第22話 エリザ・ローレッド <2>

 

「あ」


「(……げ)」


 シオンが次の授業を行う教室に向かう為に廊下を歩いていると、向かいから歩いて来ていた一人の女子生徒が自分を見て立ち止まった事に気が付いた。


 その女子生徒に見覚えのあったシオンは一瞬つられて立ち止まったが、まるで何事もなかったかのように女子生徒の横を通り抜けようとした。


 だが、しかし。


「ちょっと、待ちなさいよ。何無視してくれてんの」


「うっ」


 その女子生徒、エリザ・ローレッドに制服の背中の部分をガシッと掴まれながら呼び止められた。

 突然制服を引っ張られたことで若干バランスを崩しつつ、シオンの足は止まった。


「挨拶くらいしたらどう?」


「……ああ、お疲れ」


「(別に挨拶するような仲じゃないよな……)」と思いつつもエリザの方に振り向いて返事をし、「じゃあ、これで」と再び踵を返して歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


「うっ」


エリザは焦った様子で言い、再び制服を掴んでシオンを呼び止めた。


「……俺に何か用か?」


「あ、いや……。別に、用があるって訳じゃないけど……」


「悪い、別に冷たくするつもりはないんだが……。ただ、用がないならならもう行くぞ」


「い、いえ……。こっちこそ、悪かったわね……」


 エリザはバツが悪そうに言った。


 彼女に掴まれていた服をそっと解放されたシオンは、向き直って再び歩き出した。


 しかし、暫くして二人の距離が開いた所で、


「あ、や、やっぱり用はあるわ! 待って!」


 と、エリザはシオンを追って来た。


「(まずいマズイまずい)」


 彼女から「また決闘をしろ」などと言われては堪らないと思ったシオンは、どうにか口実を作って彼女とのやり取りを切り上げようとした。


 そう、彼にとってのエリザ・ローレッドとは現時点では最大の警戒対象なのだ。


 シオンが彼女と関わると、再び何かの拍子にボコボコにされてしまうという可能性と、不意にシオンの魔術の才能の無さが露呈して先日の決闘で折角カッコ良く決めた「真の実力を隠しているムーブ」が台無しになってしまうという二つの危険性が常に付きまとうのだ。


