第42話 ユフィア・クインズロード <2>

 

 初めてシオンとお話をした日から、私はほとんど毎日の放課後を彼と一緒に過ごした。


 最初は私が彼から魔術や魔術師に関する物語を聞かせて貰っていただけだったけど、私も彼に何かお返しがしたいと思って、彼の魔術の練習に力添えをさせて貰う事になった。


「ユフィアが魔術を好きになれるなら、俺に見返りなんて要らないよ」と彼は言ったけれど、どうしても私が彼の力になりたいと伝えると、彼はその提案を受け入れてくれた。


 彼は魔力のコントロールに関して、感覚的な事が一切分からず、何度も試行を繰り返しながら正しい魔力の通し方を覚えてきたらしい。


 いわば、複雑に入り組んだ道を目隠しで歩きながら、壁にぶつかる度に自分の中で道順を修正し続けて目的地を目指すようなものだ。


 感覚的な魔力のコントロールに関しては完全に生まれ持った才能に依存するので、彼がより上手く術式に魔力を通せるよう、私は道案内ナビゲーションするように彼に正しい魔力の通し方を口頭で教えさせて貰った。


 私が教えるようになってから彼は格段に上達のペースが上がったらしく、とても喜んで貰えた。


 私は、やりたくも無い魔術をずっとやらされるくらいならば、いっそ魔術の才能なんて持って生まれなくて良かったとさえ思っていた。


 だけど、私の教えで彼が喜んでくれるのが何よりも嬉しく、生まれて初めて、魔術の才能があって良かったと心から思えた。



 ◆



「どうだ、ユフィア。前より少しは、魔術を好きになれたか?」


「うん……!シオンのお陰で、魔術の勉強も、実技の練習も、最近は凄く楽しいよ……!」


「そっか」


 私が答えると、彼は優しく笑った。


「ユフィアは折角才能あるんだからさ、何か魔術でやりたい事とか、夢が出来ると良いな」


「やりたいこと……夢……。考えた事、なかったわ……」


「ま、才能に人生を縛られる必要はないし、これからゆっくり見つけていけば良いと思うぞ」


「……シオンは、夢……ある?」


「ああ、あるぞ」


「……どんな夢か、聞いても良い?」


 私が尋ねると、シオンは真っ直ぐな目を私に向けた。


「俺の夢は、最強の魔術師だ」


「最強の、魔術師……?」


「ああ」


 聞き返した私に対して頷くと、シオンは続けた。



「最強の魔術師になって、助けが必要な人や、誰かの大切なモノの為に……、戦えない人の代わりに、俺が戦う。英雄譚の主人公のように、誰かの為に戦える最強の魔術師になる事───」



