第24話 アルフォンス=フリード <2>



 ──十年前。


 アルフォンスが七歳になる年に、彼の父親はアルフォンスに初めて〝それ〟を見せた。


「いいか、アルフォンス」


 まだ幼いアルフォンスに、彼の父親は険しく厳しい口調と表情で語りかける。


「この怪物を真の意味で滅するのが、我らフリード一族に課せられた宿命だ。このあまりにも大きな責務を完遂するには、半端な力では駄目なんだ」


 〝それ〟を目の前に本能的な恐怖を覚え、両目に涙を浮かべて全身を震えさせるアルフォンスに対して、父親はなおも厳しい言葉を紡ぐ。


「アルフォンス。お前はまだ、あまりにも弱い。弱過ぎる。他の同世代の子と比べたってお前はまだまだだ。……良いか、お前は将来必ずこの怪物を打ち滅ぼさなければならないんだ。お前は、誰よりも強くならねばならないんだ」


 ──父親のその言葉は、十年後の現在でさえもアルフォンスの中に刻み込まれている。



 ──時は戻り、現在。


 この日、魔術学園内のほとんどの教員が王都に召集された事により昼過ぎから行われる四限以降の講義は全て休講となった。


 三限の講義が終了した後、アルフォンス=フリードは昼食を済ませる為に学園内の食堂へ足を運んだ。


 クロフォード魔術学園内の食堂では朝から夕方まで常に食事が提供されており、生徒や教員達は各々自由な時間に食堂に訪れる。


 自由な時間で利用できるとは言え、基本的には正午に終了する二限の授業後に設けられている九十分間の昼休憩時間に食堂を利用する教師や生徒が殆どである。


 その為、昼休憩時間には二階席まで混雑する食堂内もアルフォンスが訪れた三限後の時間に利用している生徒は少なく、多くの空席が視認出来た。


 混雑時には空席を確保した後にカウンターで料理を注文する必要があるが、今はその必要がないことを確認したアルフォンスは真っ直ぐ食堂のカウンターへ向かった。


「シチューとパン、蒸かし芋とソーセージ、あと、野菜のスープをお願いします」


「かしこまりました」


 アルフォンスがカウンターで調理員に対して注文すると、調理員は注文を繰り返して確認して一度調理場へ下がった。


 学園内の食堂では生徒と教員には無料で食事が提供されている為、生徒や教員はカウンターでメニューを注文し、金銭の受け渡しを省略して注文した料理を受け取るというシステムとなっている。

「お待たせ致しました」


 アルフォンスが僅かな時間カウンターの前で待っていると、調理員が食器の乗ったトレーを運んできた。


「有難う御座います」


 調理員に対して頭を下げながらお礼を言い、アルフォンスはトレーを受け取りカウンターを離れた。そのままトレーを手近な長机に置き、席に着いたアルフォンス。


 すると、


「……チッ」


 と、数席分離れた対面側の席から舌打ちが聞こえてきた。


「?」


 不思議に思ったアルフォンスが音の方へ視線を向けた先で、緑がかった金髪の男子生徒が露骨に不機嫌そうな視線をアルフォンスに向けながら荒々しく立ち上がった。


「あっ、ごめ──」


 アルフォンスが言い切る前に、男子生徒は苛立った様子で自身のトレーを手に取り、席を離れた。

 それを目にしたアルフォンスは「しまった」、と顔を歪めた。


 そのツンツンとやや跳ねた髪型の男子生徒はアルフォンスと同じ二年Aクラスの生徒、テッド・エヴァンズであった。


 そして彼は日頃からアルフォンスを毛嫌いし、彼に対して露骨に聞こえるように陰口を叩いているグループの一人でもあった。


 つい先日も授業の模擬試合後に陰口を叩かれていたばかりのアルフォンスは、当然それを知っている。


「(そりゃ僕が近くに座ったら嫌だろうな……。随分と無神経な事をしてしまった……)」


 アルフォンスは先程の男子生徒に対して後ろめたさを感じ、「(ちゃんと座る前に確認しておけば良かった)」と内心で深く反省した。


「……いただきます」


 苦い表情を浮かべたまま、アルフォンスは俯きがちに昼食を摂り始めた。



 緑がかった金髪の男子生徒、第二学年序列五位のテッド・エヴァンズ。


 彼はいつも同じクラスの生徒と四人組みで行動している。


 その四人組はアルフォンス=フリードに対する共通の敵意を持ち、入学当初に徒党を組んだ学年序列上位者四名のグループである。


 それぞれが互いに特別気心が知れた仲間と言う訳ではないが、四人は共通の怨敵を持つ同じクラスの生徒同士、共に過ごす時間は長い。それはまるで趣味の合う者同士が仲良くなるように、あるいは、志を同じくする者同士が輪になるように。