 特に、後者の方はシオンにとって死活問題であった。


 極力彼女と関わらない為に上手いこと言い逃れようとしたシオンだったが、振り向いた彼の目に映ったエリザの表情はとても真剣で、どこか思いつめたような眼差しをしていた。


「……どうした」


 彼女の真剣さを察したシオンは、エリザの呼び止めに応えた。


「その……。貴方に、聞きたいことがあるの」


「……俺に答えられる事なら」


 シオンはエリザに問いを促した。


「貴方、私に言ったわよね。『諦めない限り、負けじゃない』って」


 エリザは意を決したように一呼吸置いてシオンに問うた。


 そう聞かれたシオンは、先日の決闘を思い出し、「(そう言えばそんな事も言ったか)」と振り返った。


「……ああ、言ったな」


「なら、諦めなければ、どんな相手にもいつかは勝てると思う?」


「無論だ」


「………っ」


 エリザからの問いに対する、彼のその肯定には一切の躊躇が無かった。


 たったの一言であるにも関わらず、その言葉に込められた重みに対してエリザは僅かな動揺を露にする。


「じゃ、じゃあ、貴方は私の実力は知ってると思うけど、もし、諦めなければ……」


 僅かな逡巡が見られたが、エリザは意を決したように言葉を続けた。


「私でも、ユフィア・クインズロードに、学年序列一位の彼女に、勝てると思う……?」


 ──ユフィア・クインズロード。


 学園の歴史上でも僅か三人しかいないS級魔術学生であり、クロフォード魔術学園の第二学年序列一位。


 誰もが認める天才魔術師であり、学園最強の魔術学生。


 常識的に考えて、A級止まりエリザがユフィア・クインズロードに勝つことなど、どんな奇跡が起きようとも有り得る訳がない。


 きっと、世界中の魔術師の誰もが口を揃えてそう言うだろう。


 エリザ自身、それは良く分かっていた。


 だが、本心を言えば、エリザは目の前の男だけは「勝てる」と答えてくれる事を期待していた。

 先日の決闘の時のように、エリザはシオンの言葉を聞いて奮起しようと思って彼に先程の質問をしたのだ。


 あれほど底知れない不屈さを感じさせた男であれば、或いはと。


 しかし、目の前の男子生徒はエリザの実力を知っている。


 あれほどの実力者であれば、自身とユフィア・クインズロードとの力の差、それがどれほど努力しようと決して埋まらないものであるかはエリザ以上に分かっているだろう。


 もしかしたら、いくらこの男でも「流石にそれは無理だ」と答えるかもしれない。


 それを想像した瞬間、エリザはその回答を聞くことを本能が拒否しようとしているのを感じた。


 或いは、エリザはその言葉を聞いて「ユフィア・クインズロードには決して及ばない」という事実を受け入れようとしたのかもしれない。


 あれほど強い意志を持って「諦めない限り負けじゃない」とまで言った男が無理だと言うならば、もしかしたら諦も付くかも知れないとエリザは心のどこかで思っていた。


 ──僅かに身体を震わせるエリザに対して、シオンはすぐにその問いに言葉を返した。


「何を言っているんだ?」


「……っ」


 その言葉とシオンの表情は、「分かりきった事を聞くな」と、言外に語っていた。


「(──やっぱり、いくらなんでも、無謀よね……)」とエリザは痛感した。


「そう……よね……。今のは忘れて──」


 エリザは声を震わせながら言おうとしたが、それは続けざまのシオンの言葉に遮られた。



「そんなの当たり前だ」



「──……え?」


「相手が誰であろうと、勝つまで闘い続ければいずれ勝つ。当然の事だ」


彼は、堂々と言い放った。


「え、え……?」


「ん? 何かおかしい事を言ったか?」


 目を丸くするエリザに、シオン不思議そうな顔を向けた。エリザの真剣な目を見て、シオンは彼女の言葉に真っすぐ向き合わなければならないと感じた。だからこそ自分が当たり前だと思っている考えを真剣に答え、それに驚いた様子のエリザが本気で不思議に思えたのだ。


