第38話 二人の英雄 〈2〉
「……じゃあ、俺は行くぞ」
落ち着いた様子のアルフォンスを確認すると、シオンは空になった食器の乗ったトレーを片手に席から立ち上がった。
「う、うん……」
アルフォンスはどこか気恥ずかしそうにしながらシオンに答えると、遠慮がちに周囲へ視線を向ける。
「えと、その……、かなり居心地悪かったよね、ごめん……」
「別に、気にならなかったさ」
苦笑いを浮かべながら、申し訳無さそうに謝罪するアルフォンスに対してシオンは涼しい表情で淡々と答えた。
ただそれでも、アルフォンスの罪悪感は拭えなかった。
……無理もないだろう、自身が泣きじゃくっている間、ずっと隣に座らせてしまっていたのだから。
それなりに人の多い食堂の二階席で、ただでさえ注目を集めていた自身が急に泣き始めたのだ。
きっと、周囲から変な視線を受け続けバツの悪い思いをしていたに違いないと、アルフォンスは考えた。
「……いいって。この程度のこと、気にするな」
アルフォンスが何か言った訳ではないが、まるでその胸中を汲み取ったかのようにシオンは声を掛けた。
「ごめ……っ、……いや。……有難う」
「ああ、それで良い」
気を使わせてしまったと思い咄嗟に再び謝罪を重ねそうになったが、気にさせまいとするシオンの意思に応えるべく、アルフォンスは真っ直ぐに感謝を伝えた。
「じゃあ、もう行くぞ。お前も飯が冷めない内に……って、もう冷めてるか。……ま、油が固まってクソ不味くならない内に食べた方が良いぞ」
「うん、分かった」
「それじゃあな」と言うとシオンは席を離れ、食器返却口の方へ向かって歩き出した。
「あっ、ちょ、ちょっと待って!」
「?」
アルフォンスに呼び止められたシオンは、彼の方へ振り向いた。
「あ、あのさ、もし、もし君さえ良ければ、なんだけど……」
呼び止めたものの、緊張からもごついて中々言葉を紡げないアルフォンスに対し、シオンが問いかける。
「……どうした?」
「そ、その、本当に、嫌だったら全然断って貰って大丈夫なんだけど、えと……」
言葉に詰まって一瞬(いっしゅん)俯いたが、意を決したように顔を上げるとアルフォンスは思いを言葉にした。
「また今度、一緒にご飯を食べてくれないかな……? 今日みたいな事後報告なんかじゃなくて、楽しいお話でもしながら、一緒に……!」
「……」
「どう、かな……?」と、アルフォンスは伺い立てるように尋ねた。
一瞬、アルフォンスの提案が少し意外だったのかのように僅かに目を見開いたシオンだったが、すぐに薄く微笑んだ。
「ああ、良いよ。……今日のお前の話は殆ど意味不明だったからな。また今度、違った話でもしながら一緒に食おう」
「意味不明って……。けど、良かった。凄く嬉しいよ、有難う……‼」
苦笑いを浮かべるアルフォンスだったが、すぐに嬉しそうにはにかんだ。
「大袈裟な奴だな。まぁ、俺は大体いつも二階席で昼飯を食ってるから、タイミングが良い時に好きに相席してくれ。もしお前が先に一人でいたら、俺から声を掛けるよ」
「分かった、そうさせて貰うね!……それじゃあ、また今度……!」
「ああ、またな」
と、ぎこちなく手を振るにアルフォンスに対して頷いて返すと、シオンは再び振り返りトレーを片手に歩き出した。
少しだけその背中を見送ると、アルフォンスは席に座り直し、すっかり冷め切ってしまった食事に口を付けた。
冷たく、味の落ちた食事を一人で食べながらも、アルフォンスの胸は暖かい気持ちに溢れていた。
「(凄く緊張したけど、でも、勇気を出して良かった……)」
しかし、「楽しい話でもしよう」とは言ったものの、友達と一緒に食事をする経験など皆無に等しい彼は、その時に一体どんな話をするべきか思考を巡らた。
