20-2 自殺管理法の成立
5月1日のことだった。
ぼくは帰宅しようと、
自転車のハンドルに手をかけたら、
前のカゴに目がいった。
中には野花が置かれていた。
白いクローバーの花だった。
草の茎で束ねられ、花束のように見えた。
白い花の数は18輪、
さわやかな緑の香りがした。
花を置いたのは、おそらく今井だろう。
その日の夜、
今井からメールがきた。
三年生になり、初めてだった。
──────────────────
今井『上杉さま。お誕生日、
おめでとうございます』
上杉『お花、ありがとう』
──────────────────
短いメールのやり取りだった。
去年、今井の誕生日の記憶をさぐっていた。
放課後の図書室でのことが、
夢だったように感じた。
硝子の花瓶にいけて机に置いた。
花束をながめていたら、
野原で花を摘んでいる彼女を空想した。
指先で白い花に触れながら、
ぼくは、花の数をまた数えた。
18輪。
ぼくの誕生日はちょうど、18年前。
元号が平成から令和に改元した、
2019年5月1日。
だから父はぼくを、令也と名付けた。
ぼくが生まれた日、
日本はどんな一日だったのだろう。
白い花びらにピントを合わせ、
スマートフォンのシャッターを切る。
花は、必ず枯れてしまうから。
校庭のツツジが咲きみだれた。
時節は衣替えだ。
男子はブレザーを脱ぎすてた。
女子は、
紺から半袖の白いセーラーへと一新した。
脱皮して変身していく天使のようでまぶしい。
女子生徒の胸元に結ばれた、
スカーフの空色には、去年の夏がみえた。
6月になり初めて選挙にいった。
衆議院の解散総選挙だ。
平成の時代から、
インターネット選挙の導入が、
提唱されていたけど、未だ実現されていない。
ネットニュースで選挙の報道をしていた。
気になる記事があった。
それは、14年前に起きた事件を検証していた。
元総理の国会議員が、
白昼堂々、暗殺された。
民主主義が、暴力により淘汰されたのだ。
日本沈没の序章になったと論評していた。
「投票したい候補者がいない」
ぼくは思った。
だから、国民参加型の新しい政党に、
一票を投じた。
なぜなら、『自殺管理法』に、
反対の公約を掲げていたからだ。
一票にどれだけの力があるのかわからない。
無力感を感じ得ないまま、投票場をあとにした。
雨の日が続いた。
鈍色の空に押し込められて、
太陽の存在を忘れてしまいそうだった。
「上杉くん、
わたしの秘密… …教えたら助けてくれる?」
──また、君の夢をみた。
なまなましい感覚、
夏のまばゆさのなかで、きらきらしていた。
目をあけてベッドの上で現実に戻ると、
胸がきりきりと苦しい。
洗面所で顔を洗い、頭を切りかえた。
今年の梅雨は長い。
7月末なのに、
じめじめとした重たい日々が引き続いている。
そんな空模様に慣れるように、
心にせり上がる虚無感にも、
ぼくは馴染んでいた。
学校で、遠くから稀に見る今井の姿。
階段の踊り場。
丸い花壇。
帰り道の交差点。
それらを平然と直視できるようになった。
ぼくはもう、一人でも大丈夫だ。
月日はめまぐるしく移りゆく、
心は立ち止まったままで。
校庭の片隅に、紫陽花が雫に濡れていた。
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