拳を振り上げた瞬間、アルフォンスが勢い良く制止した。


「てめぇは口出しすんじゃねぇぞアルフォンス!!これはこいつと俺の喧嘩だ!!」


「僕は君の為に止めてるんだよ、ロイド」


「何?」


 ロイドは振り返り、アルフォンスの方を睨む。


「ここはクロフォード魔術学園で、君は他校生だ。他校の生徒と暴力沙汰を起こしたとなれば、厳格な騎士学園の生徒である君の処分は、軽くは済まないんじゃないかな?」


「……ッ」


「それに、君はアルバレス騎士学園からの正式な遣いで来たんだろ?尚更なおさら問題行動を起こしたら不味いと、僕は思うけどな」


「………」


 ロイドは拳を振り上げたまま黙っていだが、暫くして「チッ」と舌打ちを鳴らすと、


「お前に諭されるのは癪だが、確かに今の俺は軽率に喧嘩は出来ないな……」


 と苛立たしげに言いながら、ゆっくりと拳を下ろした。


「おい、C級。お友達に助けて貰えて良かったな。だが、死にたくなけりゃ今度から友達の威を借りて調子に乗るのは辞めた方が良いぜ?」


 シオンに向けてそう言うと、ロイドは踵を返し、来た道へ引き返した。


「興も冷めたし、今日はこの辺で帰るわ。またな、アルフォンス。対抗戦でお前と当たるのを楽しみにしてるぜ」


 そう言い残すと、ロイドは振り返る事無く校門へ向かって歩いて行った。


 その後ろ姿を見送り、どうにか穏便に済んだ事にアルフォンスはホッと胸を撫で下ろした。


 しかし、その直後。



「おい、待てよ」



 と、シオンがロイドを呼び止めた。


「し、シオン君……!?」


「ああ?」


 ロイドは振り返ると、怪訝な表情でシオンを睨みつけた。


「何だC級?まだ言いたい事でもあるのか?折角命拾いしたのにそれを無駄に───ッ!?」


 言葉の途中で、ロイドは目を見開いた。


、ちゃんと校門で返却しなきゃ駄目だろ」


 そう言い放ったシオンの手にあったのは、学園のだった。


「お前ッ、何でそれ……ッ!」


 と、慌てながらプレートを仕舞った筈のポケットを確認するロイド。

 しかし、ポケットの中にプレートは入っていなかった。


「いつの間に……ッ!!───ッ!?」


 動揺しながら顔を上げたロイドだったが、前方に立っていたはずのシオンは忽然と姿を消していた。


「どこ見てんだ?」

「ッ!!」


 直後、ロイドの真後ろからシオンの声が発せられた。

 即座に振り向いたロイドだったが、声がしたはずの後方には誰も立っていなかった。


「こっちだよ」


 すると、今度は再び前方からシオンの声が聞こえてきた。


「くっ!!」


 ロイドが振り向くと、シオンは彼の目の前に立っていた。


「ほら、返すよ」


 シオンは薄く笑みを浮かべながらロイドに向けてプレートを差し出した。


「帰りは財布なんか盗まれないように気を付けろよ──」


 そう注意すると、


「───ウ・ス・ノ・ロ」


 ぺち、ぺち、ぺち……、と、シオンは入校許可証でロイドの頬を叩いた。


「…──~~~~ッッ!!!!!」


 それを受けたロイドは、怒髪が天を突くほど頭に血を上らせながら、衝動のままにシオンに向けて拳を振り抜いた。


 が、しかし。


「………ッ!?」


 明らかに当たるはずだった拳は、シオンの顔をすり抜けるように空を切った。


「何!?」


「だから言っただろう」


 と、シオンはロイドに冷たく言い放つ。


「お前の酷く遅い動きじゃ、C級の俺にも触れられないってよ」


「こッ……、この……ッ!!!」


 あまりの怒りにわなわなと震えながら、ロイドは怒声を上げた。


「後悔しても、もう遅ぇぞ!!!───魔力加速アクセラレーション!!」


 ロイドは、先程まで使用していた加速魔術をもう一度発動した。


 そして、目にも止まらぬ速さで次々とシオンに対して攻撃を繰り出す。


 しかし、どの攻撃もシオンには当たらない。


 傍から見れば、ロイドの動きもシオンの動きも視認出来ず、ただ激しい風切り音のみが次々とその場に生まれているようだった。


「す、凄い……」


 折角丸く収まった筈の事態が再び悪化し、困惑していたアルフォンスだったが、常人離れした二人の動きに思わず感嘆の声を漏らした。


 そして、数々の攻撃を躱しながらも表情一つ変えないシオンとは対照的に、攻撃が外れる度にロイドの苛立ちは増していった。


「落ち着けよ。ほら、胸ポケットを見てみろよ」


「ああ!?」


 攻撃を躱しながら涼しげに声を掛けてきたシオンに対し、ロイドは吼えるも、自身の制服の胸ポケットに目をやる。


