第32話 その類稀なる嗜好ゆえに



「〝久し振りだと……? 誰だ、貴様〟」


「見知った風な口の聞き方だが、此方はお前など知らぬ」と、終焉の黒殲龍はシオンを睨み付けた。


「〝ま、この見た目じゃ、そりゃ分からないだろうな〟」


 前方にいるのは、自身の命など呼吸をする程簡単に奪えるような最強のドラゴン。そんな相手から明らかな敵意を向けられながらも、シオンは軽々とそれを受け流した。


「〝でも本当は俺が誰なのか、薄々感づいてるんだろ? ブラッキー〟」


 シオンは勝負に出た。


〝ある人物〟と同じ目の輝きを持ち、同様に終焉の黒殲龍に対して〝ある人物〟と同じ呼び方をし、そして〝ある人物〟と同じ言語を扱う。


 それらの情報を与えた上で、相手の中に疑惑の芽を植えつける。「ひょっとしたら」の小さな疑念を相手に持たせる。


「〝……言っているだろう。貴様のような男に、……見覚えなど無い〟」


 黒殲龍は、改めて否定を口にする。


 しかし、その言葉は先程までと比べると心なしか圧がなかった。


「〝そっか。分からないか〟」


 僅かながら手応えはあるものの、今出している情報だけでは終焉の黒殲龍を完全に欺くにはまだ不十分。


「〝分からないなら、それでも良い〟」


 決して状況が良くなった訳ではない。


 それでも、シオンは余裕を失わない。


「〝すぐに、嫌でも思い出す〟」


「〝何……?〟」


 不気味なほど自信に溢れた言葉に対し、黒殲龍は怪訝そうな目を向けた。


 そして、その視線をたっぷりと受け止めながらシオンは右手で地面に触れるように屈み、掌の先に魔法陣を展開した。


 シオンはその金色の輝きを放つ魔法陣から引き抜くかのように、一本の剣を創り出した。


 シオンが行ったのは武器創造の魔術。


 それは以前三人の悪漢に襲われている少女を助ける際に使ったものと同様の魔術だった。


 しかし、今回創り出した剣は前回のような刀ではなく、青い柄に純白の両刃のロングソード。


 そして特筆すべき最たる特徴は、金色の鍔と、その鍔に刻まれた「三本角の龍」を模した赤い印。


 右の角は「力」、左の角は「勇気」、そして中央の角は「希望」を表す、龍族において戦士を意味するシンボル。


「〝そ、その剣は……っ〟」


 シオンの右手に握られる剣を見て、黒殲龍は明らかに動揺した。


 なぜなら、黒殲龍にはその剣に強い見覚えがあったから。


「〝龍殺しの剣バルムンク……ッ‼〟」


 黒殲龍はその剣の正体を確信し、思わずその名を口にした。


 そう、それはかつてジーク=フリードが振るった愛剣「龍殺しの剣バルムンク」。世界最高強度を誇るアダマンタイト鉱石を加工し、当時の武器職人最高峰と言われたドワーフの名匠によって打たれた、歴史上に名立たる名剣の一本。


 ──それを、忠実に再現した模造品。


 シオンは、武器創造魔術によって大英雄の愛剣を完全に再現してみせたのだ。


「龍殺しの剣」は過去、武器創造の魔術を扱えるようになったシオンが様々な名剣を再現して遊んでいた時期に繰り返し創っていた剣の一本。


 過去と言っても幼少期の話ではなく、たった一年前の話である。ただカッコイイからと剣を作って遊んでいたことは少々小恥ずかしい話ではあるが、今回ばかりは彼の類稀な嗜好に基づく経験が活きた。

