24-3 卒業式



「今日は3時で閉室です」

 図書委員に言われた。



 午前中の卒業式が終わって、

 4時間も過ぎていた。

 正面の窓を見ると日が傾きかけていた。

 ぼくは図書室を出た。

 念のため、3階の三年F組の教室を見に行った。

 今井の姿はなかった。




 校内をとりとめもなく歩く。

 もう二度と見ることのない風景、

 そう思うと淋しくなくもない。

 物思いに耽りながらさまよっていたら、

 5階の第2会議室を通過していた。

 鍵がかかっている。

 ガラス越しに室内をのぞきこむと、

 西日が射して眩しい。

 後方に机と椅子が無作為に積み上げられ、

 黒板前にはぽっかりとスペースが空いている。

 あの日のままだ。

 文化祭の前日、

 最後の掃除をしてドアの鍵をかけた。

 あの時のまま、

 時間が止まっている気がした。




「はい。わたしも、

 上杉くんに、つたえなきゃならない」



 朝、

 今井が言った言葉が頭のなかで反芻する。

 ぼくに、伝えなければならないことって、

 なんなのか?

 廊下の窓から見えた空が陰り始めていた。

 さざめく虚無を打ち消したくて、

 ぼくは一気に階段を駆け下りた。



 第1体育館には、

 もう卒業式の形跡はなかった。

 たくさん並んでいた椅子は片付けられ、

 人の気配はなく閑静としていた。

 用具室からバスケットボールを取りだした。

 フリースローラインに立つ。

 ぼくは、シュートを打ち続けた。

 何度も。何度も。



「ナイスシュート!」



 あの日のように、

 いつか後ろから彼女の声がとんでくる。

 あわい期待と記憶が去来していた。


 サァ────────ッ。

 上方の窓から陽光が射した。

 うす暗い体育館が明るくなっていった。

 雲に隠れていた太陽が顔をだした。

 はたと、二年の文化祭の光景がうかんだ。

 熱気、熱意、熱情、

 それらが渦巻いていた夏だった。


 ぼくは、上を見た。

 壁に飾られた校歌と校訓が、光明に照らされた。

 三つの校訓を、心のうちで読み上げた。




  【自主】

  【協調】

  【清純】




 体育館を出た。

 あの場所へと足が向かっていた。

 校内に人影はもうなかった。

 北棟の昇降口から3階まで上り、

 ぼくは、上方を見た。

 階段の踊り場だ。

 上部の大きな窓から、青白い光があふれている。

 逆光で、

 窓枠が黒い十字を刻んでいるように見えた。

 印象深く思い出の場所になっていた。

 二年生のクリスマスイブ、

 今井と一緒に過ごした場所。

 そんなことを考えながら、

 階段を上り、踊り場の広い壁によしかかった。

 4階の音楽室からチェンバロが響いてきた。

 今日も音楽部員が弾いているのだろう。


 アリア。

 静謐で澄みきった音色、

 甘美な旋律、一音一音が沁みて、

 なつかしい心地になった。


 この曲を聴くと、子どものころを思い出す。

 家に帰るといつもこの曲が流れていた。

 毎日が笑顔であふれて、

 目にするひとつひとつの場面が色鮮やかだった。

 家と学校と通学路、それだけが、

 世界の全部だと信じていた。

 胸が疼く。


 となりを見た、だれもいない。

 冬の雨の日、

 白い吐息を吐きながら、一緒に聴いた。

 あの時の、今井の泪が忘れられない。


 ぼくは聴覚に集中した。

 変奏曲30番まで進行し、アリアに回帰した。

 二年生の夏から、ここで幾度も聴いてきた。

 演奏が完成していた。


『J・S・バッハ ゴルトベルク変奏曲』


 父が好きな曲だった。











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