第41話 ユフィア・クインズロード

 


 私は15歳になるまで、6歳から15歳までの生徒を初等部と中等部に分けて魔術を教える地元の魔術教育機関、テレンス魔術学校に通っていた。


 現在通うクロフォード魔術学園のように成績上位順にクラスを分けるのではなく、テレンス魔術学校ではそれぞれのクラスの平均的な成績が均等になるように分けられていた。



 私の学年は全4クラスで、毎年クラス替えが行われていたけれど、私はずっと一人の友達も作れずにいた。


 私は自分の考えや気持ちを言葉にする事が苦手な上に、他人から見た私の顔や態度は凄く冷たい人間に見えてしまうらしく、誰とも親しくなれなかった。


 更に言えば、私の父は地元では「能力の低い者を見下す差別主義者の魔術師」として有名で、それが災いして人が寄ってこなかったというのもあったのかもしれない。


 「差別主義者の娘」として、身に覚えのないような出鱈目でたらめな噂話を聞いた事もあったし、女の子達からは白い目で見られ、露骨に避けられていたと思う。


 10歳、つまり初等部4年生になってもそれまでと変わらず誰とも仲良くなれずにいたし、それゆえに殆どの生徒の事はろくに印象に残っていなかったけれど、ただがいた。


 それは、初等部4年生になって初めて同じクラスになった男子生徒だった。


 彼はクラスの中で、いや、全学年の中で群を抜いて実技の成績が悪かった。


 殆どの生徒は6歳でテレンス魔術学校に入学したのちに、一ヶ月もしない内に魔術媒紙メディアムペーパーに術式を書き込んだ初級火属性魔術「点火イグニッション」の発動を成功させる。


 更に、人の体内を巡る魔力は体外に放出ほうしゅつした際に煙やもやに近い見た目となって、そのもやをコントロールして魔法陣に変形させる事で魔術媒紙メディアムペーパーを使用する事なく魔術を繰り出すことが出来るようになって、

 10歳になる頃には殆どの生徒が最低でも林檎程の大きさの「火球ファイアボール」を魔術媒紙を使用する事なく発動出来るレベルに成長する。



 だと言うのに、彼は10歳になっても未だ魔術媒紙を使用した「点火イグニッション」の発動にさえ至っていなかった。


 客観的に見れば、入学直後の6歳児にさえ劣る能力だった。


 けれど、そんな彼は筆記試験の成績では常に満点を叩き出していた。


 その実技の能力と筆記試験における成績の乖離かいりもさることながら、特に印象深かったのは……



「──なぁシオン、『水球ウォーターボール』が上手く球体にまとまらないんだ。球体を作る術式は合ってる筈なんだが……」

「魔法陣を見せて貰えるか?」

「おう。……どうだ?」

「んんー。あっ、分かった。ほらここ、水量を調整する術式が微妙に間違ってる。ここは本来……、こうだ。この術式が破綻してるから上手く球体にならないんだと思うぞ。ここを直してやってみな」