「───それが、俺の夢だ」



 そう語った彼の姿は、今でも目に焼き付いて忘れられない。

 とても真っ直ぐで、優しく、力強い瞳だった。


 彼としばらく一緒に過ごして、彼が魔術に強い憧れを抱いている事は分かっていた。


 でも、それを加味しても、どうして彼がそこまで一生懸命努力を続けられるのか疑問だった。


 けれど、自身の夢を語る彼の言葉を聞いた時、その理由が分かった気がした。


 きっと、そのどこまでも高潔な信念と目標こそが、シオン・クロサキという人間を突き動かし続けたのだろう。


 だからこそ、誰もが諦めてしまうような困難の中でも彼は己の道を進み続ける事が出来たのだと、私は深く納得する事が出来た。


「………すごい、素敵な夢だね」


 とても大きな夢で、遥か高みにある目標。


 けれど、彼の言葉に嘘偽りなどない事は疑いようがなかった。


 彼が本気で「最強の魔術師」を目指している事、そしてその理由を聞き、感動と敬意が胸の中一杯に溢れ、私は自然とそう呟いた。


「そう、思うか?」


「うん……っ とってもカッコ良くて、シオンにぴったりの夢だと思う……!」


「!」


「なれるよ、シオンなら……!絶対、最強の魔術師に……!」


「………っ」


 私が言うと、シオンは珍しく言葉を失っている様子だった。


「ど、どうしたの……?シオン」


 私が問いかけると、シオンはハッとしたように返事をした。


「ああ、いや……。まさか、そんな風に言われるとは思ってなかったからさ……。少し、驚いた」


「……?どうして? 私、変な事言っちゃった……?」


 私が不安げに尋ねると、シオンは少し困ったように頭を掻いた。


「変……って言うかさ……。ユフィアも知っての通り、俺には魔術の才能なんてまるでない。今年入学したばかりの1年生全員にだって、既に追い抜かれてる。そんな俺が"最強の魔術師になる"なんて言って、本気にして貰えるとは、思わなかったんだ」


 シオンの言葉に、私は強く反応した。


「そんなの、本気にするに決まってるよ……! だって、私が今まで見てきた人の中で、シオンは一番凄い人だもん……っ」


 そう、私が知る限り、シオンはこの世の誰よりも凄い。


 私みたいに、ただ魔術師の名家に生まれただけの人間よりも、シオンはずっとずっと凄い人だ。


「私、シオンみたいに真っ直ぐで、絶対に諦めない努力家で、目標に向かって一生懸命な人、他にいないと思う……。だから、シオンなら、絶対に最強の魔術師にだってなれるに決まってるよ……っ」


