第40話 魔術師の弱み

 


「くははははっ!!! おい、お前もよく見てみろ───、……ああ?」


 大切そうにしていた短剣を木っ端微塵にされ、どれ程みじめな表情を浮かべているだろうか──、とケヴィンが後方へ目を向けると、何故かそこには見知らぬ男子学生が立っていた。


「誰だ……? お前」


 直前までとても愉快そうに笑っていたケヴィンだったが、まるで興が削がれたように顔から笑みが消えた。


「! ……おいっ、あれ見てみろよ」


 何かに気が付いたように、ドミニクが男の足元──正確には、男の足元で屈んでいるエリオットの方を指差す。


「ん……? あっ!? あれ、あのチビの短剣じゃねぇか!!」


 すると、ドミニクの言う方へ視線を向けたマルコが驚きの声を上げた。


「………」


 ケヴィンもそれに目を向け、確かに己が今しがた粉々に破壊した筈の短剣である事を確認した。


「………おい、C級グレーライン。まさかそれ、お前の仕業しわざか?」


「もしもそうならば──」という含みを持たせ、ケヴィンは敵意のこももった視線を男へ向ける。


 しかし、


「なぁ、お前ら」


 と、男はケヴィンの問いには答えず、一方的に話を続けた。


「一応確認してやるが、……こいつに土下座して詫びる気はあるか?」


 男は視線を一度エリオットの方へ向けると、再びケヴィンらを見据える。


「はっ? ぶはははっ!」

「お前、頭おかしいんじゃねぇのか?」


 それを受けたマルコとドミニクは、その問い掛けのあまりの馬鹿馬鹿しさに思わず吹き出した。


「はっ、何を言い出すかと思えば……」


 二人の間に立つケヴィンも軽く鼻で笑い、


「謝る訳ねぇだろうが、そんな奴によ……!!」


 まるで男を挑発するように言うと、下衆ゲスな笑みを浮かべた。


 それを受けたCクラスの男子生徒は、

「……良かったよ、そう言ってくれて」


 と、安心したように薄く微笑むと、


 ──その直後、



「本当は、お前らをブチのめさないと気が治まりそうになかったからな……」



 一瞬にして、男のその表情カオは豹変した。


 顳顬こめかみから額にかけてはち切れそうな程に筋を浮き立たせ、その端整な目を恐ろしい程に血走らせている。


「ッ!!」


 身の毛のよだつような、恐ろしく怒りのこももった目に睨み付けられ、マルコとドミニクはビクッ、っと僅かに身体を震わせる。


 そして、Cクラスの男子生徒はケヴィンらに向かってゆっくりと歩き出した。


「おーおー、勇ましいこった」


 周囲の景色が歪んでいるのかと錯覚させる程の怒気を放ちながら歩み寄る男に対し、ケヴィンはわざとらしく感心したような声を上げる。


「かっけぇ、かっけぇじゃんC級グレーライン。けどよ……、ヒーロー気取ってカッコ付けんのは結構だが、身の程をわきまえない馬鹿は痛い目を見るだけだぜ?」


 脅すように言うと、ケヴィンは男に向けて魔法陣を展開した。


 ケヴィンらが身に纏う制服に入っている赤いラインが、彼らがAクラス所属であると示している事は男も当然理解している筈で、二人の間に天と地ほどの実力差がある事は客観的に見て明白である。


 だと言うのに男はケヴィンに魔法陣を向けられてなお一切動じる事なく、血管の浮き出た拳を握り締めながらその軌道上を一直線に歩き進む。


 それを見たケヴィンは眉間に深く皺を刻み、苛立たしげに舌を打ち鳴らした。


「馬鹿がッ!! C級ごときじゃ、俺に指一本触れる事すら出来ねぇんだよ!!!」


 吼えると、ケヴィンは未だ歩みを止めない男に向かって魔術を繰り出した。


雷撃サンダーボルト!」


 ケヴィンが繰り出した魔術は、雷属性の基礎的な攻撃魔術「雷撃サンダーボルト」。


 基礎的な魔術ではあるが、威力の調整次第で相手に大怪我を負わせる事なく気絶させ無力化させる能力に優れ、暴徒の鎮静や過激化した喧嘩など、武力行使が必要な場面で広く使用される攻撃魔術である。