「(………うーん、娯楽とかは良く分からないし、面白いエピソードとかも僕には無いからなぁ。まぁでも、まずは彼の好きな事とか知りたいし、それを聞くのが一番良いかな)」
そんな事を考えながら食事を進めていると、アルフォンスは不意に背後から声を掛けられた。
「アルフォンス」
「あ、シオン君。どうしたの?」
アルフォンスが振り向くと、声を掛けてきたのは先程別れたばかりのシオンだった。
食器とトレーは返却したのだろう、彼は既に手ぶらだった。
「悪い、二つだけお前に言い忘れてた事があってな」
「?」
頭に疑問符を浮かべながら、「なんだい?」と問いかけるアルフォンス。
「一つ目は一緒に昼飯を食べる話なんだが、……もしかしたら俺は別の奴と一緒に食べてるかも知れないが、その時も気にせず声を掛けてくれ」
「あっ、そうだよね……! 普通は一緒に食べてる人がいるよね……! でも、僕も加わっても良いのかな?」
「え? あ、そうだな……。まぁ、俺の昔馴染みだし、大丈夫だと思うぞ。口数は少ないが、優しい奴だしな」
一瞬「そこまで考えてなかった」という顔をしたが、シオンはさして問題なさげに答えた。
「そっか、それなら良かった。君の友達なら、僕も仲良くなりたいし、会えるのを楽しみにしてるよ」
「……、あー……」
はにかんだアルフォンスに対してシオンは一瞬だけ何か言いそうになったが、口を閉ざした。
「……ああ、楽しみにしておいてくれ」
「……? あっ、そうだ、『言い忘れてた事が二つある』って、二つ目はなんだい?」
どこか含みのある笑みを浮かべながらた彼の様子が少しだけ気に掛かったアルフォンスだったが、それよりも「二つ目」の内容が気になり彼に質問した。
「あぁ、そうだったな」
「……!」
不意に近付くと、シオンはアルフォンスの右肩に手を置いて内緒話をするかのように顔を寄た。
「アルフォンス。お前を助ける事が出来て、本当に良かった」
「……え、……えっ?」
その思い掛けない台詞に思わず動揺し、アルフォンスが目を丸くしながらシオンの方を向いた。
「……なんてな」
しかし彼は悪戯っぽい笑みを浮かべるとそのまま「じゃあ、またなアルフォンス」と言い残し、彼は未だ困惑したままのアルフォンスなどまるで意に介さないように歩き去って行った。
「………」
暫く茫然とその様をただ見ていたアルフォンスだったが、やがて、「(……あんなにしらばっくれておきながら……)」と心中で呟いた。
「(……そう言えばあの時、薄れゆく意識の中で最後に聞いた彼の声も、あんな声色だったな……)」
『よく戦ったな。あとは、俺に任せろ』
アルフォンスの脳裏に想い起こされたのは、暖かく、力強く、そして、とても優しい声色。
───……やっぱり、君があの時僕を助けてくれたんだね。
実際に目にした訳ではない。
それでも、疑う余地など微塵も無かった。
───『誰かを助ける為、何かを守る為に立ち向かう時、いつだってそいつが英雄なんだ』って、君は言ったけれど……。
それなら、僕にとっての〝英雄〟は……。
◆
アルフォンスがシオンに終焉の黒殲龍騒動の事後についての話をした日。その同日の午後。
二年Aクラスの生徒達は模擬試合の授業を行っていた。
「有難う御座いました」
「あ、ありがとうございました……‼」
女子生徒との模擬試合を終え、挨拶を交わすアルフォンス。
「あっ、あの!フリード君!」
「……? どうかした?」
アルフォンスはそのままフィールドから退場しようとしたが、アルフォンスは女子生徒に呼び止められた。
「えと、その……っ。フリード君、このあいだは助けてくれて、本当にありがとう……っ!