 そんなグループで日々行動を共にしているテッドは本日いつものメンバーと共に食堂へ行く事となったが、他の三人は課題の提出で少し遅れるということで、テッドは一人先に食堂へ訪れていた。

「(……三限後は席が空いてるな)」


 閑散とした食堂内を確認すると、別段他のメンバーの席を取っておく必要もないと判断したテッドはカウンターに近い適当な席に腰掛けた。


 テッドがしばらく合流予定の他の三人を待っている時。


「……ッ」


 彼がこの学園内で最も見たくない顔が食堂内に現れた。


 他でもない、アルフォンス=フリードだ。


 アルフォンスの顔を見た瞬間、テッドは無意識に顔を顰め、強く歯を噛み締めてていた。


 二年前にアルフォンスが口にした〝とある発言〟を、当時の屈辱を、テッドは未だに忘れてはいない。


 トレーを持って食堂内を歩くアルフォンスをテッドはずっと睨みつけていたが、アルフォンスは彼に気付く事なくそのままテッドと同じテーブルに着席した。


「……チッ」


「あっ、ごめ──」


 テッドは苛立ちを隠そうともしないまま舌打ちを鳴らし、アルフォンスを睨み付けながら立ち上がると自身のトレーを持って席を離れた。


 アルフォンスが何か言いかけていたが、テッドは一切聞く耳を持たずにその場を立ち去った。


 長机二つ分の間隔をあけた席に座り直すと、テッドは再び合流予定の三人を待った。


 テッドが苛立ちを沈めるように足を上下に揺すっていると、間もなく彼が待っていた三人が食堂を訪れた。そのままカウンターでトレーを受け取った三人はテッドの姿を見つけ、四人は合流した。