「そう……か……」


 普段とは比べ物にならない程つよく捲くし立ててしまった私に対して、シオンはやはり言葉に詰まったようだったが、


「……嬉しいよ、本当に。有難う、ユフィア」


 と、薄く微笑んだ。


「私、応援するね……っ シオンが夢を叶えられるよう、力になれるよう頑張るよ……!」


「ありがとう。……よしっ。それじゃあユフィアの応援に応える為にも、まずは手始めに点火イグニッションの魔術から使えるようにならなきゃな」


 シオンは、気合の入ったように朗らかな笑顔を浮かべた。


「うんっ、そうだね……!」


「今日も、アドバイスお願いして良いか?」


「うん、喜んで……っ!その代わりに……っていう訳じゃないけど、……休憩する時、昨日のお話の続きも、聞かせてくれる……?」


 私が尋ねると、当然と言わんばかりに彼は頷いた。


「ああ、喜んで。……じゃあ、始めよう───」



 私にとって、魔術も、学校も、ずっとつまらないものだった。


 魔術師の名家に生まれて、小さい頃から当たり前のように魔術を学ばされて、目標もなければ達成感も無い、そんな退屈な日々を過ごしていた。


 でも、彼と出会ってから、私は少しずつ魔術が好きになって、魔術を覚える事が楽しくなって、学校生活も楽しくなった。


 彼と出会って、私の世界は大きく変わった。

 退屈で寂しいだけだった世界を、シオンが変えてくれた。


 シオンと過ごす放課後が、掛替えのない時間が、私にとって毎日の楽しみになっていた。



 ───そんな、ある日の事だった。



 ◆ 




 シオンとお話をするようになって一ヶ月程経った、ある日の放課後。


 その日も私はシオンと放課後の時間を一緒に過ごす約束をしていた。


 ただ、その前に個別回収の課題を提出するため、既に提出済みのシオンには教室で待っていて貰い、私はホームルームの後に職員室へと向かった。


 課題の提出した後に教室に戻ると、普段なら私とシオン以外は誰も残らない放課後の教室から、珍しく話し声が聞こえてきた。



「クロサキ君、最近クインズロードさんと仲良いよね」



「(!!)」


 その声が聞こえた時、私は思わず廊下で立ち止まってしまった。


「ん?ああ、そうだな」


「もしかして、今日も今からクインズロードさんと会うの?」


「ああ」


 大きな声量ではなかったけれど、静まり返った校舎内では良く響き、廊下にいた私にも会話の内容がはっきりと聞き取れた。


 どうやら、シオンとクラスメイトの女の子二人が教室の中で会話をしているようだった。


「ふ、ふーん……。そうなんだ……。二人で、いつも何してるの?」


 何の変哲もない、ただの質問だった。

 ずっと人と関わっていなかったクラスメイトが突然特定の人物と仲良くなった事を不思議に思うのも、決して不自然ではなかった。


 それでも、そのとき私はその女の子の声色に対して、何故だか不穏な気配を孕んでいるように感じた。


「何って、そうだな。俺がユフィアから魔術を教えて貰ったり、俺の話を聞いて貰ったりって感じだな」


 何の気なしにシオンは答えたが、その直後、女の子たちは声色からでも分かるくらい、ガラリと雰囲気が変わった。


「そう、なんだ……。あ、あのさ、クロサキ君、本当はこんな事言いたくないんだけど……」

「ね、ねぇ、本当に言っちゃうの?」

「だって、言わなきゃクロサキ君が可哀想だよ……っ」

「そうだね……、それもそうだよね……っ」


「………」


 彼女たちのやり取りに対してシオンがどんなリアクションを取っていたのかは分からなかった。


 ただ、どうしようもなく嫌な予感がした。


「ごめんね、クロサキ君……。きっと、クロサキ君にとっては辛い事かもしれないけど……」


「(………っ!!)」


 ザワリ、と全身に悪寒が走った。


 その嫌な感じには、身に覚えがあった。


 初等部二年生の時、出鱈目な噂を流され、周りから冷たい目を向けられた時のあの感覚。


 三年生の時、私がクラスメイトの女の子に酷い言葉を浴びせて泣かせたという事にされ、周りの子たちから責める様な言葉を受けた時の、あの感覚。


 頭が真っ白になり、体の芯に力が入らず、グラつくような感覚。


「(お願い、やめて……っ)」


 続く言葉を止めようと思っても、私はその場から動く事が出来なかった。


 そして、無情にも女の子の言葉は続けられた。


 私が、最も言って欲しくなかった言葉が、シオンに向けられてしまった。



「あの子、陰でクロサキ君の事を馬鹿にしてるよ」



「え……」


「(………っ!!)」


「それって……、どういう、事……?」


 明らかに動揺した様子のシオンの声が聞こえた。


「あの子、シオン君と仲良くするフリをしながら、陰では悪口を沢山言ってるんだよ……」


「『いつまでも上達しなくて笑える』とか、『馬鹿にされてるのに気付いてなくて滑稽』とか、沢山酷い事言ってて、私も驚いちゃったよ……」


 ───そんな事言ってない!!