 しかし、大怪我を負わせる事無く相手を無力化出来る事も勿論そうだが、何より優れているのはその速度。


 仮に優秀でない魔術師が使用したとしても、その速度は引き放った矢のそれを大きく越える。


 既に2mを切っていた間合いでケヴィンが放ったのは、間違いなく防ぐことも避けることも敵わない、高速の一撃。


雷撃サンダーボルト」が男に直撃し、その場に崩れ落ちる未来像ビジョンがケヴィンには鮮明に見えた。


 しかし───、


 ケヴィンの放った魔術は、真っ直ぐ歩み寄ってくる男の身体を


「な……っ!?」


 その衝撃的な光景に対し、ケヴィンが目を見開き驚きの声を上げた、次の瞬間。


「────ッ!!!?」


 男との距離はまだ1m弱程度あった筈だが、まるであいだの時間が切り取られたかのように、男の右拳は既にケヴィンの顔面にめり込んでいた。


「ぐあッ……!!!」


「「!?」」


 吹き飛ばされるように顔面を殴り抜かれたケヴィンは、勢い良く後方へ倒れ込み、それをすぐ側での当たりにしたマルコとドミニクは大きく動揺し、思わず男の近くから一歩退しさった。


「く……ッ!!!」


 ケヴィンはすぐに上体を起こして男の方を睨みつけようとするが、殴られた衝撃で軽い脳震盪を起こして視界がさだまらず、苦しげに表情を歪める。


 そんなケヴィンに対して男は鋭い眼差しを向けながら、



「指一本が……何だったっけ?」



 と、挑発気味に声を掛けた。


「────ッッ!!!!!」


 それを聞いたケヴィンの顔に、激しい怒りの相が浮かぶ。


「て、てめぇ……ッ!!」


 直前の出来事に思わず怖気付いてしまっていたマルコが気を取り戻し、直情的に拳を振り上げた。


 そのまま拳を目の前の男に向けて振るったマルコだったが、───格闘技の経験など皆無の彼の大振りな拳打はいとも容易たやすく男に見切られた。


 男はマルコの拳打の軌道の真下に潜り込む様に躱すと、そのまま素早くマルコの制服の肩口の辺りを両手で掴み、引き寄せるように引っ張りながら腹部に強烈な膝蹴りを入れた。


「ぐえぇ……ッ!!!」


 内臓を押し潰されるような衝撃を受け、大きく目を剥きながら苦しげな悲鳴を漏らし、その場で膝を折るマルコ。


「くっ、この……ッ!!!」


 焦りと怒りをあらわにしながら、ドミニクはすぐさま男の真後ろから掴み掛かった。


 ドミニクの両腕が男の身体を捕らえようとした、その瞬間。──確かに目の前にいた筈の男が、ドミニクの視界から消えた。


 勢い余って虚空を抱く形となったドミニクに、右斜め後方から声が掛かる。


「おい、こっちだ」

「!!!」


 バッ、とドミニクが声の方へ振り向くと、高速で迫る何かが視界に映った。


「ぐわっ!!」


 反応する事さえ叶わず、ドミニクはよこつらに鋭い足刀を叩き込まれる。

 強い勢いでぐ様に蹴り飛ばされたドミニクは、吹き飛ばされる様に地面に倒れた。


 ケヴィン、マルコ、ドミニクは、それぞれが苦しそうに呻く。


 僅か一瞬にして、三人のA級魔術学生──それも第二学年の序列上位の者達が、たった一人のC級魔術学生を相手に地に膝を付ける事となった。



 圧倒的な実力差があるにも関わらず、そのような事態に陥った最たる要因は魔術師のにあった。



 それぞれの魔術師には大なり小なり魔術に得手不得手が存在するが、ほとんどの魔術師が共通して不得手とする魔術の分野が存在する。


 その魔術の種類は、「身体強化魔術」。


 身体強化魔術とは、文字通り魔術によって肉体を変質させ能力を向上させる魔術であるが、殆どの魔術師は生まれつき肉体と身体強化魔術との相性が悪く、どれ程優れた魔術師の家系の生まれであろうと肉体を大幅に強化する事は困難とする者が大半を占める。


