第37話  二人の英雄

 


 ──終焉の黒殲龍の突然の襲来。


 それはクロフォード魔術学園の土地の一部、ひいては学園内の食堂に壊滅的な被害をもたらした。


 黒殲龍の猛威と一人の勇敢な学生による闘いの余波により、食堂内の多くの備品が破壊され、壁や天井、支柱などが殆ど崩れるなど、酷い損壊状態に陥った。



 ……それから一週間後。



 魔術によって建造物の練成を行う腕利きの建築士や、練成の為の資材や必要な備品を速やかに運搬した運送業者の尽力によって建物は無事に復元され、休止していた学園の食堂が再び利用可能となった。


 利用が再開された食堂内は以前までのように多種多様な生徒達で溢れた。


 一人で黙々と食事をとる学生、友人らと談笑に耽りながら食事をとる学生、学術書を広げ授業の予習復習を兼ねながら食事をとる学生。


 そこには、まるでドラゴンの襲来などすっかり忘れさられたかのように和やかな空気が溢れていた。

 そして、シオン・クロサキもまた再開された学園の食堂を訪れ、現在は一階席よりも比較的空いている二階席で食事をとっていた。


 すると突然、至って和やかだった二階席の空気は一変し異常なざわつきに包まれた。


 生徒達が騒然とした様子で互いに顔を見合わせながら、一斉に視線を向ける先にいたのは、一人の金髪の男子学生だった。


 生徒達の視線を一堂に集めている張本人はどこか戸惑っているような苦笑いを浮かべながら、食事の乗ったトレーを片手にシオンの側に訪れた。


「……やあ」


 金髪の男子学生、アルフォンス=フリードはシオンに声を掛けた。


「おう」


 シオンは立ったままのアルフォンスに対して視線を上げて向けながら答える。


 まるで友人の間柄のような挨拶をしているが、二人には殆ど交流はない。


 しかし、二人は互いに距離を作らず、至って気さくなやりとりをしていた。


「……隣、良いかな?」


「ああ、空いてるぞ」


「有難う、失礼するよ」


 そう言うと、アルフォンスはテーブルにトレーを置き、空いていたシオンの隣の席に腰掛けた。


 すぐに食事を始めるではなく、視線をやや下げたままアルフォンスは口を開いた。


「ここに来たら、君に会えると思ってね」


「そうか」


 二人は昼休みに一緒に食事をするような仲でもなければ、そのような約束をしていた訳でもない。

 しかし、シオンはアルフォンスの言動に動じる様子も無く、パンを咀嚼しながらごく暢気な調子で答えた。


「名前、聞いても良いかな?」


 アルフォンスは視線を隣に座るシオンの方へやや向けながら尋ねた。


「シオンだ。シオン・クロサキ」


「シオン……君か。僕の名前は……」


「知ってるよ、アルフォンス=フリード。元々かなり有名だったが、今や学園中でその名を知らない生徒はいない。なんたって──」


 シオンの名前を確認し、自ら名乗ろうとしたアルフォンスだったが、シオンがそれを遮った。



「学園を襲ったドラゴンをたった一人で退け、何十人もの生徒を救った英雄だからな」



「……ああ、そうだね」


 アルフォンスはそう言うと、今なお自身や隣で話すシオンに対して視線を向けて騒然としている食堂内の生徒達を見渡して言葉を続けた。


「何故か、ね」


 アルフォンスは再び視線を下げて語り始めた。


「確かに、あの日僕は終焉の黒殲龍と戦った。でも、傷一つ付ける事さえ叶わずに僕は負けた。……身動きも取れず、止めを刺されそうになった直後に僕はある人に助けられ、そこで気を失った」


「……」


「──そして目を覚ましたら、何故か僕が黒殲龍を打ち倒した事になっていた。……僕が治療室で目覚めた時、治療師の先生から『君がドラゴンをコテンパンに倒す姿を目撃した生徒がいたらしい。凶悪なドラゴンにもう二度と人里に近づかないと誓わせるなんて、流石大英雄の子孫だね』って言われたよ」


「……」


 話を続けるアルフォンスの隣で、シオンは黙々と食事を続けている。


「学園に駆けつけた救助隊が目撃者の生徒から話を聞いていて、既にそれが揺ぎ無い事実であると話が広がっててね。いくら『僕じゃありません』って伝えても、『激しい戦いの影響で記憶が飛んでるだけだ』、『目撃した生徒がいるんだから』って聞く耳を持って貰えなかった」