とても緊張した様子で、勇気を振り絞ったように彼女は言った。
「このあいだ……?あぁ、そう言えば……」
『このあいだ』と『助けた』というワードから自然と先日のドラゴン騒動の日を思い返すと、自身が黒殲龍の攻撃から生徒達を庇っていた時、確かに目の前の女子生徒もその内の一人だった事を思い出した。
「本当はその場でお礼を言うべきだったんだけど、あの時は凄く怖くて、何も言わずに逃げちゃってごめんなさい……!」
「いやいや! 全然気にしなくて大丈夫‼ むしろ、こうして今お礼を言って貰えただけでも凄く嬉しいから‼」
深く頭を下げる女子生徒に対し、顔を上げるよう必死に促すアルフォンス。
「私、本当に怖くて、『もう駄目だ』って、『死んじゃうんだ』って……、だけど、フリード君に助けて貰って……本当に、本当にありがとう……っ!」
「……っ」
顔を上げた女子生徒の目元は涙ぐみ、声も震えていた。
「(そうか……、僕があの時助けていなかったら、もしかしたらこの人は……)」
あの日あの時、もしも自分の手が届かなかったら……。
最悪の可能性も有り得たと思うと、今こうして女子生徒が元気な姿でいられる事がとても嬉しく、そして自分が本当に誰かを助ける事が出来たのだと、アルフォンスは強く実感する事が出来た。
「(『助ける事が出来て、本当に良かった』って……、こういう事だったのかな……)」
「……これ、良かったら」
と、アルフォンスは目元を涙で濡らす女子生徒に未使用のハンカチを差し出した。
「あ、だ、大丈夫っ!」
胸元で軽く手を振って断ると、「でも、ありがとうね」と言いながら女子生徒は自らの指で目元を拭った。
「フリード君って、本当に凄く優しいんだね……っ。私、前まではフリード君の事、その……」
「……冷たい人間だと思ってた?」
どこか申し訳無さそうに言い淀む女子生徒に対して、アルフォンスはその先の言葉を続けた。
「え⁉ いや、えっとっ。ちがっ、そんな事なくて……!」
「……良いんだ。実際、そう思われても仕方なかったからね」
図星を付かれたように大きく動じながら、必死に否定しようとする女子生徒に対して、優しく受け止めるアルフォンス。
「ごめんなさい……。でも、私が勝手に誤解してただけで実はフリード君は凄く優しい人なんだって、今は思ってるから……っ!ほんとに!」
「はは、有難う。そう言って貰えると嬉しいよ」
酷く申し訳無さそうにする女子生徒に対してアルフォンスは優しく微笑んだ。
正直なところ、寂しいという想いが無かったと言えば嘘になるが、それでも今こうして周りからの見方が変わっているのならばアルフォンスにとっては喜ばしい事だった。
アルフォンスに対する見方が変わったのは、彼女だけではない。
騒動の日にアルフォンスに直接助けられた生徒達や、後に凶悪なドラゴンを相手にたった一人で命を掛けて闘い抜いた彼の話を聞き、多くの生徒達の彼に対する見方が変わった。
……しかしそれでも、残念な事に周りの人間全員からの見方が良くなった訳ではなかった。
「あれ……」
ふとアルフォンスが試合用フィールドの外へ視線を向けると、言い争いをしている様子の四人の男子生徒が目に映った。
「……ごめん、僕ちょっと行って来るね。わざわざお礼を言ってくれて有難う。凄く嬉しかったよ」
「え、あ、私の方こそ、本当にありがとうね、フリード君……!」
「ああ、それじゃあ」と微笑むと、アルフォンスは足早に揉めている男子生徒達の元へと向かった。
◆
「……何だテッド。お前まさか一度助けられたくらいで手の平返すってのか?」
「今更良い奴ぶるなよ、お前はこっち側の人間だろうが」
「アルフォンスの野郎が憎くないのかよ?」
学年序列四位のケヴィン、同じく六位と七位のマルコ、ドミニクはテッドに対して詰め寄った。