 そう言いたくても、私は口を開く事も、その場から動く事も出来なかった。


 私は人とお話をするのが上手じゃない。


 これまでも、一生懸命周りの誤解を解こうとしても、誰にも信じて貰えなかった。


 誰も、本当の事を分かってはくれなかった。


 シオンは凄く、すごく優しい人だ。

 彼なら、もしかすると私の話を信じてくれるかもしれない。


 でも、もし、彼に信じて貰えなかったら───。


 シオンに私の事を信じて貰えないかもしれないと思うと、凄く怖かった。

 それに、以前周りから向けられた視線、あの冷たい目をシオンから向けられるのが、彼に嫌われてしまうのが何よりも怖くて、私はすくんでしまった。


 けれど、シオンに嫌われる恐怖よりも辛かったのは、シオンが彼女たちから酷い言葉を掛けられている事だった。


 彼を、心無い言葉で傷付けて欲しくなかった。


 だけど私は、それを止めさせる為に勇気を振り絞る事さえ出来なかった。

 その余りの情けなさと、胸の苦しさから、声を殺しながらその場に泣き崩れてしまった。


「(ごめんなさい、シオン……。ごめんなさい……)」



「そんな……ユフィアが……」


「ショック、だよね……。ごめんね、もしかしたら知らないままの方が良かったのかもしれないけど、騙されてるクロサキ君が可哀想で……」

「酷いよね、クインズロードさん……」


「ユフィア……、信じてたのに……。くっ……」


「クロサキ君可哀想……」

「もう、あんな子と関わらない方が良いよ……」


「こんな、こんなのって、あんまりじゃないか……っ」


「(………っ!!)」


 僅かに震えたシオンの悲痛な声と、机を叩いたような鈍い音が響いた。


 彼の声を聞いて、私は胸が張り裂ける想いだった。

 ただただ悲しくて、苦しくて、両目からとめどなく涙が溢れた。


「(ごめんなさい、シオン……っ)」


 私と仲良くならなければ、きっと彼がこんな風に傷付けられる事はなかった。

 彼のような優しい人が、私のせいで傷付けられている。


「(私が……。私が、シオンと仲良くなったせいで……。私さえ、シオンと仲良くならなければ───)」


 その時だった。



「───なんてな」



「「………え?」」


「どうだ、これで満足か?」


 先程までと雰囲気のまるで違う、ケロリとした口調のシオンの声が聞こえた。


「え、な、何?ど、どういう……?」


「ん?君ら、俺が落ち込む姿が見たかったんじゃないのか?」


「えっ、クロサキ君、なに、何言ってるの……?」


「違うのか。じゃあ、───君らが個人的にってつもりだったのか」


「………ッ!!!」


「(………!!)」


「……当たりか。出来れば、んだけどな」


「え、ちょっと、クロサキ君、さ、さっきから何言ってるの?」

「クロサキ君が何を言いたいのか、よく、分からないんだけど……」


「惚けるなよ。俺が何を言いたいのか、本当は分かってるんだろ」


「わ、分からないわよ……!」


「そうか?なら、分かり易く言ってやるよ」


 一呼吸間を置いて、シオンは言い放った。



「───ユフィアは絶対にそんな事言わない。下らない嘘を吐くな」



「「………ッ!!」」


「(………!!!)」


「う、嘘じゃないよ!ね、ねぇ、嘘じゃないよね!?」

「そうだよ、私も聞いてたもん!ユフィアさん、本当にクロサキ君の事馬鹿にしてたよ!」


「そうか。じゃあそれは、いつ?どこで?」


「そ、それは、……き、昨日!昨日の実技の授業の後に、更衣室で!」


「昨日の更衣室で、か……。なぁ。俺、ユフィアが君らと会話してるところなんて一度も見た事ないんだけど、実は仲良かったりするのか?」


「あんな酷い子と、仲良い訳ないでしょ!」

「そうだよ!あの子、前のクラスでも酷い事言って嫌われてて、今のクラスになってからも殆ど話してないよ!」


「じゃあ昨日の実技の授業後に、ユフィアが急に君らに話掛けてきたのか?」


「そ、そうだよ!クインズロードさんがいきなり話掛けて来て……というか、それがなんなの!?」


「なんなのって、はは。おかしいだろ、それ」


 シオンの、呆れた様な笑い声を上げた。


「なっ、何がおかしいの!」


「なぁ、良く考えてみろよ。最近俺に魔術を教えてるって近況や実は内心馬鹿にしているなんて話を、普段会話もしない上に仲良くもない君らに対して、なんて、そんなを信じる方がどうかしてるだろ」


「っ!!」


「嘘を吐くにせよ、もう少し整合性の取れた内容にしたらどうだ」


「……ッ!!」


 少しの間、女の子達からの反応はなかったが、暫くして、小さくすすり泣くような声が聞こえてきた。


「ぐすっ……。酷いよ、クロサキくん……」

「そうだよ……!私達はクロサキ君の為を思って話したのに、嘘吐き扱いなんて……!!」


「俺の為?それは有難いな。なら俺からも、一つ良い事を教えてやるよ」


 女の子達の糾弾にもまるで動じた様子のないシオンは、言葉を続けた。


「涙で白を黒に変えられると思っているなら、気が済むまで泣いたら良い。けどな、泣き真似で何でも思い通りになると勘違いしてるなら、それは大きな間違いだ」


「……ッ!」


「どうした、泣き真似はもう良いのか?」


「……!!なんなのっ!さっきから、嘘とか、泣き真似とか……!!何の根拠があって決め付けてるのよ!!」

「私たちが嘘を付いてて、クインズロードさんがクロサキ君を馬鹿にしてないっている証拠でもあるの!?」


「別に証拠は無いが、根拠ならあるぞ」


「な、なによ!!」


「まず第一に、君らの演技が下手過ぎる。内容も滅茶苦茶だし、嘘が見え透いてる。第二に、俺はユフィアがそういう奴じゃ無い事を知ってる。俺が君らじゃなくてユフィアを信じる根拠は、その二つだけで充分だ」