 また、「トランスゾーン」に入り桁外れの集中力となっている今、その再現度は過去最高の仕上がりとなっていた。


 だがしかし、いくら見た目を完璧に模したとしてもそれはあくまで外観だけ。


 世界最高強度を誇るアダマンタイト鉱石で作られた本物の「龍殺しの剣」とは剣としての質がまるで違う。


 シオンが右手に握る剣は、岩を叩けば簡単に折れてしまう程に脆弱な代物。


 ……しかし。


「〝貴様ッ…‼ 一体何者だ……ッ‼〟」


 終焉の黒殲龍を欺くには、外観だけで十分だった。


 本物を完璧に模した剣を前に、黒殲龍はそれがまさか偽物であるとは疑っていない様子だった。


 黒殲龍にしてみれば、シオンの右手に握られるそれは忘れようにも決して忘れようが無い、かつて自身を幾度となく切り伏せた剣そのもの。


 因縁の代物の唐突な出現に、思わず声を荒げる黒殲龍。


 そんな凄まじい気迫が混じった問いかけに対して、シオンはやはり余裕の表情で答えた。


「〝誤魔化すなよ、ブラッキー。……俺が何者か、お前はもう分かってるはずだ〟」


 ……ある人物と同じ目の輝きを持ち、終焉の黒殲龍に対してある人物と同じ呼び方をし、ある人物と同じ言語を扱い、そして、ある人物と全く同じ剣を握る。


 これだけの要素が揃えば、答えは殆ど限られたも同然だろう。


 たっぷりの余裕を孕ませ、シオンは黒殲龍へ対して鎌をかけた。


「〝……ッ‼ 答えぬか…ッ‼ 貴様は一体、何者だ……‼〟」


 それでも終焉の黒殲龍はシオンの言葉に耳を貸さず、繰り返し問いかける。


 そう、今はまだ、確信的な決定打に欠けていた。


 大英雄と同じ目の色の輝きを持ち、終焉の黒殲龍の呼び方、言語、そして愛剣までもが同じであろうと、まだ「ジーク=フリードの類縁者」である可能性も有り得る状況。


 ここでシオンから「俺がジーク=フリードだ」と名乗る事は簡単である。


 今のように、敢えて名乗らずにはぐらかす事は相手を刺激し、激情した黒殲龍にいとも容易く殺されてしまうリスクもある。


 しかし、それでもシオンは自分がジーク=フリードであるとは名乗らない。


 相手が此方の正体を探っている内に自発的に名乗れば、相手の中には必ず拭い切れぬ疑惑が残る。


 自分がジーク=フリードであると完全に相手に信じさせるには、終焉の黒殲龍自身に答えに辿り着いて貰う必要がある。


 故にシオンは黒殲龍の問いに対して名乗ることなく、代わりに決定打となる最後の情報のピースを相手に与えた。


「〝四百年も会わない内にすっかり耄碌したか? ブラッキー〟」


「〝……‼〟」


 その言葉を聞き、黒殲龍は一瞬大きく表情を歪めた。


「〝四百年だと……ッ⁉ 貴様、やはり…ッ‼〟」


「四百年」という、まさに自身がジーク=フリードに封印された直後から今に至るまでの時間を表す単語が、終焉の黒殲龍自身の中にあった疑惑を確信的なものへと変えた。……しかし。


「〝いや、そんな筈はない……っ‼それこそ、四百年だ‼ 奴はとっくに寿命で死んでいる‼ここにいる筈がない‼」


 黒殲龍は、自ら辿り着いた可能性を強く否定した。


 そう、疑惑が確信的なものに変わったからこそ、黒殲龍にとってそれははあまりにも信じがたい現実。


 もしも目の前の男がジーク=フリードだとするならば、龍人と人間の半亜人の平均的な寿命である約百五十年を超越し過ぎている。


 龍人と人間の半亜人が四百年生きた等という前例は一切無い。事実、かの大英雄とてその平均的な数値を超える事はなく、既にこの世には存在しない。


 そして更に黒殲龍は言葉を続けた。


「〝それに貴様は、あの男とは姿形や匂いもまるで違う‼貴様が、あの男である訳がない‼〟」


 目の前の現実を強く払い除けるかの如く、黒殲龍は声を荒げた。


 今まさに黒殲竜が指摘したその事実こそが、シオンが終焉の黒殲龍を騙す上での最大の障壁。


 自分がジーク=フリートであるという設定に矛盾を生ませない為には、四百年年以上経った今ここに立っている理由、そして姿形や匂いまでもが異なる理由を終焉の黒殲龍に納得させなければならない。

 この問答こそが正念場。


 シオンが過去に自身が読み漁ってきたジーク=フリードに関する文献の知識を基に「ジーク=フリードは不死の魔術や変化の魔術を扱えた」という嘘を辻褄を合わせながらでっち上げることは、出来なくはない。