「でも」と、アルフォンスは言葉を続ける。



「黒殲龍を退けたのが僕じゃない事は、僕自身が一番良く分かってる」



 そしてアルフォンスは、その視線を隣に座るシオンへと向けた。


「……君なんだろう? シオン君。本当は君が、終焉の黒殲龍を退け、全てを僕の功績という事に仕立て上げた」


 あの日、ドラゴンに学園が襲われているにも関わらず、何食わぬ顔で食事を続けていただけでも只者ではないとアルフォンスは断言出来た。


 そのうえ、意識が殆どなかったとは言え、黒殲龍の黒炎によって焼き殺される寸前だったアルフォンス本人にさえ知覚出来ないような速度でその窮地から救い、目の前で彼が黒殲龍に立ち向かう姿を彼は確かに見た。


 故にアルフォンスの言葉と視線には、もはや疑う余地などないと言うかのように非常に強い確信が込められていた。


 ……だが、しかし。



「──いや、違うけど?」



「……そっか」


 問われたシオンはそれを、しれっと否定した。


 だが、アルフォンスもまるでその答えは想像出来ていたかのようにあっさりと受け入れる。


「……やっぱり、隠すんだね。でも、きっと事情があっての事だろうから、深くは詮索しないよ」

 あくまで自分の主張が事実であるとし、シオンが否定するのには何か事情があると察しているように語るアルフォンス。


「……」


シオンはその言葉に対して、やはり沈黙を貫いた。


 ──だが、顔色一つ変えていない彼の内心は狂喜乱舞であった。


 そう、アルフォンスの指摘通り、駆けつけた救助隊を欺き全ての功績をアルフォンスのものであるという事に仕立て上げたのは他ならぬシオンだった。


 そして、アルフォンスはシオンが実力や正体を隠す事に何か深い事情があると考えている。


 だが、勿論そのような事は全くない。


 シオンが事実を隠すのは、ただ単純に彼のいつもの奇行の一つでしかない。


 生徒達を救ったアルフォンスが「表の英雄」だとするならば、誰にも知られる事なく終焉の黒殲龍を退けたシオンは「陰の英雄」。


 そう、全てはその「陰の英雄」という立場に身を置きたがったが為にでっち上げた嘘。


 そこに深い事情など無く、ただシオンが悦に浸りたかったというだけの理由。


 だが、シオンにとっては世界最強のドラゴンを退けたという功績を周りから賞賛される事よりも重要な事。


 大きな事を成し遂げれば成し遂げる程、それを大衆に知られていない事こそが彼にとっての喜び。


 更に言うなれば、ただの口八丁だったという事は知らず、シオンが黒殲龍を退けたという認識をアルフォンス=フリードのみが持っているというシチュエーションはまさに至高。


 現在の彼の内心は、これまでの人生における興奮の最高記録を大きく更新していた。


 そんな興奮を表情に出さぬよう努めながら黙々と食事を続けるシオンに対して、


「……君の事情や正体は置いておくとして」


 と、アルフォンスは話を続けた。


「僕は目を覚ましてから一週間、実家に呼び出されて帰省していたんだけれど、そこで今後の終焉の黒殲龍への対処についての話合いが進んでね」


 その内容は、黒殲龍が学園を襲撃した日から一週間の間の、黒殲龍に関する対処の話だった。


「黒殲龍らしき目撃情報が世界各地でちらほらあるんだけど、調査隊が捜しに行っても一向に姿を確認出来ていないらしくてさ。一応、今後は黒殲龍の捜索を進めながら、有事の際の対策部隊が組まれるらしいんだ。……本来であれば一刻を争う緊急事態なんだけど、僕が『コテンパンに倒した』、『もう二度と人里に近づかないとドラゴンが誓っていた』っていう目撃者の証言を踏まえて、取り敢えずは国民には情報を伏せたまま、一部の人間だけで対処を進める手筈になってさ」