 逆に、身体強化魔術に優れる者の多くはその他の魔術を不得手とし、近接戦闘用武器などを用いる、騎士や戦士といった職の血筋である場合が殆どである。


 極稀に、両方の種類の魔術を使いこなすアルフォンス=フリードのような者も存在はするが、それらは一部の例外の話であり、ケヴィンらは例に漏れる事無く一般的な魔術師と同じように「身体強化魔術」を不得手としている。


 そして、魔術師は至近距離で戦わずに済むような攻撃魔術や防御用魔術を繰り出す事によってそういった弱みをカバーするのが最も有効的な為、わざわざ肉体を鍛えたり格闘技術を身に着けたりするような事はしない。


 しかし、今回はそれがあだとなった。


 ケヴィンら三人が全く心得のない肉弾戦に持ち込まれた結果、魔術師としては明確に格下であるはずのC級に圧倒されてしまったのだ。



「自分達より弱い者を一方的に痛めつけ、大切な物を踏みにじる様なお前らには分からないだろうから……」


 静かに、怒りの孕んだ声で男は言う。


「俺が分からせてやるよ。──人の"痛み"を」


 言うと、男は再び拳を握りながらケヴィンに向かって歩き出した。


「くっ……!! 雑魚が、調子に乗んじゃねぇ!!!!」


 ケヴィンは立ち上がると、明らかな害意を持って、先程よりも高出力の雷魔術を男に向かって繰り出した。


 が、しかし。


「クソッ!!! なんで当たんねぇ!!!」


 やはり、魔術は男の身体を通り抜ける。


「くっ……!!」


 真っ直ぐ歩いてくる男に対して、数発同じように魔術を繰り出したケヴィンだったが、再び距離を詰められる事を懸念けねんし、一度目の前に魔術で岩の壁を作り出した。


 壁が男を阻んでる内に距離を取る為、正面を見据えたまま後ろに下がろうとしたケヴィンだったが、何かがケヴィンの後頭部に触れ、その動きを阻害した。


「!!」


 その感触から、、とケヴィンが認識した直後、そのままケヴィンのひたいは自らが作った壁に叩きつけられた。


「ぐがっ!!」


 その衝撃で岩の壁への魔力の供給が途絶え、壁は砂となって散った。


「……らぁッ!!」


 痛みと怒りに目を血走らせながら、ケヴィンは真後ろへ向かって勢い良く裏拳を振る。


 だが、男は即座に姿勢を低くし、あっさりとそれを躱す。

 そしてそのまま、右手で裏拳を振るった事によってガラ空きになったケヴィンの右脇腹に対し、突き上げるように左打拳を打ち込んだ。


「うッ……!!!」


 ミシリ、という音と共に強い衝撃がケヴィンの肝臓レバーを襲った。


「────~~ッッ!!!!」


 あまりの苦しさに思わずその場に倒れ込み、ケヴィンは悶絶した表情で地面を転がった。


 そんなケヴィンを援護するかのように、突如、鋭い風切り音を鳴らしながら螺旋状の風の塊が男を襲った。


 だが、やはり直撃する事なく、風の塊は男の身体を通り抜ける。


「チッ……!! ───へっ、あっ!?」


 繰り出した魔術が当たらなかった事で憎らしげに舌打ちをならすマルコだったが、直後、数メートル先にいた筈の男が一瞬にして目の前に現れ、大きく動揺する。


「ぶげっ!!」


 マルコはそのまま驚愕の浮かんだ顔面に右拳を打ち込まれ、鼻血を噴出しながら沈むように地面に倒れ込んだ。


 脳震盪を起こし、暫くは動けなさそうなマルコの様子を確認すると、男は側に倒れるドミニクに目を向ける。