 しかし実際のジーク=フリードを知っている相手に対してここで僅かにでも無理のある理由を述べて疑惑を持たれようものならば、今後シオンの演技を完全に信じ込ませる事は確実に叶わない。

 必ず疑念は残り続けてしまうだろう。


 また、どうにか通用する可能性に懸けながらその場しのぎの嘘を並べた所で、そのような半端な口八丁は恐らく通じはしないだろう。


 シオンはこの正念場において絶対的な最適解を出さなければならない。


 ──酷く興奮した様子の黒殲龍を前に微塵も動じる気配もなく、シオンは一呼吸置いて呟くように口を開いた。


「〝ここにいる筈がない……か……〟」


 そう言うと、シオンは黒殲龍の目を真っすぐ見つめた。



「〝──じゃあ、何でいるんだろうな?〟」



「〝──……は?〟」


 まるで予想だにしていなかった突然の問いかけに、黒殲龍は困惑の声を漏らした。


「〝……なぁブラッキー。全部、偶然だと思うか?〟」


「〝何の……、話だ……〟」


 ──前方にいる男が何を言おうとしているのかまるで分からない。しかし、何故か黒殲龍の中には得体の知れぬ不安感が湧き上がった。


 言いようの無い不気味な不安、焦燥感が、纏わり付くように黒殲龍の全身に走る。



「〝お前の封印が四百年経って解けた事〟」

「〝お前がこの学園に現れたこと〟」

「〝そして〟」

「〝俺が今お前の目の前にいること〟」



「〝──全部、ただ偶然だと思うか?〟」



「〝……ッッ⁉〟」


 瞬間、息が詰まるほどの恐怖感が黒殲龍を襲った。


「〝……なん、だと……? お前は、一体何を……〟」


 謎の恐怖感に包まれるも、男が何が言いたいのか解せない黒殲龍は問い返した。


 だが直後、その言葉の言わんとする意味を、黒殲龍は悟った。


「〝まさか……、貴様……ッ⁉〟」


「〝……ああ〟」


 シオンは薄く笑みを浮かべ、得意気に言葉を返した。



「〝分かってたよ、全部な〟」



「〝‼〟」


「〝四百年経ってお前の封印が解けることも。鼻の利くお前がこの時代の俺の子孫の匂いを嗅ぎ付けてここに来ることも。初めから全部分かってた〟」


 あまりの動揺で言葉を失っている様子の黒殲龍に対して、シオンは更に言葉を続ける。


「〝だから俺は、こうしてお前を待ってたんだ〟」


「〝こうして、だと……⁉ まさか貴様、その身を転生させたなどと馬鹿げた事を言うつもりではあるまいな……⁉〟」


 黒殲龍は酷く焦ったような様子で聞き返した。


「〝そのまさかだよ、ブラッキー。俺は以前のジーク=フリードの肉体の死と同時に、魂を四百年後の新たな肉体へ移したんだ〟」


 驚きで血相を変える黒殲龍を相手に、相変わらずどこか得意気にシオンは言い切った。


 ……一から十まで、何もかもが嘘。


 彼は黒殲龍がここに来ることはおろか、つい先程まで終焉の黒殲龍が封印されていたという事さえ知らなかった。


 にも関わらず、そのような事実を微塵も感じさせない程自信満々に彼は言い切った。


 まさに、堂々たるハッタリ。


「〝そっ、そんなッ‼ そのような馬鹿な話があるものか……ッ‼ そのような魔術、聞いたことが無い‼ そんな事、出来る訳がないのだっ‼ そうとも、有り得るものか……‼ 戯言も、大概にしたらどうだ……ッ‼〟」


