第31話 トランスゾーン



 食堂の二階席から一階席へ繋がる階段。


 その階段の手摺てすりに身を隠すシオンの目に映ったのは、予想外の光景だった。


 彼は、下のフロアで終焉の黒殲龍と激しい攻防を繰り広げていたのは何人もの優秀なる魔術学生や、騒動後すぐに駆けつけた冒険者や衛兵、騎士団員達だとばかり思っていた。


 しかし今、シオンの目の前で黒き龍と凄まじい打ち合いを行っているのは、たった一人の男子学生……アルフォンス=フリードだった。


『お前は逃げないのか?』


『ああ、まだ下に逃げ遅れた怪我人がいるから……』


 先ほどシオンに問われたアルフォンスは、そう答えて再びドラゴンの元へ向かった。


 そして現在、学園の食堂の一階には負傷者一人見当たらない。


 いくらかの血痕は見受けられるものの、人の死体やそれに類するものも見当たらない。


 黒殲龍は人々を焼き殺そうとも決して食べる事はなかったと記録されているため、生徒が喰われたということも恐らくないだろう。


 ……という事は、つまり。


 護ったのだ。彼が。たった一人で。


 傷だらけになりながら、一人であの終焉の黒殲龍と戦い、何人もの生徒達を逃がし遂せたのだ。


「……大した奴だ」


 自分と同じ歳の身でありながら、まさに偉業としか言いようのない戦果、そして何よりも勇敢なるその姿を目の前にし、シオンは思わず言葉を漏らした。


 表面上は上から目線に取れる言葉だが、それにはシオンにとって最大限の敬意に満ちていた。


 また、シオンがアルフォンスに対して驚いたのは「生徒達を逃がした」という結果だけではない。


 シオンが何より衝撃を受けたのは、かの伝説のドラゴンである終焉の黒殲龍相手に食らい付き、ともすれば互角の戦いを繰り広げていることだった。


 シオンが様子を見に来た時、始めはうっすらと光を帯びていたアルフォンスだったが、今では燃ゆる炎のように揺らめく金色の光が全身を覆うように煌いている。


 光が眩くなる程にアルフォンスの力は目に見えて増し、より一層黒殲龍との打ち合いは激しくなった。


 金色の軌跡を描きながら天変地異のような闘諍を繰り広げる姿はまさに───、


「……ジーク=フリード……」


 幼い頃に何度も読んだ物語の中の光景が、目の前に広がっていた。


「限界加速」の鍛錬の影響によってシオンの動体視力は通常時でも並外れたものになっているが、そんな彼をしても殆ど目では追えない程に速く、激しい闘い。


 アルフォンスは地面に限らず、壁や柱、天井までもを足場として跳び回り、巨大な黒殲龍に対して立体的に立ち回る。


 そのような二者の戦いの余波は壮絶で、建物は次々と爆ぜ、砕け、崩れていく。


 シオンが身を潜める階段付近は奇跡的に無事なものの、先ほどまでシオンが食事を行っていた二階席は殆ど瓦解している。


 しかし彼は、「もし、あのまま悠長に食事を続けていたら……」などと怖気づく事はなかった。


 彼は今ただひらすらに、目の前で繰り広げられる奇跡のような戦いに集中している。


 ……そして、ついにその瞬間は訪れた。


栄光の煌きスパークル・エーレ


 壮烈たる打ち合いの最中で終焉の黒殲龍の僅かな隙を逃さずにアルフォンスが放った、身の丈を越す程に大きく、そして眩い光の刃。


 眩むほどの強い閃光と、凄まじい衝撃波が辺り一帯に広がった。


「ッ‼」


 階段の手摺を前にして屈み、衝撃波と飛び交う瓦礫から身を守るシオン。