「ど、どこが充分なの!クインズロードさんがそういう人じゃないって、どうして言い切れるのって聞いてるの!!」

「そうだよ!クロサキ君だって、最近話すようになったばかりじゃない!!クインズロードさんが本当に良い人かどうかなんて、分かりっこないでしょ!」


「本当に良い人かどうか、か……。そうだな……」


 少し考え込むような間の後、シオンは続けた。


「……例えば、俺の夢が『世界最強の魔術師になること』だって言ったら、君らはどう思う?」


「え?な、何、急に……」


「落ちこぼれが何を言う、そんなのは不可能だ、身の程を知れ、そう思うか?」


「そ、そんな事……」


「そりゃ口では言わないだろうな。でも、心の中ではそう思う筈だ。いや、仮にそこまでは思わなくても、少なくともそれに実現の可能性があるとは到底思わないだろう」


「別に、君らに限った話じゃない。俺の両親も、周りの奴らも、良い人達ばかりなのは間違いない。それでも、俺が本気で最強の魔術師になれるなんて思ってる人は誰一人いない。表面上は応援の言葉を掛けてくれても、そんなのは不可能だと本心では思っている」


「分かるんだ俺、


「………」


 女の子達がどんな表情をしているかは分からなかったが、シオンの話を静かに聞いている様子だった。


「けど、ユフィアはそうじゃなかった」


「(!)」


「あいつは、俺が世界最強の魔術師を目指してるって言ったとき、本気で応援してくれたんだ。俺にならなれるって、心の底から言ってくれたんだよ」


「最初に話した時だってそうだった」


「才能のあるあいつからしたら、未だに最初級魔術の練習をしてる俺の姿なんて無様で滑稽だと感じたっておかしくはない。でも、あいつはそんな俺に対して、見下すような感情なんて一切持たないで『集中してる姿が凄い』なんて声を掛けてくるもんだから、驚いたよ」


「ろくに話した事もない君らには分からないだろうけど、そういう奴なんだよ、あいつは」


「俺が物語の話をすれば、本の中の登場人物達の不幸を悲しみ、幸せを心から喜ぶ。困難を乗り越え、ハッピーエンドを迎えた物語の話を聞くと、いつもあいつは『よかった…』って、ホッとして笑うんだ」