「なっ、いつの間に……!!」


 すると、そこには入校許可証のプレートが入っていた。

 ロイドの目にも止まらぬ猛攻の中、シオンはロイドが認識出来ぬ程の速度でロイドの胸ポケットにプレートを仕舞っていた。


「(こいつ……!!その気になればいつでも仕留められるとでも言いてぇのか!?)」


 ギリッと、ロイドは歯を強く噛み締めた。


「舐めんじゃ……ねぇぞ!!──魔力加速アクセラレーション・セカンドギア!!」


 更に魔力を使ってロイドの動きはもう一段階加速した。


 が、やはりロイドの攻撃はシオンには当たらない。


 みるみると魔力の減っていく焦りの中、ロイドはシオンに攻撃を繰り出し続ける。


「おい、気を付けないと危ないぞ」


「ああ!?」


「足元見てみろよ。靴紐、解けてるぞ」


「何っ!?」


 更に加速して尚、気付かぬ間に靴紐を解かれたのかと、バッと足元に目を向けるロイド。


 しかし、ロイドの靴はベルト式の固定具であり、靴紐タイプではなかった。


「お前っ……!!」


 こめかみに血管を浮き立たせながらロイドが顔を上げると、ニヤニヤと、シオンはとても愉快そうな笑顔を浮かべていた。


「………殺すッッ!!!!」


 ………


 ……


 …


「はぁ……っ、はぁっ、はぁ……」


 激情のままに攻撃を繰り出し続けたロイドだったが、かなり無理な加速を続けた為に消耗も激しく、すぐに息を切らしてしまっていた。


「どうした、もう良いのか?」


 対するシオンは、一切余裕を崩す事の無いまま、汗一つ流さず涼しげな表情で問いかける。


 まるで、「こっちはまだ続けてもらっても問題ないが」とでも言わんばかりの余裕だった。


 が、しかしその実、シオンもとっくに限界。もはや彼は「頼むからさっさと帰ってくれ」としか思っていなかった。


 いつも通りのやせ我慢で涼しげな態度を取ってはいるが、彼の制服の下の背中はもう汗でぐっしょりだった。


 だが、ロイドとて見るからに既に疲労困憊。

 更に、ここまで圧倒的な速度の差を思い知っては、気力がへし折れるのは必然。

 恐らく、もうロイドは攻撃しては来ないだろうとシオンは高を括り、自身の完全勝利は揺ぎ無いものであると確信していた。


 しかし、事態はシオンの想定外の方向へと進んでしまった……。



「はぁっ、はぁ……」


 と息を切らしながら額の汗を袖で拭うロイド。


「……本当は、アルフォンスの前では出したくなかったが、このまま黙って引き下がる訳にはいかねぇ……」


「(………え?)」


 不穏な気配に、思わず表情が凍りつきそうになるも、どうにか平静さを崩さないよう努めるシオン。


「見せてやるよ、俺のとっておきの加速……」


 まさかの、奥の手。


 対するシオンは、ほぼ魔力欠乏状態。


 この流れだと、確実に本日最高速度のロイドの攻撃が繰り出される。


 しかし、シオンにそれを躱す余力など皆無。


 ロイドがフリードの一族という事は、当然竜の血を引いている。そんな人間が、目にも止まらぬ速さで攻撃をすれば、シオンは確実に酷い重症を負う。

 それだけではなく、アルフォンスにシオンの本当の実力が露呈してしまう。


 怪我ならまだしも、それだけは何としてでも未然に防がなくてはならない。


 ……間違いなく、今更シオンが何かを言ったところでロイドは止まらないだろう。


 ただ、まだ打てる手は存在した。


 チラっと、シオンはアルフォンスの方へ見やった。


 そう、アルフォンスだ。彼が先程のように止めてくれればロイドの攻撃は未然に防げる。


 と、思ったものの、アルフォンスは既にロイドの奥の手にシオンがどのように対処するのか期待の眼差しを向けていた。


 止めるどころか、彼はロイドの攻撃を望んでいた。


「(アルフォンス……!!このパン野郎……ッ!!!)」


 万事休すである。


 仕方ない──。と、シオンは腹を括った。


「(場を納めるためにわざと当たったと思わせる作戦でいこう)」


 シオンが選んだのは、ロイドを満足させて場を収める為に、わざとロイドの攻撃に当たったかのようにみせるという戦略だった。


 間違いなく大怪我は避けられないが、アルフォンスに真の実力が露呈する事だけは回避出来る。


 今は、それ以外に選べる選択肢は無かった。


「(──ってくれ、俺の顔面)」


 そう念じると、シオンはロイドに余裕たっぷりな視線を向け、ポケットに両手を入れたまま「いつでも来い」と言わんばかりのアイコンタクトを数メートル先にいるロイドに送った。


