第26話 襲来 <2>
その日、クロフォード魔術学園内の平穏な日常を崩壊させたのは突然の爆音と衝撃であった。
食堂の壁が爆ぜ、凄まじい爆風と共に瓦礫を四散させた。
そして、壁に空いた穴から姿を覗かせた巨大な〝それ〟は咆哮を上げた。その振動で建物を崩壊させかねない程に空気を振るわせる、まるでそれだけで災害に匹敵するような咆哮だった。
激しく大地を振るわせた咆哮が鳴り止んだ直後。
漆黒の〝それ〟を見た生徒の一人は目を見開き、その身を震わせながら恐怖に染まった声を上げた。
「ド、ドラゴンだああああああああ‼」
その悲鳴を皮切りにして、まるで堰を切ったように食堂内の生徒達は次々と恐怖に声を上げた。
「うああああああああ⁉」
「どうしてドラゴンがここに⁉」
「に、逃げろおおおおおおおおお‼」
「誰かっ、誰かああああ‼」
突如として訪れた圧倒的な脅威に対してのリアクションは様々。壁が爆発した際の瓦礫にぶつかり怪我を負った者、恐怖に身が竦み動けなくなった者、パニックを起こし、絶叫しながら一目散に後方の出口へ駆け出す生徒達。
学園に突然現れた漆黒のドラゴンは、その光景を愉快そうに見つめていた。
「〝良いぞ、良い。この快感、実に四百年振り……か。もっと啼け。もっと喚け〟」
〝もっと我に──恐怖しろ〟
後方の出口へ向かって駆け出した集団の先頭が出口を抜けようとした、その直後。
「──……ッ‼」
先頭を走っていた生徒の目の前で爆発が起こり、出口付近にいた数名の生徒は爆風に吹き飛ばされた。
「ぐっ…、うぅ……」
地面に倒れこんだ生徒が呻き声を上げる中、足を止めた生徒達から困惑の声が上がる。
「何だ⁉」
「な、何が起きた⁉」
すると、直前にドラゴンの行動を見ていた生徒が声を上げた。
「ひ、火の玉だ‼ あのドラゴンが口からでかい火の玉を吐いた‼」
それを聞いた生徒達は更にドラゴンに対する恐怖心が増し、次の火の玉が飛んで来る前に脱出しようと、悲鳴を上げながら再び出口へ向かって駆け出した。
「……おい‼ 早く行けよ‼ 何やってるんだ‼」
「前が詰まってるんだっ‼ やめろ、押すな!」
出入り口の上部から落下して来た瓦礫によって出口が塞がり、生徒達は脱出に時間が掛っていた。
非現実的な緊迫感の中、恐怖で呼吸を乱しながら一人の生徒が振り返ってドラゴンの方へ目を向けると、直後にその生徒は思わず声を上げた。
「お、おい! 見ろ‼ また火の玉が‼」
「‼」
生徒達の後方では、ドラゴンが再び口を開いて火の玉を生成していた。
「クソッ‼
生徒達のうちの一人がドラゴンに向けて魔術を放つと、それに触発された周りの生徒達も必死に抵抗するように魔術を繰り出した。
「うおおおおお‼
「
「
生徒達から放たれた魔術は次々とドラゴンに直撃したが、動きを止めることはおろか掠り傷一つ負わせる事も叶わなかった。
「……まずい‼ 火の玉が来るぞっ」
「うわあああああっ‼」
ドラゴンが僅かに頭を引き、火の玉を放つ予備動作を取ったその直後。
「
「……っ‼」
拳を象った巨大な雷が凄まじい轟音を響かせながらドラゴンの顔面に直撃した。
ダメージを負った様子は無かったが、ドラゴンは火の玉を消滅させて雷の飛来した方向、自身の左側へ視線を向けた。
「〝酷い悪臭がすると思って来てみたが。やはり
そこに居たのは第二学年序列二位のアルフォンス=フリードであった。
アルフォンスは出口付近にいる生徒へ向けて声を上げた。
「僕が時間を稼ぎます‼ 落ち着いて、怪我人を連れて逃げて下さい‼」
そう言うと、アルフォンスはドラゴンへ向かって前進し、次々と高位の魔術を繰り出した。
凄まじい威力の魔術の数々が、ドラゴンに次々と炸裂する。
「あいつ、二年のアルフォンス=フリードだ‼ あのS級のっ」