 ──シオンには、アルフォンスの魔術学生としてのランクと同等であるS級の魔術師の知り合いがいる。彼はその知り合いのS級たる凄まじい魔術の数々を目にしてきた。


 しかしそんな彼が見た限り、アルフォンスの放った技は明らかにS級の枠組みを超越しており、これまでの人生で見た中で間違いなく最高威力の技であることは明らかだった。


 巨悪を討ち倒さんと煌々と煌く黄金の刃は、まさにかの大英雄の伝説そのもの。


 もしかすると、本当にアルフォンス=フリードが終焉の黒殲龍を討伐したかもしれない。


「栄光の煌き」の衝撃の余波が落ち着いた時、シオンは顛末を確認すべく顔を上げた。


 そしてその目に映ったのは、まさに伝説を再現したかのような光景。


 伝説の光景ではあるが、それは決して討ち倒された黒き龍の姿ではなかった。


 そう、伝説は大英雄だけではない。


 人々の希望を、光を、祈りを、尽く圧倒的な暴力によって殲した黒龍もまた伝説の存在。


 アルフォンス=フリードの渾身の一撃が直撃してなお傷一つ付かず、更には身体が一回り以上大きくなり全身に強力な魔力を帯びた終焉の黒殲龍の姿は、まさに絶望の化身のようだった。


 そして、黒き絶望は一切の希望を潰やすように一瞬にしてアルフォンスを打ちのめした。


 もはや、遠目から見ているシオンにさえ捉えられぬ速度で、黒殲龍はアルフォンスを地面にめり込む程強く叩き付けたようだ。


 それから僅か一呼吸程の間を置くと、黒殲龍は身動きの取れぬアルフォンスへ向けて黒き炎の塊を蓄えた。


 ──殺される。アルフォンス=フリードが。瞬きする間も無く、無残に、容赦なく、殺されてしまう。


 ……それを悟った時には既に、考える間もなくシオンの身体は動き出していた。


限界加速リミット・アクセル


 それはシオンが扱える最上級の魔術であり、術師の動作と諸々の感覚を全て桁外れに加速させる、歴史上でも数える程の使用者しか存在しない非常に優れた高位の魔術。


 それは本来であればシオンが限界加速を使用出来る時間は十数秒で、可能な動作に関しては歩くことが精々といった程度である。


 ……しかし今。舞った砂埃が散らぬままの、崩れ落ちる瓦礫が空中で静止したままの、まるで時が止まっているかと錯覚する程動きのない世界を、彼ただ一人が駆け抜けていた。


 ──人の意識は、極稀に「トランスゾーン」と呼ばれる領域に入る事がある。


 その領域に入る者は主に戦場で戦っている最中に入る場合が殆どであり、「トランスゾーン」を経験した者は皆が口を揃えて言う。


 命懸けの斬り合いの最中、「まるで相手の動きが止まって見えた」と。


「トランスゾーン」とは、極限まで集中力が高まった際に人の意識が突入する、通常時とは比較にならない程に意識が加速した領域。


 そして、「アルフォンス=フリードを助けたい」という凄まじく強い意志、更に、一瞬の猶予さえない様な極限状態で限界加速を発動したシオンの意識は今、その「トランスゾーン」へと突入していた。


「(間に合え……ッ‼)」


 通常、集中力が高まれば高まるほど魔術の精度は向上する。しかし、あくまで細かいコントロールが利くようになるだけで、威力に影響が出ることは少ない。


 しかし、「限界加速」に関しては話は変わる。


 発動に高い集中力を要し、シオンが普段は発動した状態の魔力を上手くコントロールすることの出来ない「限界加速」は、たった今「トランスゾーン」に入ったことによりその能力が爆発的に向上した。