「ああー! なるほどな、流石シオン! サンキューな!」

「ああ」

「よぉシオン!」

「おう、おはよう」

「昨日シオンに教えて貰った『風刃ウィンドカッター』、シオンのアドバイス通りに術式に流す魔力を調整したら上手くいったよ! ありがとな!」

「俺は教本通りの事を伝えただけだ。お前の実力だよ」

「いやいや! シオンのお陰だって!!」

「そういやシオン、『点火イグニッション』は発動出来たか?」

「いや……。まだだな」

「そうか……」

「けど、シオンならぜってーすぐ出来るって! 俺らに出来るんだからさ!」

「そうだな。頑張れよ、シオン」

「ああ。ありがとな、二人とも」



 ………と、彼は実技の能力が飛び抜けて低いにもかかわらず、周りのクラスメイトから慕われ、尊敬されていた。


 私にとって全く初めて見るタイプの人物で、会話をした事さえない彼の事が強く印象に残っていた。


 けれど、既に私は友達を作ることなど諦めていたし、結局は「これから先も関わる事のないクラスメイトの一人」、そう思って日々を過ごしていた。



 ……───そんなある日。



 ごく些細な切っ掛けで、私と彼がお話する時が訪れた。



 ◆



 ある日の放課後、私は帰宅途中に忘れ物に気付き、テレンス魔術学校に取りに戻った。


 すっかり生徒達の姿の見えなくなった廊下を進み、物音一つ聞こえない静まり返った自分の教室に入ると、意外な事に、まだ教室内に一人だけ生徒が残っていた。


「………っ」


 その光景を目にした時、私は思わず息を呑んだ。


「誰もいないと思っていた教室に人がいたから」、という訳ではない。


 私の目に映ったのは、とても衝撃的な光景だった。


 教室内の席の一つに座り机に向き合っていた生徒は、両手を机の上に置いた姿勢のままピタリと静止し、微動だにしていなかったのだ。


 無音の教室の中で、呼吸音どころか、かすかな衣擦れの音さえも聞こえず、更に言えば入り口のドアから入室した私にも一切気が付いていないようで、まるで教室内の時が止まっているのかと思わされるような光景だった。


 瞬きや呼吸による肺の僅かな動きさえ感じられず、不気味と言っても良い程に、強い違和感を抱かざるを得ない光景。


 まるで、それ自体が一つの人間離れしたパフォーマンスであるかのような姿に、私は無言で見入ってしまっていた。


 どうにも集中しているような様子だったので、邪魔にならないように近づいてその生徒の手元を見てみると、机の上には「点火イグニッション」の魔法陣が書き込まれた魔術媒紙が広げられており、どうやらその魔術の発動を試みているという事が分かった。