「アルフォンス=フリードって言えば、あの大英雄の子孫か‼」
「凄ぇ!た った一人であのドラゴンの動きを止めてるっ」
「今なら逃げられるぞっ。瓦礫をどかして、怪我人を連れて逃げるんだ‼」
その光景を見た生徒達は落ち着きを取り戻し、生徒達はアルフォンスが戦っている間に次々と脱出していった。
「〝逃がさぬ〟」
アルフォンスの攻撃を捌きながらそれを横目で見ていたドラゴンは、再び出口へ向けて火の玉を放った。
しかし、
「させない‼
「〝僕が相手だ、終焉の黒殲龍……‼〟」
漆黒のドラゴンに対してアルフォンスは竜族の言葉で叫ぶと、ドラゴンは再びアルフォンスへ視線を向けた。
「〝……〟」
そして、その直後。
「──っ⁉ ……がはっ」
建物の外にいた筈のドラゴンがまるで瞬間移動でもしたかのような速度で食堂内に現れると、その尻尾を目にも留まらぬ速さでアルフォンスに叩き付けた。
凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされたアルフォンスは、轟音を鳴り響かせながら遥か後方の壁に衝突した。
「〝……相手? 相手だと? 笑わせる〟」
「ぐっ……、は……っ‼」
「〝貴様如きが、この我の相手になるものか〟」
食堂内に侵入したドラゴン。そして先ほどまで凄まじい魔術の数々を見せていたアルフォンス=フリードが一瞬でやられた姿を見せつけられた生徒達は、再び絶望に襲われた。
「うわああああ‼ か、彼がやられたぞ……っ」
「クソッ‼ 急いで出ろ‼」
生徒達は再び焦り出し、脱出を急いだ。
だが、しかし。
「おいっ、まずいぞ! 壁が崩れちまうっ‼」
先程ドラゴンが火の玉で爆破した出入り口の上部の壁が再び崩れ落ち、今度は完全に出口が塞がれた。
「そ、そんな……っ」
「向こうだっ‼ 向こうから逃げるしかない‼」
生徒の一人が声を上げると、塞がった出入り口とは反対方向のドラゴンが穴を空けて現れた場所へ向かって駆け出した。
それを見た生徒達は、急いで後に続くようにドラゴンが現れた時に崩した壁の方へ向かって必死になって走り出した。
「〝くっくっく……。良いぞ、良いぞ……〟」
そんな生徒たちの必死な姿を、ドラゴンは実に楽しそうに眺めていた。
「〝やはり、人の恐怖心は堪らない〟」
駆け出した生徒達へ向けてドラゴンは次々と小さな火の玉を繰り出し、生徒達の周りを爆発させた。
生徒達は悲鳴を上げながら、辺りが爆発を繰り返す食堂内を必死に駆ける。
「〝もっとだ。もっと我を恐れろ〟」
ドラゴンは更に火の玉を繰り出した。
「きゃあっ!」
逃げている最中、すぐ側で地面が爆ぜた事により一人の女子生徒がその爆風によって吹き飛ばされて地面を転がった。
「うぅ……」
痛みを堪えながら女子生徒が立ち上がろうとすると、飛び交う火の玉の一つが女子生徒の目前に迫っていた。
「──っ‼」
女子生徒は思わずギュっと目を瞑り、自身の死を覚悟した。
だが、火の玉が女子生徒に被弾する事はなかった。
「……? ──‼」
女子生徒がそっと目を開くと目の前にはフラフラの状態のアルフォンス=フリードが立っており、彼が地面から作り出した壁で飛んできた火の球を防いでいた。
「……はぁ、はぁっ。大丈夫……? 立てるかい?」
「……はっ、はいっ……‼」
アルフォンスにそう問われた女子生徒は歯を食いしばり、痛みに耐えながら何とか立ち上がった。
「……よし、じゃあ早く逃げるんだ」
女子生徒は恐怖で言葉が上手く出せず、ただコクリとだけ頷くとドラゴンが空けた巨大な壁の穴へ向かって駆け出した。
「……」
それを見送ったアルフォンスは、振り向いてドラゴンへ目を向けた。
「〝今は人間共の恐怖を楽しんでいた所だ。邪魔をするな。──貴様は
アルフォンスに対して、ドラゴンは声を掛けた。
「〝はぁ…はぁ……。まだ……?〟」