 それは通常時であれば「限界加速」の発動中に歩くことが精一杯というシオンが、「限界加速」を発動しながら悠然と駆け抜ける事が出来るほどに。


 そしてシオンが愚直に磨き上げて来たその魔術は、彼の中の「アルフォンスを助けたい」という強い意志は、世界最強のドラゴンから英雄の子孫を救った。


 全てを焼き尽くす黒き炎がアルフォンスを包む前に、彼は瞬き程の間に終焉の黒殲龍の前からアルフォンスを救い出したのだった。


 黒殲龍の背後から幾らか離れた場所で、シオンは抱えてたアルフォンスをそっと地面に寝かせた。

 ……無事、窮地からアルフォンスを救う事は出来た。


 しかし、これだけでは終わらない。


 まだ、すぐ背後には黒き龍がいる。


 いつものような「限界加速」を使った後の酷い反動はなく、僅かながら魔力も残っている。


 だが、だからと言ってシオンに終焉の黒殲龍を倒す力など当然ありはしない。


 黒殲龍の圧倒的な破壊力を前に、アルフォンスを守り抜く事など出来はしない。


「(──なら、俺に出来ることは唯一つ……)」


 シオンは、両の眼に魔力を込めた。


「……っ」


 するとそこで、殆ど意識のない様子のアルフォンスと目が合う。


 アルフォンスは何かを言おうとしたが、もはや言葉も紡げないようだった。


 そんなアルフォンスに向けて、シオンは優しく声を掛けた。


「……よく戦ったな」


 ──本当に、よく戦った。


 ──こんなにボロボロになるまで、皆を守る為に、たった一人で。


 ──この男はきっと、これから先の未来で何百何千という人々を救うだろう。


 ……だから、



「あとは、俺に任せろ」



 ──こんな所で、死なせる訳にはいかない。


 今この状況でシオンに出来る事は、精々時間稼ぎくらいだろう。


 あるいは、非実戦的で手品じみた手札しか持たない彼は、終焉の黒殲龍に対して時間稼ぎさえ出来ないかもしれない。


 アルフォンスと二人揃って、すぐにあっけなく殺されるかもしれない。


 ──しかし。


「(今この瞬間を諦めない限り、希望は必ず先に繋がる。──だったら俺は、俺に出来る最善を尽くすだけだ)」


 ──アルフォンス=フリードを救うため、一秒でも長く、時間を稼ぐ。


 シオンは、この絶望的な状況を前に、微塵も臆する事などなかった。


 終焉の黒殲龍を倒す力はない。攻撃を防ぐ術もない。


 それでも、僅かながらに魔力はある。


 立ち上がる体力も気力もある。


 喋れる口がある。


「(……時間を稼ぐのに、これだけあれば十分だ)」


 ───シオンが選んだ戦略は口八丁だった。


 ……だがしかし。いつもの様に強者ぶった演技をしたところで、相手は世界最強のドラゴン。

 ハッタリを信じさせたところで、それに怖気づくような相手ではない。


 ならば終焉の黒殲龍が怖気づく程の、とびっきりの人物を演じる必要がある。


 文字通り世界最強の終焉の黒殲龍に勝てる相手など、世界中には誰一人として存在しない。このドラゴンが怯えるような強者など、この世界のどこにもいない。


 しかし、歴史上には存在した。


 四百年前、終焉の黒殲龍を討ち倒し、史上で唯一SSS級の称号を与えられた人物。

 大英雄ジーク=フリードその人だ。


 黒殲龍を相手に時間を稼ぐには、ジーク=フリード本人であると信じ込ませる以外に方法はない。

 だが、ジーク=フリードを騙るには、シオンはあまりにも弱過ぎる。


〝力の証明〟が必要となる場面も当然訪れる可能性が高い。もしもそうなれば、その時点で全てが破綻する。


 何より、過去にジーク=フリードと邂逅している終焉の黒殲龍を前に、彼は姿形があまりにも違い過ぎる。


 そんな状況で黒殲龍に自分をジーク=フリードだと信じ込ませるのはあまりに難易度が高いだろう。

「(大英雄のように振舞うだけじゃ足りない)」


「(ジーク=フリードのフリをするだけじゃ足りない)」


 僅かにでも虚勢が露呈すれば、一瞬にして看破されるだろう。


「(相手に疑う余地を与えるな。本人でしか有り得ないと思わせろ)」


「(完全になりきるんだ。俺にはジーク=フリードの力があると、心の底から信じろ)」



 ──



 ……そして、シオンは立ち上がって振り返った。


 彼は、二人の様子を伺っていた終焉の黒殲龍に対して金色に光る瞳を向けながら、龍族の言葉で悠然と声を掛けた。


「〝久し振りだな〟」



「(……さぁ、人生最大の大勝負だ)」



 かつて人々は、黒き龍に対して畏怖の念を込めて「終焉の黒殲龍」と名付け、その名を呼ぶようになった。


 しかし、世界中で唯一人、ジーク=フリードだけが「あんなのは大したもんじゃない」と、黒き龍の事をこう呼んだ。



「“黒いやつブラッキー”」───と。


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