「いくぜ……」


 それを確認したロイドは構えを取り、その場に重い緊張感が走った。



魔力加速アクセラレーション───トップギア」



 ロイドの拳は、、というより、と表現した方が正確だった。


 まさに、数メートル先から認識出来ない程の速度で放たれた拳は、シオンの鼻の先でピタリと制止していた。


「どうして……避けなかった……」


 微動だにしないシオンに対して、冷や汗を流しながら問いかけたロイド。


 どうしてもこうしても、避ける事が出来なかった所か、視認さえ出来なかったという他にない。


 しかし、先程まで底知れない速度を見せ付けたシオンが避ける事が出来なかったなど、ロイドには想像も出来なかった。


 更に、拳を繰り出してから目の前で止めるまでその余裕の一切表情を変えず、まばたきさえしなかった男が自身の動きを捉えていなかったなどとは到底思えなかった。


 故に、ロイドは思い至った。

「この男は自分の動きを完璧に見切ったのかもしれない」、と。


 内心バクバクでありながらも表情一つ変えていないシオンは、そのロイドの心境を容易に見抜いた。


「どうしてだと思う?」


 この時点で、シオンの精神的な完全勝利は確定した。


 含みのある言い方で、逆にロイドに問いかけるシオン。


「………ッ!お前、まさか……」


 シオンは、敢えて攻撃を見切ったという嘘は言わない。


 ロイドが「シオンが攻撃を見切って敢えて避けなかった」と完全に勘違いするまでの道順が、シオンの中で既に完成されていた。


「俺が止める所まで、完全に見切っていたのか……!?」


 シオンが敢えて質問で返した事が、がかえってロイドを上手く勘違いを加速させた。


 驚愕を隠し切れないまま、声を荒げるロイド。


 しかし、シオンは何も答えず、無言で踵を返した。


「行こうぜ、アルフォンス」


「あ、う、うん」


「ッ!!」


 これ以上、シオンは何も言わない。

 それが無言の肯定であるかのように思わせる事で、ロイドの勘違いは完成した。


「おい、待てコラ!!」


 図書館へ向けて歩き出した二人の背中に向けて怒声を浴びせるものの、思うところがあるのか、追いかけようとはしないロイド。


 シオンの行動は、アルフォンスとロイド両名にシオンに対して底知れない力があると思い込ませた。


 見事なまでに、シオンのプラン通りに最も望ましい結末を迎えたのだった。


 また、素早さ自慢の相手に素早さで圧倒的で底知れない実力差を見せ付ける。これ程までにシオンのツボを刺激するシチュエーションもそうそうないだろう。


 限界加速の反動と狂いそうになるほどの快感によって膝が震えそうになるのをどうにかこらえ、シオンは何事も無かったかのように歩き続けた。


「………」


 暫く茫然ぼうぜんと二人の背中を見送った後、ロイドはポツリと呟いた。


「まさか、"クリフ・ワイルダー"以外に俺のトップギアを見切る人間がいるなんてな……」



「一体何者なんだ……あのC級……」





 ◆




「さっきはごめんね、シオン君。僕のせいで厄介事に巻き込んじゃって」


 図書館へ向かう道中、アルフォンスはシオンに謝罪した。


「何、気にするな。俺が巻き込まれに行ったんだ」


「はは、それは確かにね」


 と笑うと、「それにしても」と、アルフォンスは続けた。


「ちょっと意外だったな」


 と、アルフォンスは呟いた。


「ん?何がだ?」


「シオン君がロイドに挑発した事だよ。何となく、シオン君はもっと大人な対応をするっていう勝手なイメージがあったから、ちょっぴり意外に思っちゃってさ」


「別に悪い意味じゃないんだけどね」とアルフォンスが笑うと、シオンは自分の率直な思いをアルフォンスに伝えた。


「アルフォンス、お前が俺をどう思ってるかは分からないが……」


 シオンはアルフォンスの目を真っ直ぐに見つめると、



「───少なくとも俺は、大事な友達を馬鹿にされて黙っていられるほど大人じゃないぞ」



 と、薄く笑みを浮かべながら口にした。



 すると、その瞬間。


「ア゛ッ」


 まるで身体を吊り上げていた糸が切れたかのように、アルフォンスはその場に膝から崩れ落ちた。


「えっ」


 ぺたんと座り込んだような姿勢になったアルフォンスはそのままピクピクと痙攣すると、完全に動きが停止した。


「えっ……?アルフォンス……?」


 突然の出来事に思わず素で困惑するシオン。


「アルフォンス……!?」


 アルフォンスの肩を揺するも、アルフォンスは白目を剥いたままピクリとも動かなかった。


「し、死んでる……」


 アルフォンス=フリード、享年17歳。


 生涯最大の親友に看取られながら、その人生は幕を下ろした。


 彼が最期に浮かべた表情は、とても穏やかだったという。


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