「〝あの男の血族は徹底的に嬲り殺す。決して楽には殺さない。貴様は後の楽しみだ〟」
〝だから〟──と言うと、再び目にも留まらぬ速度でアルフォンスの目の前に現れ、
「‼」
「〝少し
と、その手の甲をアルフォンスを叩き付けた。
まるで羽虫でも払うかの如く軽く手首を上げるだけの動作であったが、その威力は凄まじく、アルフォンスは天井を突き抜けて食堂の二階席まで吹き飛ばされて姿が見えなくなった。
「〝……さぁ、邪魔者は消えた。人間共、恐怖の続きだ〟」
……怪我を負って逃げ遅れていた生徒達は、その光景を前に本日幾度目かの深い絶望に襲われていた。
◆
「ぐっ……、うぅ……」
ドラゴンによって二階席まで吹き飛ばされたアルフォンスは少しの間床に倒れこんでしまっていた。
だが彼はすぐに気力を振り絞り、腕を支えに立ち上がった。
「……⁉」
……そして彼は、そこで衝撃の光景を目にした。
食堂の二階席にあった机や椅子は散乱し、先程まで生徒達が食べていたと思われる食器や食事もあちこちに散らばっている。
只事ではない地響きや下の階からのドラゴンの咆哮や生徒達の悲鳴を聞いて、ここで食事を取っていた生徒達は異常事態を察して逃げ出したのだろう。
二階席にいた生徒達はこの階にある渡り通路から避難したのか、誰一人として残っていない──と思われた。
しかし、目を丸くするアルフォンスの視線の先にいたのだ。
何事も無いかのように
「ちょ、え、……え? き、君、一体ここで何を……」
アルフォンスは、目の前の光景に理解が追いつかなかった。
二階席でただ一人食事を続けていた生徒は、灰色のラインが制服に入った黒髪黒目の生徒であった。
その生徒に対して、アルフォンスは純粋な疑問のままに声を掛けた。
「……何って、見たら分かるだろ。昼飯を食ってるんだよ」
「………え?」
異常だった。
それは下手をすると終焉の黒殲龍の出現に匹敵するレベルの異常な光景であった。
机や椅子、食器や料理の散らばった二階席の惨状を見るに、尋常でない破壊の衝撃がこのフロアにも及んでいたのは間違いが無い。
そして、他の生徒は既に全員このフロアから避難している。
──だと言うのに、何故。
──何故目の前の男子生徒は、さも当然のように食事を。
男子生徒からの返答を聞いて一層理解が困難になって言葉を失ってしまったアルフォンスであったが、直ぐに現状を思い出し、その男子生徒に声を掛けた。
「昼食って……、今はそんな場合じゃないよっ!
「……終焉の黒殲龍が? 四百年前、完全に消滅したはずだろ」
アルフォンスが現れてからも黙々と食事を続けていた男子生徒だったが、アルフォンスの言葉を聞いた瞬間に手を止めて問い掛けた。
「……史実ではそうなってるけど、事実とは違うんだ。……黒殲龍は絶対的な不死の力を持っていて、ジーク=フリードでも完全消滅させる事は出来なかった。だから、封印の力を込めた剣を使って地下深くに封印して、四百年間厳重に閉じ込め続けて来たんだ」
「……その封印が解けたのか」
「正直信じられないけど、多分そうなんだと思う……。僕は一度封印されてる姿を見たことがあるけど、間違いなく、この学園に現れたのは終焉の黒殲龍だ」
「……そうか」
「分かっただろう、今は本当にマズイ状況なんだ。だから、早く逃げた方が良い」
「……お前は逃げないのか?」
「ああ、まだ下に逃げ遅れた怪我人がいるから……」
そう言うと、フラフラの状態でアルフォンスは少し歩いて床に転がっていた剣を拾い上げた。食堂の二階席の高所に装飾品として飾られていたものが先程までの衝撃で落下したのだろう。
「それ、模造品だぞ」
「みたいだね……。硬化と属性付与の魔術を使うよ。何も無いよりはマシさ」
「そうか」
「はぁ、はぁ……っ。じゃあ……僕はもう行くよ。君も、出来るだけ早く逃げてくれ」
