33-2 最終話 月
「またせて、ごめんね」
ぼくは後ろを振り返った。
ぱっつん前髪に、お姫様カット。
太陽の光を浴びて、
長い黒髪が金色に輝いていた。
君か来た。
君は少女めいた雰囲気で、
いじらしいほど顔をほてらせていた。
「待ちくたびれた。どうぞ、約束だからな」
「ありがとう」
ジュースを手渡した。
君はひとくち飲み、
さわやかな匂いがはじけた。
あわい花びらのような唇が濡れた。
「行こう」
花壇の向日葵に別れを告げて、
門を出て左に曲がった。
ぼくのとなりを君が歩いた。
太陽が天頂に位置するため影がなかった。
校舎。街路樹。標識。車道。足音。風。
ありとあらゆる物質にも。
赤。
交差点で立ち止まる。
ぼくは右を振りむいた。
胸にたれた髪を指先にからめて、
はにかむ女の子みたいに君は笑っていた。
この世のものとはおもえないほど、
まばゆくて。
生きていると、信じられなかった。
ぼくは、君に想いをつたえた。
君も、ぼくに想いをつたえてくれた。
もう、こころには、なにもない。
信号、青、歩み始める。
「ぼくは決めたよ。
人生という、100年の仮想現実で、
新しい冒険をスタートする」
となりを見ながら、ぼくは言った。
「うん、わたしも。
この世界で、戦う理由をみつけたから……」
ぼくにほほ笑みかけて、
なにか言い足すように、
君は目をしばたたいた。
なつかしい秘密の印をくれた。
「わたしはやっぱり、魔法剣士かな」
「ぼくは大学、まじめに行く」
左手の小指を口元にあて、
君はニヤリとほくそ笑む。
「やめたほうがいいよ。
あなたは、呪われてるから」
「は? どんな呪い?」
いたずらっぽい笑顔をうかべ、
ぼくの袖口をつまんで引っぱる。
つま先立ちになり、
身を寄せ顔をちかづける。
じらしながら吐息をもらすように、
君は、ぼくに、そっと耳打ちした。
「この世界で、なにを見ても、
うつくしい。
そう感じてしまう。そんな呪い」
前髪をいじる、しろい指先、
夏の光がつらぬいた。
「神様のフリをした、悪魔みたいなセリフだな」
ぼくが言うと、
体いっぱいで君は笑った。
黒髪の甘い香り、ほのかにつたう。
ぼくは君の左手をにぎった。
つつみこんだ。やわらかかった。
君はぎゅっとにぎり返した。
子どもっぽく指先をからめてもてあそぶ。
ぼくたちは歩いた。
目にするひとつひとつが色鮮やかだった。
いま、目の前に、
つづいている道だけが、
世界の全部だと、ぼくは確信した。
右手から伝わる、
君のぬくもりの先、
なつかしい場所へとつながる。
自分が希薄になっていく安らかさ、
心臓の鼓動が静かになっていく
ぼくは吸い込まれていく
君のなかへ──
十七歳の夏。
ぼくは君に恋をした。
生の神秘を知った。
君は、ぼくにみせてくれた。
ありふれた季節に秘められた、
きらきらとした真実の欠片を。
「君に、見せたい場所があるんだ」
「うん、それまで、旅の物語をきかせてあげる」
しろい君が、
無色から透明になっていく。
ぼくは、君しか見えなくなった。
ぼくの現実には、
君とぼくしか、いなくなった
「楽しみだ」
「ええ、わたしは時空を超える、時の旅人だから」
ぼくたちは信号を渡り、左に曲がった。
小道に入り、ゆるやかな坂を歩く。
土は三つ葉の緑にみちて、
白い野花が永遠にあふれていた。
夢の世界に入っていく感覚がした。
風は凪ぐことはない。
君の長い黒髪、
華奢な背中から、羽のようにはばたいた。
金色になる 君をとおりぬけた風
凛とした瞳 きらきらきらめく
階梯を昇り 二人で空をみた
はるか彼方 視線のさきに
銀色の月が 光っていた
完
君のなかへ、幾千の夏をこえて 山本夢子 @yumeko_000
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