2 『おはよう世界、ここはどこ?』

「ん……う……」


 茉弘が目を覚ましたのは、豪奢な天蓋尽きのベットの上だった。

 数度瞬きをしたのち、ぐるりと辺りを見回す。

 広い部屋だ。壁際にはアンティーク調の棚やクローゼット、枕元にはお洒落な照明と似つかわしくない手のひらサイズのウサギぬいぐるみが置かれている。高級そうな絨毯を敷いた床に、カーテンの隙間から差し込む光が当たって輝いていた。

 高級宿泊施設顔負けの寝室での、うららかな目覚め。なんとも気持ちの良いものである。

 問題といえば——自分の意思でここで寝た覚えがなく、ベットからなにやら甘い香りがしたことくらいだった。


「ここは……」


 ぽつりと、呟く。寝起きのためか軽く耳鳴りがして、どことなく全身の力を抜かれているかのうな気怠さがある。

 茉弘は頭に疑問符を浮かべながら、思考を巡らせた。


 ——自分は式部茉弘。年齢は十五歳、東京都桜城市に住む高校生だ。

 まあ正確に言えばまだ高校には通っておらず、入学を控えた段階。それは覚えている。

 眠りに落ちる前の最後の記憶は……家の帰り道。

 そうだ。茉弘は買い物から帰宅している最中、元同級生の志摩と会って……彼を傷つけた。でもその志摩がおらず、茉弘一人こんな場所で目覚めるということは、その際に何かがったという事だろうか。


 ……何者かに保護された? 

 ……警察に捕まった? 

 ……何者かに連れ去られ、意識が無いのをいい事に好き放題された? 


 うん、三番目はない。

 恐らく最初の二つのどれか、もしくは、実はここが夢の中である可能性とかだろう。

 茉弘はぼんやりとした意識のまま力いっぱい頬をつねってみた。あまり痛くなかったが、これが本当に夢なのか、寝起きで指先に力を込められていないだけなのかは上手く判別できなかった。

 ともあれ、このままここにいても分かることは少ないだろう。

 茉弘はベットから降りると、すぐそばのテーブルにあった自分の靴を突っかけ、そのままふらふらとした足取りで扉を開けて、部屋を出て行った。

 と——


「は……?」


 そこで、茉弘は思わず目を丸くした。

 部屋の扉を通ると同時、まるで瞬間移動でもしたかのように、茉弘を包む景色が様変わりしてしまったのだ。

 天には目映い太陽と綺麗な青空。地にはまっすぐに延びた舗装路。道の合間に噴水や街路樹などが配置され、適度な自然が等間隔に差し挟まれている。そしてその道の先には壮麗かつ豪奢な屋舎が、玉座に座して国を静観する王の如く悠然と聳えていた。