それだけ言うと、アルフォンスは先程吹き飛ばされた際に空いた床の穴から一階へ飛び降りた。
◆
第二学年序列五位のテッド・エヴァンズ。彼は今、絶体絶命の危機に瀕していた。
火の球の爆発によって食堂の出入り口が完全に塞がった際、テッドはドラゴンが現れた際に空いた穴のほうへ駆け出した生徒達の中の一人だった。
しかし、途中でドラゴンによる火の玉によって爆ぜた地面の瓦礫が直撃しテッドは左足と左脇腹を負傷した。
地面に伏して這ってでも逃げようとしたテッドだったが、その途中でもテッドの直ぐ右方が爆発し、受身も取れないまま高温の爆風に吹き飛ばされた。
「ぐっ……‼」
激しい痛みに呻くテッドだったが、内心では「(あ、危ねぇ……、もし今のが当たってたら……)」という安堵もあった。
……しかしそこで、テッドの中にある違和感が生まれた。
「(こんだけ火の玉が飛び交ってるのに、直撃してる奴がいない……)」
テッドは周囲を見渡して、更に違和感が強まった。
「(……ッ‼ まさか‼)」
──最初から違和感はあった。
──あのドラゴンが現れてすぐ、出口に向かって走り出した生徒の集団ではなく、敢えて出口上部の壁を破壊したこと。
──あのアルフォンス=フリードを瞬殺する程の力を持っていながら、わざわざ小さい火の玉をいくつも繰り出していること。
──そして、今なお飛び交う数々の火の玉、そしてその爆風に吹き飛ばされ地面を転がりながら呻く生徒達を見て、テッドの中に生まれた疑惑は確信に変わった。
「(あいつ……‼ 楽しんでやがる‼ 俺達を虫けらみたいにいたぶって、必死にもがく様を楽しんでるんだ‼)」
「……っけんなッ」
「(この俺を……、魔術師の名家エヴァンズ家の長男である、この俺を……‼」
終焉の黒殲龍に対する恐怖を超えて、テッドの中で何か強い感情が弾けた。
「ふざけんなよ、テメェ……ッ‼」
吼えると、テッドは自身が扱える上で最高位の魔術を黒殲龍に向けて繰り出した。
「
テッドの展開した魔方陣から強力な螺旋状の雷が放たれた。
その魔術は見事に黒殲龍に直撃し、大きな雷鳴を響かせた。
「はぁ、はっ……。どうだ……っ⁉」
しかし、やはり黒殲龍には傷一つ付いていなかった。
「く、そ……」
ほとんど全ての魔力を消費したテッドは力なく地面に倒れこみ、もはや残った気力で終焉の黒殲龍をただ睨みつけるだけであった。
「〝……もう少しゆっくり遊びたかったが……。そうか……。貴様、死にたいのか〟」
テッドの方へ視線を向けると、ドラゴンは淡々と呟いた。
「〝ならば、殺そう〟」
そう言うとドランゴはテッドへ向けて口を開き、火の玉を生成し始めた。
竜族語を解さないテッドには黒殲龍が何を言ったのかは分からなかった。しかし、これから自分が死ぬという事だけは容易に理解出来た。
ドラゴンが火の玉を放つ予備動作に入った、その直後。
「
「……‼」
突如、終焉の黒殲龍はその全身を瞬く間に炎に包まれ、テッドに放たれる筈だった火の玉は阻止された。
「はぁ、はぁ、……良かった。無事で……」
そう言いながらボロボロの状態でテッドの側に駆け寄ってきた男に対して、テッドは目を見開いた。
「どう……して……ッ」
「獄炎の鎖なんてあのドラゴンに対してはただの温風みたいなものだろうけど、少しの時間目くらましくらいにはなる筈……。今のうちに、君の怪我を治すね……」
フラフラな状態で息も絶え絶えにそう言うと、その男はテッドに対して回復魔術を掛け始めた。
「どうして……ッ、お前が俺を助ける……ッ‼」
込み上げて来る様々な感情のままに、テッドはその男の名を呼んだ。
「アルフォンス……ッ‼」
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