「ユフィア・クインズロードは、そういう純粋で優しい、思いやりのある人間なんだよ」


「………っ」


「俺はユフィアがそういう人間だって知ってるから、君らの話がただのでっち上げだって分かるんだ」


「……そ、そんなの、クロサキ君があの子の演技に騙されてるだけかもしれないじゃない!!」

「そうよ!結局ただクロサキ君がそう思ってるだけで、あの子の本心は分からないでしょ!」


「……そうだな。俺が人の嘘を見抜けるって言っても、それで第三者に納得して貰うのは難しいな。これ以上、俺があいつを信じる理由を挙げるのは、残念ながら無理だ」


「ほ、ほらね!結局ろくに根拠なんて──」


「──ただ、」


 と、シオンは女の子の言葉を遮るようにして続けた。


「もしユフィアが本当に俺を演技で騙してるんだとしたら、あいつはとんでもなく嘘が上手いって事になるな」


「───少なくとも、


「――~~ッ!!」


「も、もう良いっ!!」


 酷く怒ったような、そんな大声が校舎内に響いた。


「折角、クロサキ君の為に言ってあげたのに!!後でクロサキ君が傷つく事になっても知らないからね!!」


「忠告ありがとう。気持ちだけ貰っておくよ」


「……ッ!!い、行こっ!!」

「うん……っ、そうだね、もう帰ろ!……本当に、知らないからねクロサキ君!!私達、嘘なんか言ってないから!!」


 そう言うと、女の子二人は酷く興奮した様子で教室から飛び出した。


「(!)」


 足早に歩いていく彼女たちは、どうやら廊下の陰にうずくまる私には気付かなかったようだ。


 その事に少しだけ安心していると、教室に一人残されたシオンの声が聞こえてきた。


「………それにしても、ユフィアはやけに遅いな……」


 先程までの事などまるで無かったかのように、どこか気の抜けた様子でシオンは呟いた。


 そして彼の足音から、彼が廊下側に少しずつ近づいてきている事が分かった。


「課題の修正が必要にでもなったか?まぁ、今日はそれで都合が良かっ───」


 彼が廊下に出た直後、私は彼と目が合った。


「…………あー、その……」


「………っ、ぅ………っ」


 蹲ったまま、声を殺してすすり泣く私を前にして、シオンは言葉を詰まらせているようだった。


「………えーっと……、もしかして、聞いてた?」


 私の状態を見て凡そ察したのだろう。

 そう尋ねた彼に対して、ちゃんと返事をしようと思ったけど、上手く言葉が出せず、私はただ泣きながら頷いた。


「どこから……、聞いてた?」


「……っ、ぅ、……ッ」


「………最初から、か」


 ただ顔をくしゃくしゃに歪めただけで、上手く返事をする事が出来なかったけど、シオンは私の答えが分かったようだった。


「なぁユフィア、気にするな……って言うのは無理かもしれないけどさ、でも、ユフィアが悪い訳じゃないんだ」


 彼は私に寄り添い、そっと私の肩に触れた。


「人に嫌われたり、悪意を向けられるのは辛いかもしれないけど、でも、ユフィアが人として嫌われてるんじゃくて、ユフィアの家柄とか、才能とか、そういう表面的な要素が気に食わないだけなんだと、俺は思う」


「だって、ユフィアは優しいから。本当のお前は、絶対に人から嫌われるような人間じゃないから。それは、ユフィアを知ってる俺が保障するよ」


「……っ、し、シオン……、わ、わたし……ッ」


「だから、そんなに泣くなよ」


「うっ……うぅ……」


 私が泣き止むように、シオンは優しく慰めてくれた。


 でも、彼は一生懸命私をフォローしてくれているけど、私は別にクラスメイトから嫌われているのが悲しくて泣いていた訳じゃなかった。


 彼女達の間に割って入れなかった自分の情けなさによる悔しみの涙も、その時はもう流れていなかった。


 私はただ、シオンが私を信じてくれた事が嬉しくて、本当に、本当に嬉しくて、止め処なく涙が溢れていた。


 けれど、喋ろうとしても酷く嗚咽が混じってしまい、ちゃんとシオンに言葉を伝える事が出来ず、私は彼の側でわんわんと泣き続けた。


 ………


 ……


 …



 シオンは、時折肩や背中を優しくさすりながら、私が落ち着くまで側にいてくれた。


 私はシオンに言わなきゃいけない事が沢山あったけど、上手く言葉に出来なくて、その日は結局ろくに喋る事も出来ないままだったが、シオンは何も言わずに家の近くまで見送ってくれた。



 もしかしたら、シオンに信じて貰えないのではと疑ってしまった事、シオンが酷い事を言われているのに、何も出来なかった事、そんな私を信じてくれた事、私なんかを優しいと言ってくれた事、泣きじゃくる私を優しく慰めてくれた事───。



 私はシオンに対して、謝ったり、お礼を言わなければならない事が、沢山あった。


 私は、次の日の放課後に、時間が掛かってしまっても、ちゃんと伝えたい事を言葉にしてシオンに伝えようと決めた。



 ───けれど、その翌日の放課後の事だった……。



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