「待たせたな」

「……おう」

「……? やけに機嫌が悪そうだな。そんなに遅かったわけじゃないだろ?」

「ああ、いや。お前らに怒ってる訳じゃないんだ。ただ……」

「ただ?」

「……ちょっと胸糞悪い顔を見ちまってな」

「?」


 テッドが顔を顰めながら視線を向けた先に、他の三人も釣られるように目を向けた。


「あぁ、そういう事か」


 おおよその事情を察した一人が納得したように言うと、テッドは頷いた。


「そうだ。さっきまであのテーブルに座ってたんだが、あいつがすぐ側に座って来やがってよ。それでここに移動したんだ」


 テッドは酷く憎らしげな口調で言い放った。


「なんだよそれ。聞いてるだけで気分悪いな」

「あいつ、自分が嫌われてるって自覚がないのか? 無神経にも程があるだろ」

「ま、そんなんだからいっつも一人で飯食ってるんだろ」

「ククッ、違いねぇな」

「世界中から敬愛されてる大英雄とは大違いだ、ははっ」

 テッドが出す負の感情に共鳴するように、次々に他の三人もアルフォンスに対する雑言を口にする。

 アルフォンスに対して悪口を言う事が余程気分が良いのか、三人はゲラゲラと笑い声を上げる。


「……」


 テッドらの話し声が聞こえたのか、アルフォンスは分かり易く苦々しい表情となった。

 それを見たテッドは「(……いい気味だ)」と、内心で嘲笑った。



 テッド達はアルフォンスのことを小馬鹿にするような会話をしているが、実際のところアルフォンス=フリードの実力は彼らに小馬鹿にされるようなものではない。


 勿論、アルフォンスを笑い者にしていた男子生徒達も魔術学園のAクラスの生徒であり、彼らは間違いなく学年内でトップクラスの実力を有してはいる。


 しかし、学年序列二位であり、学園内で僅か二人しか存在しないS級魔術学生であるアルフォンス=フリードと、他の男子生徒達との間には天と地ほどの実力差がある。


 例え彼らが複数人で襲い掛かかろうとも、アルフォンスはそれを片付けるのに十秒も必要としない。

 そして、アルフォンスを嘲笑していた男子生徒達もその実力差はしっかりと理解している。


 その実力差を理解していてなお、テッド達がアルフォンスを侮辱するような行動を取る理由の半分は〝嫉妬〟である。


 まず、アルフォンス=フリードという男は容姿に恵まれている。


 美しい金髪に輝く碧眼を持ち、色白で長身の誰もが認める美少年である。


 更に、彼は血統に恵まれている。


 テッド達の会話に度々登場する「大英雄」や「救世の英雄」というのは〝ジーク=フリード〟という名の英雄を指している。


 ジーク=フリードは世界の歴史上で唯一「SSS級」の称号を与えられ、史上最強と謳われる人物だ。


 ……四百年前、〝終焉の黒殲龍シュヴァルディウス〟と呼ばれる漆黒のドラゴンがいた。

 〝終焉の黒殲龍〟は圧倒的な力で世界中の国々をいくつも滅ぼし人々を恐怖の渦に陥れた最凶のドラゴンだった。


 その〝終焉の黒殲龍〟をたった一人で討伐し、世界を救った人物こそがジーク=フリードという名の大英雄であり、アルフォンス=フリードの先祖にあたる人物だ。


 ジーク=フリードは竜人族と人間との半亜人であり、純粋な人間と比べると膨大な魔力量と強靭な肉体を保有し、いくつもの強力な魔術を扱えた。


 魔力量や魔術を扱う才能は殆どが遺伝で決まる。故に、世界最強の男の血を引くアルフォンス=フリードは世界で最も恵まれた血統の持ち主であると言えるだろう。


 血統に恵まれるという事は、常人以上の才能を持ち、常人の何倍も早く実力が伸びる事が約束されていると言っても過言ではない。


「ただ生まれた家が良かった」、「ただ運が良かった」というだけで自分達が必死に努力しても絶対に追いつけない圧倒的な実力を持ち、自分達より遥かに楽に強くなる事が出来る。そしてその上で、容姿まで恵まれている。


 そういった事実が他の男子学生達に疎まれてしまうのも無理はないだろう。


 だが、二年Aクラスの男子生徒達がアルフォンス=フリードを目の敵にするのは、何も嫉妬だけが理由ではない。


 アルフォンスが嫌われる何よりも大きな理由は、二年前の入学試験の時の出来事であった。


 クロフォード魔術学園の入学試験では、定期試験と同様に各基本属性の魔術を学園が用意した的に繰り出して実力を測定するという内容だった。


 アルフォンスは当時若干十五歳でありながらも学園の教師陣とでさえ比較にならないような威力の魔術の数々を繰り出し、果てに彼は試験会場を半壊させた。


 その規格外な火力に試験監督の教師や他の受験生達はどよめき、驚愕や賞賛の言葉を彼に向けた。


「……?」


 ……しかし、アルフォンスにはその状況が理解出来なかった。


 何故ならば、アルフォンスは幼少期から「お前の実力は凡人レベルだ」、「これではフリード一族の恥だ」、「まだまだ外では通用しない」と常に両親から言われて育ってきたからである。


 実際にはアルフォンスは一族内でも特別優れた才能を持っていたが、その才能を更に伸ばす為にアルフォンスの両親は敢えて厳しい言葉を用いてスパルタで彼を育てた。


 しかし、そんな事実を知らないアルフォンスは「自分の実力は平凡である」と信じきっていたため、実技試験で自身の魔術を見た周りが驚いている事が彼には理解出来なかった。


 そして、彼は非常にきょとんとした顔で試験会場にいる周りの人々へ向けて言った。


 言ってしまった。



「これって普通じゃないんですか?」──と。



 その結果、──彼は滅茶苦茶嫌われた。


 彼に一切の悪意はなく、もはやそれは不幸な事故といえるものであったが周りの人々は事の真相など当然知らない。


 周りの人々からしてみたら、彼の発言は「これって普通でしょ、こんなことも出来ないんですか?」と自分達の能力を侮辱されたとしか思えなかった。



 そして、その出来事が原因でアルフォンス=フリードは「高慢で嫌味な人間」という印象を周囲に与え、クラスメイトから目の敵にされるようになってしまったのだった……。

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