「いや、おかしいもなにも……」


 ──そんな理屈、滅茶苦茶よ‼ どう考えたって、道理に合っていない‼ と、エリザは思った。


 だが、目の前の男の顔は至って真剣で、決して茶化そうとしているわけではなく、心の底からそう思って言っているという事がエリザには嫌というほど伝わった。


 そもそも、初めにその回答を期待していたのは自分ではないか、と、エリザはシオンに対して突っ込みたい気持ちを堪えた。


 良く分からないが、この男なら、きっとどんな壁が立ち塞がろうと、決して歩みを止める事はないんだろうとエリザは思った。


 たった一度決闘を行っただけで買い被り過ぎている気もしたが、彼女は何故かそう確信したのだった。


「いえ……、分かったわ。答えてくれて有難う」


「ああ」


「じゃあ、もう一つ聞きたいんだけど」


 エリザは質問を続けた。


「何だ?」


「もし貴方に夢があって、それが絶対に叶わないと分かっていても、貴方は諦めない?」


「ああ、勿論。絶対に叶わないという程度のこと、夢を諦める理由にはならないな」


 シオンは、やはり一切の躊躇なく答えた。


「……そう」


 もはやそう答えるであろう事は予想できていたかのようにエリザは返して、質問を重ねた。


「でも、絶対に叶わないって分かってる夢を追うなんて、滑稽で、哀れで、愚かな事だとは、思わないの……? ……きっと、周りの人達にも馬鹿にされ続けるわ」


 それを口にした時、現在の自分と重ね合わせ、胸が苦しくなるのをエリザは感じた。


「自分の夢を追うのに、周りなんか関係ないだろ」


 どこか悲痛な表情を浮かべるエリザに問われたシオンは、ごくあっさりと答えた。


「もし、叶わない夢は見ないことが賢い人間だとするなら、───俺は馬鹿で良い」


「────‼」


 シオンは、エリザに対して一点の曇りもない眼差しを向けた。


「必死になって努力して、足掻いて、もしそれを笑う奴がいようが、──そんな奴よりも夢を追う馬鹿の方が、遥かにカッコいいと俺は思う」


「……っ」


 それを聞いたエリザは、暫く言葉を失った様子だった。


「……そう、分かったわ」


 数秒経って、ただそれだけの言葉を発するとエリザはシオンに対して背を向けた。


 それを見たシオンはもう彼女の用は済んだと思い、「じゃあ」と言い残し、その場を離れようとした。


 しかし、その直後。


「絶対に……ッ‼」


 と、エリザが言葉を発した為、シオンは立ち止まった。


 シオンが振り返ると、エリザは背を向けたままであった。


 その状態のまま、エリザは言葉を続ける。


「いつか、絶対にユフィア・クインズロードに勝つわ……ッ‼」


 そう言うと、「そして、もし彼女に勝てたら、」と言いながらシオンの方に振り向いた。


「その後は、必ず貴方との決着もしっかりと付けさせて貰うから……‼」


 エリザは目元と鼻先を赤くしながらシオンに向けて人差し指の先を向けると、「覚えておきなさいよね‼」言い放った。


「……ああ、楽しみにしておく」


「ほんと、その余裕がムカつくわね……」


 はぁ、とため息を吐くとエリザは少し真剣な眼差しをシオンに向けた。


「ねぇ、あと一つだけ聞いても良い?」


「なんだ」


「……あんたって、一体何者なわけ?」


「……この制服見れば分かるだろ」


 そういうと、彼はどこか得意気な笑みを浮かべた。


「俺は、ただのC級魔術学生だよ。……じゃあな」


 そう言うとシオンはエリザに背を向け、片手を軽く上げてひらひらと振りながら歩き出した。


「……っほんと、ムカつく男ね」 


 その後ろ姿を目で追うエリザの中には、強い決意が生まれていた。


 ……いつか必ず、ユフィア・クインズロードに勝つと。


 どれだけ打ちのめされようと、どれだけ実力の差を突きつけられようと、どれだけ絶望的な状況になろうと、もう二度と挫けない、立ち止まらない、と。


 ──決して、諦めないと。


 シオンの後姿が完全に見えなくなると、エリザは自身の目元を制服の袖で拭った。





 それから数週間後、二年Aクラスは再び授業で模擬試合を行っていた。


 エリザ・ローレッドの対戦相手は先日と同様、ユフィア・クインズロード。


 エリザはここ数週間弛まず魔術を磨いて来たが、その結果は以前と同様、エリザの惨敗であった。


 以前の模擬試合と全く同じように、エリザの繰り出した渾身の魔術の全てをユフィアの「暴虐の碧水龍」という龍を象った水を放出する魔術に蹴散らされ、最後はエリザ本人がその魔術に飲み込まれてフィールドの障壁に叩き付けられた。


 そのまま地面に倒れ込んだエリザに対して、ユフィアは完全に戦闘態勢を解いて冷たい表情でエリザを見つめるだけだった。


 しかし、エリザは、


 「まだよ……ッ。まだ、終わってないわ……‼」


 と言いながら立ち上がり、ユフィアに向けて魔方陣を展開した。だが、


「エリザさん、もう終りですよ。貴方の負けです。次のペアにフィールドを譲って上げてください」


 以前と同様に、やはり模擬試合の監督を務める教師が止めに入った。


 キッ、と睨みつけるように振り返ったエリザに対して、監督教師は「(……またか)」と思ったが、


「……お願いします、先生。まだ、続けさせて下さい」


「……!」


 これまでとはどこか違った様子でエリザは言った。


 以前までの駄々をこねるかのような様子とは違い、その目は監督教師がこれまで見た事が無いほどの真剣さを帯びていた。その様子に監督教師は少し面食らっていたが、再びエリザに声を掛けた。