 先程さきほど勢い良く横っ面に回し蹴りを入れられたドミニクは、そのまま地べたに倒れ込んだままだったようだ。


 その姿に一瞥いちべつくれると、男は無言でケヴィンの方へ視線を切り替えた。


 数メートル先で身を屈めながら、「うーッ……!!フー……ッ!!」と憎らしげに呻くケヴィンに向かい、男は再び歩み寄ろうとした。


 ───が、その時。


 突如、複数の太い岩の柱のようなものが男の周りを囲うに地面から現れ、閉じ込めるように男が立っていた場所を隙間無く覆った。


「掛かったな!!」


 その後方で、の状態から起き上がり、地面に手を付いて魔法陣を展開していたドミニクがしたり顔で吼えた。


「馬鹿が!! 今のうちに──」


「馬鹿はテメーだ」


 自分が捕らえている内に男を仕留めるようケヴィンに促そうとしたドミニクだったが、その声は遮られた。


「はっ……!? ぐがッ……!!!」


 ドミニクが声の聞こえた真後ろへ振り向くと、屈んだ姿勢のまま再びその横っ面に強烈な蹴りをお見舞いされ、横方向へ跳ぶ様に倒れ込んだ。


「う……、ぎ……」

「……っ」


「………」


 うめくマルコとドミニクを尻目に、男は再び無言でケヴィンに歩み寄る。


「ぐぅ……ッ、くッ……!!」


 段々と近づいて来る男に対し、ケヴィンは苦しそうに呻きながら睨み付ける。


 先程のボディブローを受けた際、恐らく肋骨にヒビが入ったのだろう。呼吸をするだけで突き刺すような鋭い痛みの走る患部を悲痛な表情で押さえるケヴィン。


 しかし、そんなケヴィンに対して一切の容赦をする気がない様に、男は冷たい怒りに満ちた瞳をケヴィンに向けながら一歩一歩近づいて来る。


「………ッ!! ま、待て!!」


 ケヴィンは地べたに屈んだまま、男を制するように手を前に出す。


「わ、分かった……! 俺らが悪かった!! 謝るよ…! あのチビにも、ちゃんと謝る!! だから、もう勘弁してくれないか……!?」


 それを聞くと、男はその場に立ち止まった。


「……嘘じゃないだろうな?」


 男は確認するようにケヴィンを睨み付ける。


「ほ、本当だ…! 本気で反省もしてる!! だから、許してくれ……!!」


 ケヴィンは、男に対してすがるように言葉を述べる。


「そうか、反省してるか。 ……じゃあ、」


 と言うと、男はケヴィンの背後に目を向ける。


「そのは何だ?」


 と、制するように男の前に出している左手とは反対の、まるで隠すように背中側に引いているケヴィンの右手について言及した。


「あ、ああ! 誤解しないでくれ、これはただの……」


 焦ったように言うと、ケヴィンは背中側に回していた右手を前に出し、



「『光射フラッシュ』だ!!!」



 と、男の不意を突くように、背中の後ろでひそかに展開していた魔法陣から強烈な閃光を放った。


「(いくらテメェが素早かろうと、は避けらんねぇだろ!!!!)」


「ッ!!」


 そしてケヴィンのその読み通り、男はこれまでのように魔術が通り抜けた様子もなく、僅かに焦った様子で視覚をくらまされたように身じろいた。


「今だ!! ぐ……っ! や、やれ!!」


 その隙を逃さないように、ケヴィンは軋む肋骨の患部の痛みを堪えながら、数メートル奥でどうにか起き上がった様子のマルコとドミニクに指示を飛ばす。


 そして、ケヴィン自身も魔法陣を展開し、一切容赦のない全力の魔術を男に向けて繰り出した。


獅子ロート・の業フレア・火吼レオーネ!!!」