「……別に、今更善人ぶるつもりはねぇよ。それに、助けられたから気が変わったとか、そういう簡単な話じゃねぇ。あいつが本当は悪い奴じゃないって事は薄々思ってたんだ。それが確信に変わった、それだけの話だ。……お前らだって本当は分かってるんじゃないのか?」
テッドは三人に対して問いかけた。
「皆の為に戦ったから本当は良い奴? はっ。英雄気取ってでしゃばっただけの、ただの自己満足野郎じゃねぇか。それをどいつもこいつも、英雄だ何だと祭り上げやがって。気に食わねぇんだよ」
ケヴィンは苛立たしげに吐き捨てた。
「……俺だってついこの間まではお前らと同じだった。だから、今になって偉そうに説教するつもりはない。けどな、暫くつるんでたよしみで言わせて貰う。傍から見て、ダサい事は止めとけ」
ケヴィンの言い分に対して思うところはありながらも、それを堪えてテッドは冷静に語り掛けた。
「……おい、テメェいい加減にしとけよ。説教するつもりはない? ダサい事はやめとけ? どの面下げて言ってんだよ」
「達観したような口叩いて、俺らより上にでもなったつもりか?」
「急に手の平返してデカイ態度とるなんてよ、俺らよりお前の方がダサイ事に気付いてねぇのか?」
ケヴィン、マルコ、ドミニクは口々にテッドを糾弾する。
「……あぁ、そうだな。お前らの言う通り、俺が一番ダサいよ。そんなの自分でも良く分かってる。……それでも、これは俺が通さなきゃいけない義理なんだよ」
三人から同時に責め立てられもなお堂々と言い切るテッドに対し、ケヴィン呆れたように溜息を吐いた。
「………はぁ。テッド。何かつまんなくなったな、お前」
ケヴィンはテッドに対し冷たい目を向けながら口を開く。
「もう良いよ、そんなに嫌ならお前抜きでやるからさ。こんな奴とはこれで縁を切ろうぜ、マルコ、ドミニク」
「ああ」
「そうだなケヴィン」
ケヴィンが視線を配ると、二人はそれに同調した。
「じゃあな、日和見野郎」
そう言ってその場を離れようとしたケヴィンの肩を、テッドが強く掴んだ。
「おい、待てよ」
ケヴィンはテッドの方へ振り向き、睨み付ける。
「……離せよ、テッド」
「どういうつもりだ?」
マルコがテッドの腕を握り、ケヴィンから引き剥がそうとする。
「やらせねぇっつってんだろうが」
しかし、テッドはなおも力強くケヴィンの肩を握る。
「テッドっ! てめぇいい加減に……ッ‼」
ドミニクが怒声と共にテッドの胸倉を掴み、その場に一触即発の空気が生まれる。
……しかし、丁度その時。
「テッド、大丈夫? どうかした?」
と、四人の元にアルフォンスが現れた。
◆
ドラゴン騒動後、テッドは学園から離れた王都の医療施設で治療を受けていたアルフォンスの元まで足を運び、これまでの彼に対する態度や行動を謝罪し、二人は無事に和解した。
そんなテッドがいつも一緒にいた三人と揉めている姿が見え、足早にその場へ向かったアルフォンス。
彼が四人の元へ辿り付いた時その場はまさに一触即発の空気となっており、アルフォンスはケヴィン、マルコ、ドミニクの三人への牽制の意味も込めてテッドに声を掛けた。
「テッド、大丈夫?どうかした?」
「アルフォンスっ……! いや、何でもないんだ。お前は気にするな」
テッドはアルフォンスの登場に驚き、思わずケヴィンの肩を掴んでいた力が緩んだ。
その隙にケヴィンはテッドの手を振り解くと、直前まで揉めていたテッドの事など気にも止めないようにアルフォンスに声を掛けた。
「やあ、アルフォンス! 聞いたよ、この間の君の活躍! 君は凄い奴だね‼」
わざとらしい笑みを浮かべながら、思っても無いような事をペラペラと語るケヴィン。
「……僕は、大した事はしてないよ」
ケヴィンの言葉にどこか敵意が込められている事を感じながらも、冷静に返答するアルフォンス。
「またまた、謙遜を! そういう謙虚な所も、英雄だなんて言われる所以なんだろうなぁ! ほんと、見習いたい精神だよ!」
