第13話 闇黒の破壊神


 模擬試合を行った同日の放課後、シオンは担任教師であるレスティアの授業の準備を手伝っていた。


 その際に、「授業の実験で使用する器具を取りに行って貰えないか」と頼まれたシオンは現在、器具の収納されている用具倉庫の前まで来ていた。


 用意する器具や個数を頭の中で反芻しながらシオンが用具倉庫の中に入ると、ふと倉庫内に人影が有ることに気が付いた。


 シオンがその人影の方に目を向けると、そこには一人の女子生徒の姿があった。


 より正確な状況を表現すると、だと思われる下着の覗く女子生徒の姿がそこにはあった。


 スカートを履きかけのまま、やや前屈みの姿勢で静止している女子生徒。


 同じく、その女子生徒と見つめ合ったまま無言で立ち尽くしているシオン。


 ……互いにフリーズしたまま時間が流れる。


 しかし直後、その静寂は唐突に終わりを迎えた。


「ぐああああああああああああ‼」


 先に静寂を切り裂いたのは、シオンであった。


 シオンは絶叫しながら制服の左胸の辺りを右手で強く握り締め、その場に蹲った。


「クッ‼ 静まれ、静まれ……‼ こんなものに支配されてたまるか‼ 俺は……この世界を、壊したくなんか……ないんだッ‼」


 突如として、何かを強く堪えるように悲痛な叫び声を上げるシオン。しかし次第に彼の声は弱弱しくなっていった。


「俺は……絶対に闇の力に飲まれたりなんか……ッ‼ くっ……静ま……」


 プツリ、とシオンの言葉が途切れると、再び倉庫内に静寂が訪れた。


 そして、その直後。


「……クックック。……カッカッカ……」


 と、小さく不気味な嗤い声が倉庫内に響いた。


 他の誰でもない、蹲った姿勢のままのシオンの嗤い声だった。


「ハーッハッハッハッハッハッハ‼」


 地面に顔を伏せていたシオンは唐突に顔を上げ、高らかな嗤い声を響かせた。


 そして、その両の瞳は不気味な紫色に染まっていた。


「ついにこの時が来たッ‼ これでこの肉体は私のものだッ‼ フハハハハハハハ‼」


 昂奮が収まらないといった様子で、狂気的に嗤うシオン。


「……ククッ……フーハッハッハッハッハ‼」


 まるで堪えきれないといった様にひとしきり嗤い続けると、やがて、「ハァー」と満足気に息をついた。


「この闇黒の破壊神、ヴァサゴ・デウス・グレゴールを一人の人間の中に抑え込もうなどとは、人類も随分と愚かな事をしたものだ……」


 ゆらり、とおもむろに立ち上がりながら呟く。


「しかし、この忌々しい肉体には思いの外抵抗されたものだ……。復活まで存外時間が掛かってしまったな……」


 どこか憎らしげな顔をしながら呟いたシオンであったが、すぐに「まぁ、良いだろう」と表情を切り替えた。


「…………」


 一連の彼の挙動に対して、同じ空間にいる女子生徒は目立ったリアクションを見せずにいる。


 ……先程から、シオンは一体何を言っているのか。


 発言から読み取るに、本当に何者かに肉体を乗っ取られてしまったのか。


 勿論それは違う。現在のシオン・クロサキの精神は彼自身のままである。


 ならば、彼はいよいよ本当に気が狂ってしまったのだろうか。


 否、それもまた違う。


 何者かに肉体を乗っ取られた訳でも、気が狂った訳でもない。


全て、この危機的状況を潜り抜けるための演技である。


 故意でないとは言え、「女子生徒の着替えを覗く」という事態を招いてしまったシオン。


 その瞬間、何故かは分からないがシオンの中で尋常でない危険信号が発せられた。


 この状況を切り抜ける為、咄嗟に彼が選択した行動がこの一連の演技だった。


 突発的に叫び声を上げ、苦しそうに蹲り、急に笑い声を上げ、瞳の色を変え、そして意味不明な言動をとる。


 それによりこの用具倉庫内に驚異的な混沌を生み出し、女子生徒の情報の処理が追いつけないようにする。


 この空間の全ての状況を滅茶苦茶にして、着替えを覗いた事実さえも無かったことにして立ち去るのがシオンの目的だった。


 その作戦を決行するにあたり、「自分という人柱に封印されていた、〝かつて世界を恐怖の底に陥れた闇黒の破壊神〟に抵抗虚しく肉体を乗っ取られてしまった」という設定を瞬時に構築した。


 そして自身が考えたその設定に忠実に従い、息を飲むほどの怪演技を魅せたシオン・クロサキ。


 後は、この嵐のような混沌が去らぬ内に用具倉庫から撤退するだけであった。


「……何はともあれ、久方ぶりの人間界だ」


 完全に闇黒の破壊神になりきり、自然な様子で台詞を続けるシオン。


「取り敢えずは破壊だ、殺戮だ。ああ、堪らぬ‼ この高揚感‼ まずは何を破壊してくれようか‼ 誰を殺してくれようか‼」


 そう言うと、用具倉庫の扉の方へ振り向くシオン。


「そうだな……。手始めに、この私を封印した王族の末裔から殺してやるとしよう。王を殺し、王宮を我が根城にするとしよう。クックック」


 笑みを浮かべ、不気味に嗤うシオン。


 破壊を想像して悦に浸る闇黒の破壊神を演じているのか、演技をする事自体が楽しくて仕方がないのか、もはや判別が付かない様子だった。


「愚かな人類よ、せいぜい残り少ない猶予を楽しむと良い……。この闇黒の破壊神、ヴァサゴ・デウス・グレゴールに蹂躙され、根絶やしにされるその時までな……」


「フーッハッハッハッハッハッハ‼」と嗤い声を上げながら、自然な台詞の流れで倉庫の扉へ向かい歩き出した。


 そのまま倉庫から退出することが出来れば、シオンの作戦は完遂する。


 ──が、しかし。


「フハハハハハハ──ヴェッ‼」


 突如、シオンはその場で転倒した。彼は氷結した足元の床で滑ったのだった。


 倉庫内の床が元々氷結したいたわけではない。


 その氷結は人為的に、たった今魔術によって起こされたものだった。


 その魔術を行使した人物は、氷結した床に這い蹲るシオンに対して、背後から声を掛けた。


「この私の着替えを覗いておいて、そのまま逃げられるとでも思ってるの?」


 ……残念ながら、シオンの考えた作戦は完全に失敗に終わった。

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