「……駄目です、認められません。何も、私だって意地悪で止めている訳ではないんです。これ以上続けるとエリザさんが危険だと判断したからであって……」


「お願いです先生、どうか、続けさせて下さい……‼」


「……っ」


 諭すように言う教師に対して、それを遮るようにエリザは懇願した。


 フィールドの外ではクラスメイトの女性生徒達がエリザを尻目に何かヒソヒソと話しているのが見えたが、エリザはそんな事など気にもしなかった。


 エリザの中にあったのは、まだ諦めたくない、まだ試合を続けたいという強い意志。


 その確かな思いは監督教師に十分伝わった。


「……貴方の真剣さは良く分かっています。ですがやはり、これ以上は危険なので……」


 それでも、模擬試合の監督者としてやはり試合の続行は止めるべきという判断は変わらなかった。

「私からもお願いします、先生」


「え、ユ、ユフィアさん⁉」


「ッ‼」


 エリザと教師の間に入ってきた生徒に、監督教師とエリザは驚きの表情を浮かべた。


 いつの間にか二人の側に来ていたユフィア・クインズロードに監督教師は思わず驚きの声を上げ、エリザも大いに動揺した。


 そんな二人の様子には構わず、ユフィアは言葉を続けた。


「お願いします、試合を続けさせて下さい」


「で、ですが、ユフィアさんのお願いでも、安全性を考慮すると、やはり試合の続行は……」


「大丈夫です。何があっても、彼女の安全は保障します」


「……ッ」


 相変わらずの無表情で試合の続行の許可を求めるユフィアに対して、なおも試合の続行を止めさせようとする監督教師だったが、最後のユフィアの宣言を受けて自分の判断を改めて考え直した。


 S級魔術学生のユフィア・クインズロードが安全だと言うのなら、彼女が手加減するにせよ直撃前に魔術を止めるにせよ、ほぼ間違いなくエリザの安全は守られるのだ。


「ユフィアさんがそこまで言うなら、分かりました。試合の続行を認めます。ただし、私がフィールド内で立会い、もし危険そうなら止めに入りますからね」


 その条件を付けた上で、仕方がないと言った口調で試合の続行を認め、監督教師はフィールド内に監督者立会い用の障壁を用意する為にフィールドの中央へ向かった。


「ユフィアさん、どうして……」


 教師が少し離れた後、突然話に介入してきたユフィアに対して驚きを隠せぬままエリザは問うた。


 ユフィア・クインズロードという人物は常に無表情で誰とも関わろうとせず、入学から一年以上経った今でも授業で必要な時以外は誰も彼女の声を聞いたことが無い程である。


 それに、エリザはまだしも、ユフィアに模擬試合を続けるメリットなどないはずだった。


 故に、彼女がこのような行動を取る事がエリザに信じられなかったのも無理はないだろう。


 これまでも同じような状況はいくらでもあったにも関わらず一体どうして今回に限って、と、エリザの頭の中は疑問に溢れていた。


 そんなエリザの問いかけに対してユフィアは答えた。


「──今の貴方の眼、私がこの世界でに似ているから」


「……?」


 そう答えたユフィアの表情はいつものように無表情だったが、エリザにはそれがどこか嬉しそうな顔をしているように思えた。


 その後、「よく分からないけど、取り敢えず礼を言うわ。遠慮なく、全力で行かせてもらうわね」とエリザは気合を入れ直して試合を再開したが、結果はやはりエリザの惨敗であった。


 その日は流石にそれ以上試合は続けなかったが、彼女は次の授業からもユフィアとの試合を行い続けた。


 エリザ・ローレッドは、それから何度ユフィア・クインズロードに打ちのめされようと、どれ程才能の差を突きつけられようと、決して諦める事は無かった。


 それがどれだけみっともなくとも、惨めでも、周りから笑われようとも。


 もう二度と挫けはしないと、彼女はある男の言葉を胸に挑み続けた──。


 

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