「………」
どうにも演技臭い口調でアルフォンスを持ち上げるケヴィン。若干訝しむような視線を向けるアルフォンスに対し、彼は「ところで!」と切り出した。
「良ければ、これから俺と実戦練習をしてくれないかな? 是非、英雄様の胸を借りたくてね!」
「おい‼」
ケヴィンがアルフォンスに実戦練習を申し込むと、テッドが即座に声を荒げた。
再びケヴィンに掴み掛かろうとするテッドだったが、マルコとドミニクの二人が体で遮る形で強引にそれを制した。
「離せっ! おいアルフォンス、そんな申し込み受ける事はないぞ‼」
「おいおい、どうしたんだテッド? 少し落ち着けよ」
ケヴィンはテッドの方へ振り向くと、優しく諌めるように声を掛けた。
「今は実技の授業中で、俺はただ実戦練習をお願いしてるだけだぞ?」
「テメェ、テキトーばっか言ってんじゃねぇぞ!」
マルコとドミニクの二人に押されながらも、テッドはケヴィンを強く睨み付ける。
しかし、ケヴィンはテッドの事など歯牙にも掛けないようにアルフォンスの方へ振り向くと、
「言いがかりも甚だしいね。俺は至って真面目に授業に取り組もうとしているだけなのに。……お前もそう思うよな、アルフォンス?」
「……ああ、それはそうだね」
少し間を開けながらも、ケヴィンの主張を肯定するアルフォンス。
「流石っ! 理解があって助かるよ‼ じゃあ、実戦練習も受けてくれるかな?」
「アルフォンス! 練習なんかじゃない! そいつらは……」
「お前は黙ってろっ‼」
テッドはアルフォンスに何かを伝えようとするが、ドミニクの怒声に遮られる。
「聞け、アルフォンスっ」
「──テッド」
それでも何かを伝えようとしていたテッドに対して、アルフォンスは穏やかな声色でそれを止めた。
「有難う。でも、僕は大丈夫だから」
「アルフォンス……」
気掛かりそうな表情を浮かべるテッドから視線をケヴィンの方へ移すと、アルフォンスはケヴィンの申し出を受け入れた。
「良いよ、やろう」
「ほんとか⁉いやぁ、英雄様の胸を借りられるなんて光栄だなぁ!」
「……アルフォンス」
言うと、テッド以外の四人は模擬試合用のフィールドへ向かい、テッドはその後姿を不安げに見送っていた。
◆
四方に魔術障壁の張られた十メートル×十五メートルの長方形フィールド内で、最手前にケヴィン、最奥にマルコとドミニク、そして中央にアルフォンス立ち、ケヴィンと向き合う形で位置取った。
フィールド内に入ったアルフォンスが改めてケヴィンにお願いされたのは、実戦同様の模擬試合ではなく「火属性魔術を風属性魔術で防御する手本を見せて欲しい」という内容だった。
手筈としては「ケヴィンの初級火属性魔術『
しかしながら、マルコとドミニクが見学の為にわざわざフィールド内でアルフォンスの背後に立つという、非常にイレギュラーな状況だった。
これまでアルフォンスに対して好意的でなかった彼らがこんな練習を申し込む時点で何か裏があるであろう事は察していたが、先程のテッドとのやり取りも含め、相当悪意のあるシチュエーションを作られた事は確信的であった。
ユフィア・クインズロードとエリザ・ローレッドの模擬試合の監督に付きっ切りになっている監督教員の目が届かない今のタイミングである事も、恐らくは彼らの計算づくなのだろうとアルフォンスは推測した。
しかしそれでも、それを察した上でアルフォンスは彼らの指定通りに魔術の準備を行った。
屈んだ姿勢で地面に右手を付けると、自身の身体を中心に地面に直径一メートル程の「竜巻」の魔法陣を展開し、ケヴィンに声を掛けた。
「……こっちは準備出来たから、いつでも良いよ」
ケヴィンはアルフォンスが展開した魔法陣の術式が間違いなく「竜巻」の術式である事を確認すると、
「ああ、それじゃあ……」