 そう、私の目の前にいた生徒は、同学年の中で唯一人だけ魔術媒紙を用いた「点火」の発動さえ出来ない男子生徒だった。


 彼は私が近づいた事にさえ気付いていない様子で、一心に魔法陣に魔力を込め続けた。


 魔力はそれ単体では何の能力も持たないが、順序通りに魔法陣に魔力を流すことで様々な魔術へと変質する。


 彼の手元の魔法陣は円を描く軌道で8割ほど赤い光がともっており、あと僅かで「点火」の魔術が発現する寸前だった。


 私は、じきに訪れるであろう発現の瞬間を見届けようと、異常な緊張感の中で彼の手元を見つめていた。


 しかし、その直後。


 蝋燭ろうそくの火を吹き消すかのように、一瞬にして魔法陣に灯っていた赤い光は失われた。


「……っ!! はああぁぁ……っ」


 すると、まるで止まっていた時が慌しく動き始めたかのように空気が変わり、彼は窒息寸前からかろうじて息継ぎをするように大きく息を吸った。


「はああーーーー、……駄目か」


 たっぷり吸った息を吐くと、彼は両手を机の下にダランと落としながら悔しそうに呟いた。


「………っうおッ!」


「……っ」


 直後、彼は私に気付くと、とてもビックリした様子で声を上げた。

 それと同時に彼の座っていた椅子と机がガタッと音を鳴らし、私も驚いてしまった。


「……あ、あの、ごめんなさい……」


「ああ、いや。俺が大袈裟に驚いたのが悪かった。ごめんな、人がいるって思わなかったもんで」


「私が、黙って見入っちゃってたから……」

「ん? もしかしてずっと見てた?」


「……ごめんなさい」


「いやいや! 怒ってる訳じゃない! ただ、俺が魔術の練習してる所なんか見てたって仕方ないだろうから、不思議に思って」


「……その、凄かった、から……」

「?」 

 私が言うと、彼は不思議そうに首を傾げた。


「今の、点火イグニッションの不成功が……か?」


「結果……じゃなくて、その、貴方あなたの集中してる姿が、……何だか周りの時間が止まっちゃってるみたいで……それで、つい目を引かれちゃって……」


「はは、なんだそれ」


 彼は、私の言葉に対して一切身に覚えがないのか、まるで冗談でも受け止めるように優しく笑った。


「ご、ごめんなさい……。私、変なこと言ってる、よね……」


「ああ、いや。俺には良く分からないけど、君の目にそういう風に見えたなら、別に変じゃないよ」


 申し訳無さそうにする私に対して、彼は優しい口調でフォローをしてくれた。


「今日こそは成功する気がして、いつもより気合も集中も断然高まってる自覚はあったし、気迫だけはあったかもしれないな」

 と、彼は付け加えた。


「……本当に、すごい集中力だった……」

「まぁ、失敗したけどな」


「で、でも、惜しかったね……。あと、ほんの少しで……」


「ああ。ようやく、あと一歩の所まで来れた。ここまで来るのに7年掛かったけど、今はもう目前なのがはっきりと分かる」


「うん、次はきっと………、………え?」


 彼の姿は、見る者を応援させる不思議な魅力があるんだと思う。

 初めてお話するのに、私はまるで旧知の仲かのように自然と彼に応援の言葉を掛けようとした。


 だけど、直前の彼の言葉に私は強く引っかかった。


「な、7年……?」


 正直、何かの聞き間違えかと思った。

 しかし、彼は訂正などする気配もなく、さも当然のように私の問いを肯定した。


「ああ。初めて点火イグニッションの術式を自分で書き上げた3歳の時から毎日ずっと練習し続けて、ようやくここまで来たんだ」


「─────っ」


 私は、思わず言葉を失った。


 確かに、私も物心付いた頃には既に両親から魔術を教え込まれていた。

 小さい頃から魔術を学んでいた事自体は不思議ではない。


 でも、7年間一度も成功していない魔術をずっと練習し続けるなんて、私には到底出来ないと思ったし、信じられなかった。


 そんなの、絶対に途中で諦めてしまうと思った。


「どうして、そんなに長い間、諦めずに頑張って来れたの……?」


 初めて話すのに、急にそのように踏み込んだ質問をするなんて、不躾だったと思う。

 でも、一体どんな事情があってそんなに大変な努力をしているのか、私は彼に問いかけずにはいられなかった。


「どうして、って……」


 かえって何故私がそんな事を聞くのかが不思議だと言うように呟くと、


「使えたらカッコいいじゃん、魔術」


 と、それ以外の理由など無いとでも言うように、彼はどこか無邪気な笑みを浮かべた。


「か、カッコいい……?」


 彼の言っている意味がよく分からず、私は聞き返してしまった。


「ああ。自分の手から炎とか雷とか出してさ、めちゃカッコ良いって思わないか?」


 彼は右の掌を広げて宙へ向けながら、キラキラとした目で語った。


「私には……、分からないわ……」


 私にとって魔術は、小さい頃から言われるがままに親にやらされているだけのものだった。


 一つの魔術が成功すれば、次の魔術の成功を求められる。

 私自身の目標などなければ、成長に達成感もない。


 魔術に特別な魅力を感じたこともないし、カッコいいなどと思った事も勿論なかった。


「物語に出てくる魔術師とか、カッコ良いと思わないか?」


「私、物語の本とか読まないから……」


「……魔術、好きじゃないのか?」


 私のトーンに元気がなくなっている事に気付いたのか、彼はそう問いかけてきた。


「……うん。好き、じゃない……」

「そうか……。じゃあ、」

 彼は、私の気持ちを受け止めるように言うと、


「魔術が好きになれるような話、聞かないか?」


 と、優しい声色で提案した。


「……え?」


まるで思いもよらなかった台詞に、私は目を丸くした。


「俺は今、君に魔術の事を好きになって欲しいと思った。だから、魔術の事を『すごい』とか、『カッコいい』とか、『面白い』って思えるような話を、君に聞いて欲しい」


「……どうして、そんな……。私たち、今日初めてお話したばかりで……」


 彼が厚意で言ってくれている事は分かっていた。

 でも、だからこそ、私は戸惑った。


 数分前に始めてお話をしたばかりの私に、周りから敬遠されている私に、どうして彼が厚意を向けてくれるのか、私には分からなかった。


 そんな私に、彼は言った。


「勿体ない、って思ってな。折角魔術の才能があって、魔術の学校に通ってるのに、その魔術を嫌々やってるなんてさ。どうせやるなら、好きになれた方が良いんじゃないかって」


「それに、」と、彼は続けた。


「魔術が好きじゃないって言った時の君の顔、本当に辛そうだったから。俺にどうにか出来るかもしれないなら、してあげたいって思った。まぁ、ただの我侭だな」


「………っ」


 その瞬間、胸の奥がすごく熱くなった。

 涙腺が緩んで、泣きそうにもなった。


 どうしてそうなったのか、その時はよく分からなかった。

 けど、今思えば、誰かにそんな風に優しい言葉を掛けて貰えたのが、生まれて初めてだったからかもしれない。


 或いは、彼のような優しい人が存在する事に、胸を打たれたからかもしれない。


「好きじゃない事の話なんて聞いても楽しくないだろうし、興味も無いかもしれない。俺の独善的な感情で迷惑な提案をしているかもしれない。けど、少しだけでも、聞いてみない?」