 茉弘の知るものとは異なる様相ではあったが、どことなく学校施設を思わせるような施設を伴った景色である。

 茉弘は突然のことに戸惑い、後方を見た。

 だが、先ほどまで茉弘がいた寝室は、跡も形もない。通ってきた扉すらない。

 一体何が起こっているのか理解できず、茉弘はふらつく頭に手を置いた。


「……やっぱり、夢かな?」


 しかし、そう思い悩んではいられないようだった。

 理由は単純なものである。ここには、先ほどの部屋と異なり、ちらほらと人の姿があったのだ。

 あの学校施設の学生だろうか。揃いの制服を纏った少年少女たちが、前方の巨大な建物に向かって歩みを進めている。

 そしてのち一人の生徒が、突如現れた茉弘に驚いてか、その場に足を止め、目を丸くしていた。


「あ——」


 無理もあるまい。いきなり何もないところから人間が現れたらそりゃ驚くだろう。……まあ、この場の誰よりも驚いているのは茉弘本人ではあるが。

 ともかく、今は自分が不審者でないことを説明しつつ、いったいここがどこなのかの情報を訪ねなければならない。

 茉弘はもっとも手近にいた女子学生に向き直った。


「あ、あの——」


 が、茉弘の言葉が最後で紡がれることなく。



「——おはようございます、



 その女子生徒は、恭しく礼をすると、そう挨拶してきた。


「……え?」


 予想外の反応に、目を丸くする。

 すると周囲にいた他の生徒たちも、遠巻きにではあるが目に映った全員が会釈してきた。


「おはようございます」

「お目覚めになられたのですね、茉弘様」

「寝癖直してから外に出ないと、魔女様に怒られてしまいますよ」

「…………?」


 生徒たちの言葉に、茉弘はキョトンとその場に立ち尽くした。

 いや、それだけではない。後方から現れた教師と思しき壮年の男性までもが、


「茉弘様、お目覚めで何よりです」


 ——魔女様。

 そして……茉弘様。


 今し方かけられた聞き慣れない言葉に、さらに茉弘は首を傾げた。

 少なくとも、今までの人生で「様」呼びされたことはない。それにこんなに恭しく声をかけられたこともない。

 というかどちらも、茉弘のような普通の男子高校生を向けて言ったり振る舞ったりする物でないように思われた。


「——ここにいたかい」


 と。

 そこで、背後から鈴の音のような澄んだ声をかけられ、茉弘は振り返った。


「え……?」


 そこを見やると、そこには二人の少女の姿があった。

 一人は、まるで一国の王女や王族の令嬢のような白と紺を基調としたドレス姿に身を包み、表情に少しばかりのあどけなさが残る少女。

 もう一人は、その少女の一歩後ろに控えるように立ち、まるでメイドのような格好で手を前に添えてこちらを見つめてくる少女であった。


「……、えと……」


 茉弘は困惑した。付け加えるなら混乱すらしている。

 無理もない。知らない場所で知らない人たちに自分の名前が知られ、妙な呼ばれ方までされて友好な振る舞いを受けたのだ。警戒するなと言われても状況上警戒せざる終えない。


 、尚更。


 だからこそ警戒は解かず、情報を集めるように言葉を発そうとした。


「怖がる必要はない。わたしはキミの味方だ」


 そう言って、ドレス姿の少女が茉弘の横を通り過ぎると、周囲に集まる生徒たちに目を向けた。


「皆、茉弘を心配していたのだろうがまだ彼は病み上がりだ。あまりわらわらと囲ってしまうのは身体に毒だろう。今日はこれくらいにしてもらえるかい?」


 彼女の発言から数秒の間を置いたのち、「わかりました、学園長先生!」と一人の女子生徒が声を発する。

 それを軛に、


「行ってきます! 学園長先生!」

「茉弘様のことは任せました!」

「あぁ……魔女様は今日もお美しい……」


 と、各々の返事を告げていった生徒たちは学舎側へと再び歩み出していった。

 少女はそれに手を振りながら笑顔で見送り、ある程度距離が離れたところで動作を止めた。


「さて……気分はどうだい?」


 少女はまるで、僕の身を案じていたように問いかけてきた。

 だけど僕は返答はせず、警戒したままでいた。


「随分と警戒しているね。わたしのようなか弱い女の子が、男の子のキミに何か出来ると思うのかい?」

「……警戒しないわけがないです。

 名乗ってもいないのに、知らない人が自分の名前を知ってたら……尚更です……。

 それに、今の僕は——」


 そこで言い淀み、僕は拳を強く握った。

 人に、ましてや見知らぬ人に言える内容ではなかったから。

 けれど、目の前の少女はまるでそんな僕の心を見透かすように言った。


「また誰かをに傷つけるかもしれない、かい?」

「⁉ な、なんで——」

「知っているよ。

そうならないよう一時的な処置を施し、ここに連れてきたのがわたしなのだから」

「そ、それってどういう——」

「知りたければ着いてくるといい。キミのことも、キミの友人のことについて全て話そう」


 そう言って少女は僕に手を差し伸べて、こう名乗った。


「わたしの名は彩菜。

極彩ごくさいの庭園〉学園長の無華花彩菜むかばなさいなだ。よろしく頼むよ、式部茉弘」


 その手の、指先の美しさに目を一瞬にして奪われた。

 肩書とかは頭に入らず、彼女の容姿、表情、名前だけが心に、脳に焼き付いていく。

 今にも爆発して砕け散ってしまいそうな心臓の跳ねる音が、思い出させてくれた。

 ほんのりと染まる頬、彼女の姿を映す潤んだ瞳、芽吹く淡い……いや、想起する恋心。

 経験は皆無。浸る間もない。膨れる想いはパンク寸前。

 僕の心は、視線は再び奪われた。


 一度として「恋」なんてしたことが無い。

 ましてや「初恋」すらしたことの無い僕の心は——無華花彩菜というを思い出した。

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キミと僕の約束、それは世界を守る誓いのプロポーズ はるたん @Natuy_Hosoki

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