「……」


 話を聞きながら、シオンは何食わぬ顔で食事を続けた。


 そんな彼に対して、アルフォンスは話を続ける。


「重役からの使いが何度か君の所に話を聞きに来たと思うんだけれど、改めて僕からも聞かせて欲しい」


 そう言うと、アルフォンスはシオンの方へ向き直った。


「黒殲龍は『二度と人里に近づかない』と誓っていたらしいんだけど、それに間違いは無いんだよね? シオン君」


「ああ、断言する」


 真剣な眼差しを向けてシオンに問うたアルフォンスに対して、食事の手を止めて口を開いた。

「奴はもう、永久に人を襲う事はない」


 シオンはアルフォンスの問いに対して、ごく短く、しかし堂々と言い切った。


「………」


 二人の間に、僅かな沈黙が生まれる。


 アルフォンスは、シオンの真意を探るように彼に静かに視線を向けた。


「……そっか」


 すると、やがてふっと張り詰めていた空気が解けたようにアルフォンスは肩の力を抜き、薄く笑みを浮かべた。


「それを聞けて良かった。安心したよ」


 シオンの言葉に嘘偽りがないと判断したアルフォンスは、それ以上真偽を確かめようとはしなかった。


「それにしても、あの終焉の黒殲龍にそこまで言わせる何て、本当に君は凄いね」


 アルフォンスはシオンが黒殲龍を退けた事を前提に話すが、シオンはそれに対して肯定も否定もせずに食事を続けた。


「……きっと、君みたいにとんでもなく凄い人が、真の英雄と呼ばれるんだろうね」


 言うと、アルフォンスはどこか自虐的に、そしてもの憂げな表情を浮かべた。


「僕みたいな、……偽りの英雄なんかじゃなく」


 ……すると、その瞬間。


「それは違うぞ、アルフォンス」


 と、彼の言葉に対してシオンは一切の間を置かず否定した。


「お前は俺がドラゴンを退けたと勘違いしているようだが、この際それはどうでも良い。……だけどな、これだけは断言しておく」


 その声は、先程までのどこか惚けた口調ではなく、底知れない真剣みを帯びていた。


「学園にドラゴンが現れ生徒達を襲った時、俺には彼らを救う事など出来はしなかった。お前が勇敢にも終焉の黒殲龍に立ち向かい、戦ったからこそ、彼らは助かったんだ」


「……っ」


 強い眼差しを向けながら話すシオンに対して、アルフォンスは言葉が詰まった。


 アルフォンスの脳裏に浮かんだのは、必死に恐怖を押し殺し、ただ皆を救うために黒殲龍に立ち向かったあの日の自分。


「それにな」


 と、シオンは言葉を続けた。


「英雄っていうのは、とんでもなく凄い力があるとか、大きな事を成し遂げたとか、そういう奴の事を言うんじゃない」


 シオンの眼差しには、更に強い光が宿った。



「……誰かを助ける為、何かを守る為に立ち向かう時。──いつだってそいつが英雄なんだ」



「………ッ‼」


 アルフォンスの中で、強く、とてつもなく強く、何かが自分の胸を打った感覚が生まれた。


「……あの日、多くの生徒達を救うために終焉の黒殲龍に立ち向かい、彼らを救ったお前は、紛れもなく真の英雄だ。だから───、」


 どこか厳しく、そしてどこか優しく、シオンは言った。


「自分が〝偽りの英雄〟だなんて、二度と言うな」


「……‼」


 瞬間、息が詰まるような、胸が苦しくなるような感覚に襲われ、アルフォンスは目を見開いた。

「………ッ」


 自分は大英雄の子孫に相応しくない、落ちこぼれだと思っていた。


 自分では、決して英雄にはなれないと諦めていた。


 それでも、大それたことは出来なくとも、せめて誰かを守れたらと、努力を続けてきた。


 そんな自分に対して、目の前の男は言った。


「お前は英雄だ」───と。


 次第に目頭が熱くなり、アルフォンスはクシャっと顔を歪めた。


 そして彼は右手で目元を覆うと、口を開いた。


「……シオン君……ッ、僕は……ッ」


 嗚咽が出そうになるのを必死に堪えながら、アルフォンスは言葉を紡ぐ。



「僕は、英雄に……、なれたのかな……?」



 そう問いかけた時、目元を覆うアルフォンスの手元からは、押さえ切ぬ涙が零れた。


「ああ、当たり前だ」


 肩を震わせながら静かに涙を流すアルフォンスの肩に、シオンはそっと手を置いた。


「胸を張れ、アルフォンス=フリード。誰が何と言おうと、お前は〝英雄〟だ」


 もはや嗚咽さえ堪え切れなくなったアルフォンスの目元からは、とめどなく涙が溢れ続けた──。



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