と、後方のマルコとドミニクに目配せをし、アルフォンスとの打ち合わせ通りに「火球」の魔法陣を展開────、するのではなく、
「
と、事前に術式が書き刻んでいた紙を懐から取り出すと、ケヴィンはそれに魔力を通して自身の扱える最高位雷属性魔術を瞬時に繰り出した。
……案の定、ケヴィンはアルフォンスに魔術の手本を見せてもらうつもりなど毛頭なく、自分の気に食わないアルフォンスを嵌めて一泡吹かせる事が目的であった。
ケヴィンが自身の魔力で魔法陣を展開していれば、展開した魔法陣が「火球」ではない事を瞬時に見抜かれ、アルフォンスに瞬時に対応されてしまう可能性があった。
しかし、事前に魔力の伝導率の高い魔術媒紙呼ばれる紙に「紅血の雷鳴」の術式を書き刻んでおき、それを使用する事でノータイムで魔術を発動させる事でアルフォンスが「竜巻」の魔法陣を解除する前に高速の雷撃を彼に向けて放つ事に成功した。
火、水、風、土、雷といった自然現象を基にした魔術は、実際の自然現象と性質がよく似ている。
それらの中で雷属性の魔術は発生から対象への着弾が飛び抜けて素早く、放たれた後に反応して防御魔術を展開し防ぐ事は非常に難しい。
また、火、水、土といった属性の魔術に対して風属性の魔術をぶつけると両魔術の魔力が反発し合い、自然現象と同様に遮る事が可能である。
しかし、こと雷属性の魔術に対して風魔術をぶつけても魔力同士が反発する事はなく、雷魔術は風魔術をものともせずに突き抜ける。
つまり、そのまま初級風属性魔術の「竜巻」を発動させたところでアルフォンスにケヴィンの魔術を防ぐことなど出来よう筈もない。
とは言え、相手はS級のアルフォンス=フリード。
ひょっとすると放たれた後の「紅血の雷鳴」に反応してから「竜巻」の魔法陣を取り消し、新たな防御魔術を展開する事も可能かも知れない。
だが、もしもそれが出来たとしても第二の矢、後方のマルコとドミニクからも同じタイミングでそれぞれが扱える最高位の雷魔術が放たれている。
仮にケヴィンの魔術を防ぐ為の魔術を発動出来たとて、後方の二人からの攻撃まではケアしきれまいとケヴィンは踏んでいた。
「(なにが『僕は大丈夫だから』だ、馬鹿が‼ 痛い目みやがれ‼)」
自らの計画が全て上手く行った事を確信し、ケヴィンは口角を上げた。
──だが、その瞬間。
「
まるで空間ごと薙ぐような轟音と共に凄まじい暴風がケヴィンらの魔術を打ち払い、三者諸共吹き飛ばした。
◆
「アルフォンス……、て、テメェ……」
フィールドの魔術障壁に激しく全身を打ち付けられたケヴィンは、痛む身体を倒れた姿勢から無理矢理起こし、アルフォンスを睨み付けた。
「……ごめんね、手本を見せるだけの筈だったのに、驚いて力が入りすぎちゃったみたいだ」
事前の打ち合わせとは異なる事態と至ってしまった事に対して、アルフォンスはケヴィンに詫びた。
「ふざけるなよ、お前っ‼ 話が違うだろうが‼ 俺らはお前に「竜巻」を使うように指定したんだぞ‼」
「お前、初めから違う魔術を仕込んでやがったな‼」
アルフォンスに対して、ケヴィンらはまるでお手本のような逆ギレを展開した。
「……人聞きが悪いね。僕は言われた通りに『竜巻』を使ったよ。それより、君たちこそ話が違うんじゃない? 雷属性の上位魔術を使うなんて聞いてなかった気がするんだけど」
三人に対して、アルフォンスは至って冷静に返答した。
「ふ、ふざけろ‼ 風属性、しかも初級の魔術で俺達三人の雷属性魔術が防げるものかっ……‼」
「そ、そうだ‼ 大英雄の子孫ともあろう男が、下らない見栄張ってんじゃねぇぞっ……‼」
「立ち合い前の取り決めも守らないなんて、英雄様が聞いて呆れるぜ‼」
自分達を棚に上げたケヴィンらの反論も糾弾も、内容は酷く支離滅裂だった。
それは現状が信じられない混乱からか、一泡吹かせるつもりが逆にしてやられた怒りからか、或いは両方か。