 直径1メートルを越える真っ赤な魔法陣から、獅子をかたどった炎の塊を男に向けて放つケヴィン。


 マルコとドミニクも、それぞれが使える最も高位の風属性と火属性の魔術を同時に放つ。


 未だ視覚を取り戻した様子のない男に向けて、凄まじい勢いの魔術が三方向から同時に迫る。


 そして、もはや完全に男の退路を塞ぐ程にそれぞれの魔術が切迫せっぱくし、今度こそ間違いなく男に直撃すると思われた───、その瞬間。



 大地を震わす程の轟音と共に、凄まじく膨大な規模の水が男の足元から竜巻のように湧き上がり、男に直撃する寸前だった


 ケヴィンらの魔術を消し飛ばした膨大な量の水は渦巻きながら男の頭上高くまで噴き上がると、そのまま三頭の龍をかたどった形に変化した。


 頭の部分だけでも直径がケヴィンらの身の丈を越える程の巨大な水の龍は、ケヴィン、マルコ、ドミニクをそれぞれ睨み付けるように構えた。


「な、何なんだよ……それ……」

「そんなの、ありかよ……」


 マルコとドミニクは、それぞれが絶望したような表情を浮かべる。


 龍をかたどった魔術は、それぞれの属性の中で最上位の魔術に位置付けられており、3人の内の誰もが到底あつかう事の出来ないような、遥か高い次元の魔術である。


 散々素手で圧倒された末に、魔術においてまで恐ろしい程の格の違いを見せ付けられては、彼らは絶望する他になかった。


 今にも噛み殺さんと言わんばかりの圧力を放つ水の龍に睨み付けられ、ケヴィンは引き攣ったような笑いを浮かべながら、震え声で男に声を掛けた。


「な、なぁ……。悪かった……、つ、つい魔が差しちまったんだ……。今度こそ、もう、本当に降参するから、こ、この通り。……だから、勘弁しちゃくれないか……?」


 言いながら、ケヴィンはお手上げとばかりに軽く両手を挙げつつ、地面に両膝を付いた。


 それに対し、ケヴィンを睨む龍の奥から顔を見せた男は、すっかり視覚を取り戻した様子でケヴィンを見据え、言葉を投げかける。


「これで、反省出来たか?」


 その言葉を聞き、ケヴィンは全力で肯定するように勢い良く首を縦に振った。


「あ、ああ!! 勿論だ!! 本気で反省してるし、すっかり心も入れ替えた!! あんたの言ってた人の痛みってやつも分かったよ!! 本当だ、信じてくれ!!」


「………」


 男は、その発言の真偽を見極めるように静かにケヴィンを見据えると、暫くして静かに口を開いた。


「……そうか」


 ケヴィンの本心の確認が済んだように一度目を閉じると、そっと目を開いて言葉を続けた。


「反省して、心を入れ替えることが出来たのか。それは良かった……」


「!!」


 許しを得られそうな雰囲気を感じ取り、ケヴィンの目に希望の光が灯る。


「それじゃあ……」


 と言いながら、男は軽く右手を上げ、



その反省、活かせると良いな」



 ───と、背筋が凍るほどに冷たく言い放つと、右手の親指を立てながら拳を握り、そのまま親指の先端を勢い良く地に向けた。


「な───ッ!!!!」

「「!!!!」」


 直後、目を見開いたケヴィン、そしてマルコとドミニクを、大地を粉砕する程の凄まじい破壊力の水の龍が襲った───。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 たった一人で、あっという間に3人のA級魔術学生を叩き伏せたC級魔術学生は、エリオットの元に歩み寄った。