 と、彼は決して強引に話を進めようとはせず、優しく言葉を続けた。


「……じゃない」

「……ん?」


「め、迷惑、じゃない……」


 私は、彼の厚意に応えられるよう、私なりに精一杯本心を口にした。


「私、貴方のお話、聞きたい……っ」


 自分の気持ちを伝える事が苦手な私にとって、こんな風に誰かにお願いするのも生まれて初めてだった。


 それだけ、彼がどうしてそんなに魔術に熱中出来るのかを知りたかった。


 彼ともっとお話がしたいと思った。


 彼が聞いて欲しいと言うお話を、たくさん聞きたいと思った。


「そっか、良かった。それじゃあ、張り切って語らせて貰おうかな」


 ニコリ、と微笑むと、彼は「ああ、その前に」と、口を開いた。


「同じクラスだけど、ちゃんと自己紹介した事なかったな。俺はシオン。シオン・クロサキ」


「あ、私は、ユフィア・クインズロード」


「宜しくな、ユフィア」


 そう言いながら、彼はそっと私に右手を差し出した。


「う、うん……! 宜しくね、シオン……!」


 とても緊張しながら、私はその手を握り返した。

 彼の手を握った瞬間、胸が暖かくなるのを感じた。


「それじゃあ、何から話そうかな。……うーん。あ、ユフィアの一番得意な魔術の属性を聞いても良いか?」


「私の……? えっと、水、かな……」


「よし、それじゃあ水属性魔術に関係する面白い逸話から話そうと思うけど、良いかな?」

「どんな話なの?」

「俺自身結構けっこう好きな話でな、砂漠に雨を降らせた男の話だ。きっと、水の魔術が好きになれる」

「面白そう……! 私、そのお話が聞きたい……!」

「じゃあ、この話にしよう。まず、南の大陸で干からびた大地での生活に苦しむ人々がいてな───」

「───、──」

「──」



「───……で、今はその街の中心にある噴水の側に、男の像が建てられているらしい」

「そうなんだ……! いつか、その街に行った時には見てみたいわ」


彼は、お話が凄く上手で、私はすっかり彼が話す物語に引き込まれていた。


「これで、この物語はおしまいだ。……どうだった?」

「凄く面白かった……! それに、今まで考えた事もなかったけど、水魔術って、とても素敵な魔術なんだって、初めて思ったわ」


「それは良かった。……っと、もうこんな時間か。ずいぶん暗くなったな」


「本当ね……。シオンのお話が面白くて、あっと言う間だったわ……」


「楽しんで貰えたなら何よりだ。それじゃあ、もう帰ろうか」


「あっ……。う、うん……。そう、ね……」


「じゃ、気をつけてな」


 言うと、彼は荷物をまとめて立ち上がった。


「シ、シオン……っ」


 私は、そんな彼を引き止めた。


「ん?」


「あ、あの……。また、お話、聞かせてくれる……?」


「え?」


 と、彼は不思議そうな顔を浮かべた。


 私にとって、その日の彼とのお話は、本当に楽しかった。

 大袈裟なんかじゃなく、多分、それまでの人生で一番楽しいという気持ちの生まれた時間だった。


 だから、また彼とお話がしたいと、私は心から思った。


 けれど、彼の反応から、彼にはそんな気などないのだと私は思った。


 でも、それは違った。


「俺は最初からそのつもりだったけど?」


「えっ……」


「明日の放課後、時間あるか?」


「え、えっと、うん……っ」


「それじゃあ、また明日はなそう」


「い、良いの……?」


「ああ、勿論。じゃあ、また明日な、ユフィア」


 と、彼は優しく微笑みながら軽く手を上げた。


「あっ、う、うん……っ。また明日、ね、シオン……っ」


 そして私も、彼に手を振り返した。



 ───それが、私にとって初めてのお友達が出来た瞬間だった。


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