そんな三人に、アルフォンスは冷たく問いかけた。
「……君達さ、本気で言ってるの?」
「……なに?」
アルフォンスの態度が気に食わない様子で表情を歪めるケヴィンに、アルフォンスは続ける。
「確かに風と雷じゃ致命的に相性は悪いけれど、それでも魔術に込められた魔力の密度が高ければ不利属性でも対応出来る。君達の雷魔術より僕の風魔術の魔力密度が圧倒的に高かったから、今回はこういう結果になったんだよ」
「……っ‼」
「まぁ、魔力密度の差で不利属性を克服出来る事は魔術師にとっては常識だし、君達と僕の力量差じゃこうなるのも必然だよ。至って普通の結末だと納得して欲しいかな」
魔術師にとっては常識とも言える魔力の性質について改めて説明し、彼らからの言い掛かりを全否定したアルフォンス。
だが、その発言はケヴィンらの逆鱗に触れた。
「普通の事だと……⁉ お前にとっては普通でも、俺らは俺らなりに強くなろうと足掻いてるんだぞ……‼ たまたま生まれが良かっただけの奴が、偉そうに威張ってんじゃねぇッ‼」
「皆から英雄だなんだと言われようが、やっぱりお前は入学試験の時から何一つ変わってないんだな……‼」
「自分が持って生まれた側だからって、特別じゃない人間は平気で見下し、貶す‼ お前は英雄なんかじゃない、ただの人でなしの自己満足野郎だ‼」
激高する三人に罵詈を浴びせられるも、アルフォンスは以前までのようにただ俯く事はしなかった。
「……そうだね。人はそれぞれ持って生まれた能力が違うし、確かに僕は生まれには恵まれたと思う。……でも、だからと言って周りの人達を見下すなんて事は誓って有り得ない」
そう言うと、アルフォンスはケヴィンらに強い視線を向ける。
「けど、はっきり言って僕は君達にだけは絶対に負けないと思ってるよ」
「なっ……⁉」
想定外の言葉に、ケヴィンらはあからさまに動揺した。
そんな彼らに対し、アルフォンスは力強く言い切った。
「だって僕は、君達の誰よりも必死に努力しているからね」
アルフォンスにそう言わしめたのは、実際にこれまで必死に積み重ねて来た努力の日々から来る確固たる自信。
──もしかしたら、僕の与り知らない所で彼らも彼らなりに努力をしているのかもしれない。だけど……。
「自分自身が強くなろうとするんじゃなく、他人を貶める事に躍起になっているような人達が僕に敵うとは到底思えない」
「ッ‼」
周りから腫れ物の様に扱われ、非難や誹謗中傷を浴びせられても、アルフォンスは自身の自業自得だとずっと諦観していた。
そんな以前までのアルフォンスからは想像も出来ないような芯の強い言動にケヴィンらは動揺し、反論の言葉も出せずにいた。
「僕を貶したいなら自由にすれば良い。一泡吹かせたいなら、また今日みたいに卑怯な手でも使えば良い」
「けど、一つだけ言っておくよ」と、アルフォンスは続けた。
──誰かに嫌われるのは辛い。
──誰かから悪意を向けられるのも、それに立ち向かうのも怖い。……それでも───。
アルフォンスは、ケヴィンらに向けて力強く言い放った。
「僕は、もう二度と君達の悪意に挫けたりしない」
──だって僕は、大英雄の子孫だから。
──
◆
……──こうして、あわや世界の危機とも思えた
この事件によって一人の英雄は「悪意に立ち向かう勇気」を手にし、もう一人の英雄は、「言い表し難い程の快感」を手にしたという……。
……そしてこの数日後、シオンに再会したアルフォンスは彼に尋ねた。
「シオン君って、本当は一体何者なの?」──と。
それに対してシオンは、
「何言ってるんだアルフォンス。──俺は、ただのC級魔術学生だよ」と、どこか得意気に笑うのだった。
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