「……無事、守りきれたみたいだな」


「えっ……!? あ、えと、その……」


 目の前の男子学生に対して、言葉に詰まるエリオット。


 助けて貰ったお礼を言わなければ、

 短剣を護ってくれたお礼を言わなければ、

「Cクラスなのに何故そんなに強いのか」という疑問、

「どうして自分なんかを身を挺して助けてくれたのか」という疑問、

 話したい言葉が詰まって思考が混濁し、何から喋ったら良いのか分からずに混乱するエリオットに対して、男子学生は優しく声を掛ける。


「それ、大事なモンなんだろ?」


 と、エリオットが両手で抱きこむ様に持っている短剣を指差した。


「あ、……う、うん。大事な、凄く、大事なもの……」


 エリオットはコクリと頷く。


 すると、それを受けて男子学生は優しく微笑んだ。


「そっか。なら、良かった」


 そう言うと、エリオットの目を見つめながら、男子学生は自らの名前を名乗った。


「俺はシオン、シオン・クロサキ。2年だ。君は?」

「あ、えと、僕は、エリオット……! 僕も、2年生、です……!」


 その間近で向けられるその真っ直ぐな眼差しに若干どぎまぎしながら、エリオットは名乗った。


 そんなエリオットに対して「エリオットな、分かった」とニコリと笑うと、シオンは申し訳なさそうに口を開いた。


「悪かったなエリオット、通りがけだったもんで……。もっと早く、助けに入れたら良かったんだが……」

「い、いやいやいや……!! そ、そんな事、ない、よ……!! あっ、あの、ありがとう! た、助けてくれて……!!」


 ブンブンと、勢い良く首を横に振りながら、エリオットは思い出したように感謝を伝えた。


 シオンはそれに対して「ああ」と頷き、


「それより、怪我は大丈夫か? 医務室まで付き添うか?」


 と尋ねた。


「あっ、だ、大丈夫! 怪我は、く、口の中をちょっと切っちゃっただけだから……!」

 医務室に行く程の怪我ではないと、エリオットが申し出に対して遠慮すると、


「そうか。あいつらが非力で、不幸中の幸いだったな」


 と、シオンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「あ、あはは……、う、うん、そうだね」


 と、エリオットも苦笑いを浮かべると、「あっ!」と思い出したように声を上げた。


「ん? どうした?」

「あ、あの人達、だ、大丈夫、なのかな?」

「……ああ、あいつらか」


 エリオットが奥で倒れ込んでいるケヴィン達に視線を向けると、シオンもそれに追随するように目を向けた。


「……本当に反省してたら、勘弁してやろうと思ったんだけどな」

 と、シオンはどこか呆れたように言う。


「も、物凄い勢いだったけど、へ、平気なの、かな?」


 まるで本物の巨大な龍を思わせる程に凄まじい威力を見せた一撃を思い出し、エリオットは心配そうに尋ねる。


 するとシオンは、


「あー、確かにな。ありゃ死んでもおかしくなかったな。まぁでも、流石に加減はしたんじゃないか」


 と、何故か他人事の様に言いながら、僅かにエリオットの後方へ目を向けた。


「?」


 何かあるのかと思い、エリオットも背後に視線を向ける。


 特に何もない様に見えたが、一瞬、建物の陰に銀色の人の髪のようなものが見えた気がした。


 かすかに不思議そうな表情を浮かべたエリオットだったが、「そんな事よりさ、」とシオンに声を掛けられ、彼の方へ向き直った。


「エリオット、それ、特待生のバッジだろ? エリオットは何の特待生なんだ?」


 と、シオンは興味深そうにエリオットに尋ねた。


「あ、えと……、僕は、ぶ、『武器練成』っていう種類の魔術の、特待生、なんだ」


「やっぱりそうか! 道理で、良い短剣持ってると思ってな!」


 エリオットが答えると、シオンは先程までのどこかクールな雰囲気から一変、とても明るい口調で話し始めた。


「なぁ、たまに特待生用の実習室の前を通る時に金属を打ち鳴らすような音が聞こえるんだけど、あれってもしかしてエリオットなのか?」

「あ、う、うん、多分、そうだと思う……!」

「やっぱり、あれは武器を打ってる音だったか……。通り掛かる時、いつも中を見たくてウズウズしてるんだ」

「そ、そうなの? ど、どうして?」

「どうしてってそりゃ、武器が好きだから、だな」