 シオンが最後に吐いた大嘘に、さしもの黒殲龍も取り乱した様子だった。


 シオンはここまで相手に嘘が露呈しないように言葉を選んで来たが、その大嘘ばかりはあまりにも信憑性が無さ過ぎた。


 転生魔術など、数千年の時を生きたドラゴンでさえ聞いたことのない話。


 ともすれば、不死の魔術や変化の魔術の方がよっぽど現実味がある程に突拍子も無い話であった。

 激しい動揺が見られるが、それでも自身の見聞の情報量を根拠に強く否定する黒殲龍。


 そのような相手に「転生魔術を使用した」などというデタラメを信用させるには、相応の根拠の説明が不可欠だろう。


「〝有り得ない……? 戯言……? くっくっく……〟」


 しかしシオンは説明となる言葉を並べる事も無く、呟くように黒殲龍の言葉を繰り返すと、肩を揺らして小さく笑った。


「あっはっはっは、ハーッハッハッハッハ‼」


 そして今度は、堪えきれないと言わんばかりに大きく、左手で目元を隠しながら高らかな嗤い声を上げた。


「〝な、何が可笑しいかッ‼〟」


 あまりに状況にそぐわないその光景に対し、男の言動が理解出来ない黒殲龍は怒声を上げる。しかしそれさえもお構いなしに、シオンは高らかに嗤い続けた。


 そして、一頻り嗤い続けた彼は、ようやく落ち着いたように一息吐くと、改めて黒殲龍へ向き直った。


「はー……。〝なぁ、ブラッキー……〟」


「〝────ッ〟」


 一転、その顔からは一切の笑みが消え、まるで波一つ立たたない湖のように、抑揚の消えた声で、彼は黒殲龍に問うた。



「〝本気で出来ないと思うのか? この俺に〟」



「〝………ッ‼〟」


 ──黒殲龍が納得するだけの根拠が必要なこの状況で、シオンの選んだのは強行突破だった。


 それは、理屈をかなぐり捨てたあまりにも強引過ぎる言い分。


 下らない理屈や根拠など必要ない。


 自分がジーク=フリードであるから、史上唯一のSSS級である故に、そこに不可能はないという確固たる自負。


 本人以外では有り得ない程の、圧倒的な自信と気迫。


 本来ならば、相手が納得するような嘘を言葉巧みに並べて騙すのが安定策だっただろう。


 しかし彼はその瞬間、まさに自分がジーク=フリードであると信じ切っていた。


 自分こそがジーク=フリードであると思い込んだ彼に、下らない嘘やハッタリは必要なかった。


 ……そして、ついに。


「〝いや……。……そうか。そうだろうな……〟」


 僅かな時間黙り込んだ末に、先程までとは打って変わり黒殲龍は観念した様子で静かに口を開いた。

「〝貴様なら、それくらい出来るだろうな……〟」


 両眼を金色に輝かせて黒殲龍を見据えるシオンに対し、黒殲龍もまた、シオンの両目をしっかりと見据え、声を掛けた。


「〝──ジーク=フリード〟」


 ついに、この日初めて終焉の黒殲龍はその名を口にした。


 それは、黒殲龍が「目の前の人間こそがジーク=フリードの転生者である」と認めた瞬間であった。

 本物の大英雄と見紛う程のシオンの気迫は、終焉の黒殲龍を完全に欺いたのだ。


 いや、気迫だけではない。嘘の選択、ハッタリ、鎌かけ、煽り、駆け引き。間とタイミング。それらを巧みに駆使した上で、終焉の黒殲龍を騙し遂せたのだ。


 世界最強のドラゴンを相手に、ただ強者だと思わせたところで怖気付くなど有り得ない。

 しかし、ジーク=フリードだと思わせたならば。


 かの黒き龍を唯一倒しうる人物だと思わせたならば、状況の有利はシオンに大きく傾く。


 このまま上手い具合に言葉の駆け引きを続け、救援が来るまでの時間を稼げばアルフォンスを救えるとシオンは確信した。


 ……だが彼のこの考えは、直後一瞬にして大きく変わる事となる。


「〝久し振り、か……。そうであるな。実に久し振りだ……〟」


 先程までの取り乱した様子はすっかりと落ち着き、静かに、どこか懐かしむような口調で語り掛ける黒殲龍。


「〝……会いたかったぞ、ジーク=フリード……。また貴様に逢えるとは、こんな奇跡願ってもいなかった……〟」


 そこまで言うと、十メートルは離れていた筈の黒殲龍は一瞬にしてシオンの目の前に現れた。


 その挙動に伴った突風により、シオンの髪や制服が激しく靡く。黒殲龍による大きな影は、目の前のシオンの全身を覆った。


「〝何故ならば〟」──と、シオンの眼前まで顔を近づけてドラゴンは言葉を続けた。


「〝この我は四百年もの間、貴様に復讐する事だけを考えていたのだからなぁ……ッ‼〟」



 ……終焉の黒殲龍は心底嬉しそうに、歪な笑みを浮かべていた。


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