「え、ぶ、武器が好き、なの?」

「ああ。かっけぇからな!」


 シオンは、無邪気な少年のように屈託くったくない笑顔を浮かべた。


「ぷっ……、あはは!」


 先程まであんなにも大人びて見えた彼が、何だか急に幼く見えてしまい、エリオットは思わず吹き出してしまった。


「おいこら、何を笑うか」

「ご、ごめん! で、でも、なんだか可笑しくって……! け、けど、そうなんだ……! 武器、好きなんだね!」

「ああ、特に剣は好きでな。毎日振り回して遊んでんだ」

「くっ……!! あははは! へ、変だよぅ!」


 ───エリオットにとって、こんなに長く、そして心から楽しく人と会話をするのは、もう何年振りかも思い出せない程に久しかった。


 喋るのが下手くそな僕の拙い話を、いつも優しく聞いてくれたおじいちゃん。

 僕が剣を打つと、凄く嬉しそうに見守ってくれたおじいちゃん。

 いま僕の目の前にいる彼の穏やかな笑みと、とても優しい声色を聴いていると、

 いつのまにか彼が、僕の大好きだったおじいちゃんの面影と重なって見えていた───。



 …………


 ………


 ……


「───え、良いのか!」

「う、うん! もし、先生からの許可が下りたら、だけど……!」

「まじか! いやぁ、職人が生で剣を打つところ、ずっと見てみたかったんだよなぁ」

「きょ、今日のお礼、って、訳じゃないけど、良かったら、是非ぜひ、み、見て欲しい……!」

「やったぜ! やっぱり、人助けってのはするもんだなぁ!」

「そ、そんなに喜んで貰えると、ぼ、僕も嬉しいな……」


 と、エリオットは照れた様にはにかんだ。


「……っと、随分話し込んじまったな。それじゃ、俺はそろそろ行くわ」


 と、シオンは薄く笑いながら立ち上がった。


「鍛冶場見学、楽しみにしてるぜ。それじゃまたな、エリオット」

「あ、う、うん! シオン君、今日は、本当にありがとうね……! ま、またね……!」

「ああ。それじゃあな」


 エリオットも立ち上がって最後にもう一度心からの感謝を伝えると、シオンはにこやかに手を振って応えて、正面奥に向かって歩き出した。


 しかし、


「あっ!」


 と、エリオットが声を上げた事によって足を止めた。


「ん? どうした?」

「あ、あの人達、あ、あのままで良いの、かな?」

「ああー、あれか」


 エリオットが未だ気絶したように倒れ込んだままのケヴィンらを指差すと、シオンはすっかり忘れていたかのように口を開き、


「ま、放っておいて良いだろ。その方が、きっと薬になる」


 と、さして考え込んだ様子もなくあっさりと答えた。


「そ、そっか。し、シオン君が言うなら、その方が良い、かな」

「ああ。いっぺん風邪でも引いて寝込んだ方が良い。気に病むなよ、長い目で見れば、それがあいつら自身の為になり、世の中の為となるのだ」


 ふん、と、シオンは適当な事を言いながら得意気に鼻を鳴らした。


「な、なるほど……! そ、そこまで考えてるなんて、す、凄いや……! それじゃあ、あ、あのままにしといてあげよう……!」

「ああ、そうしよう」


 シオンはニコリと笑うと、「ま、そういう事でな。それじゃ、今度こそまたな、エリオット」と、エリオットに別れを告げた。


「あ、う、うん、引き止めてごめんね! またね、シオン君!」


 そう言うと、二人は今度こそ別れ、それぞれの行く先へ向かった。



 拾った荷物をバッグに仕舞って、歩きながら、エリオットは心の中で呟く。


「(凄い、人だったなぁ……)」


 ──物語のヒーローみたいにカッコ良くて、強くて。

 ──だけど、凄く優しくて、面白くて。


 ──あんな人に自分が作った武器を使って貰えたら、一体どれ程誇らしいだろうか……。


 ──いつか必ず、彼の為に最高の剣を打とう……!!


 かねてより剣を打つのは好きで、これまで数多く作ってきたエリオットだったが、彼はこの日、生まれて初めてと、強く思ったという。



 しかし、この日エリオットが強い敬意の念を抱いたシオン・クロサキという男が、冗談などでは無く本気で毎日幼子のように剣を振るって遊んでいようとは、エリオットは到底思いもしなかったという………。



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