十七歳の夏の授業

3-1 十七歳の夏の授業




 ──令和17年7月

 ぼくにとって、17回目の夏だった。



 東京は36度を超える猛暑日が続いていた。

 密封された教室、

 クーラーの強風でたなびくカーテン、

 その隙間から青空がちらついていた。

 左の窓側から光が射し込み、

 黒板には、白から深緑色へと、

 精彩なグラデーションが描がかれている。 

 けど、ぼくにとって、

 すべての風景が、

 モノクローム、

 白黒のように色褪せて見えた。

 


 今日は、一学期、最後の授業。

 そのせいで、二年A組の教室は、

 ソワソワと浮き足立っている。

 クラスメイトの気分は、

 夏休みへと見切り発進だった。

 


 キーン コーン カーン コーン── ……


 始業のチャイムがなった。

 担任が教室に入ってきて、教壇に立った。


「起立、礼」


 クラス会長が号令をあげる。

 椅子の足と床がすれる音がした。



「おし。前回は、カントの観念論までか。

 今日は、ベンサムの功利主義だ」


 教科書をめくり先生が言った。

 くだらない、と思った。

 ぼくは中途半端な挙手でつめよる。


「先生、教科書に答えが書いてあります。

 授業でやる必要は、ないと思います」


上杉うえすぎ、そうは言っても決まりだからな」


 先生が、渋い顔であごの無精髭をつまんだ。


「先生、質問です」


「また上杉か、なんだ言ってみろ」


 先生を論破するのが、せめてもの抵抗だった。

 教室は静かに盛り上がり、

 ぼくへのエールもとんできた。



「戦争。飢餓。政治腐敗。金権主義。弱肉強食。

 大人が作った社会で、

 どんな希望を持って、

 ぼくたちは、生きればよいのでしょうか?」


 愚かな問いだと自覚はある。

 大人の代表である担任に、

 不満をぶつけたかっただけだ。


「上杉、おまえは成績優秀。

 一流大学に入り、高給取りになれ」


「それの、どこが希望ですか?」


 不条理な社会と、

 あまりにもちっぽけな自分。

 不透明な苛立ち、ぼんやりとした不安。

 概念的な虚無感に、ぼくは支配されていた。

 生きている世界に、

 諦念しか感じなかった。



「ならば授業を変更する。

 上杉、おまえには

 希望のもてる社会にしてもらおう」


 先生が野太い声をあげた。


「ディスカッションを始めるぞ!」


 そして、

 黒板に大きな文字で──こう書いた。




──────────────────



    【自殺管理法】






──────────────────




「最近のニュースでよく耳にするだろ、

 国会でも、賛否両論の大論争だ」


 あごの無精髭をつまみながら、

 先生は、法律案を黒板に書いた。




──────────────────



  【自殺管理法】


   十八歳以上の成人は、

   自殺を希望するとき、

   特定の条件を満たした場合、

   政府の管理施設で、自殺することができる




──────────────────





「簡潔に説明する。十八歳になり、

 条件を満たせば、病院で薬を打ち、楽に死ねる。

 そんな法律だ」


 先生は法案の一部分に、

 赤いチョークで下線を引いた。





   特定の条件を満たした場合

   ────────────





「この文言が、争点になっている。

 どういう境遇だったら、認めるかってこと。

 次の衆議院の選挙で、決まるだろう」


 先生は傲慢な口ぶりで説明した。

 それから、

 チィーン! 教卓のベルを鳴らした。


「三つの班に、分かれてもらう。

 A班は、反対派。

 B班は、中立派。

 C班は、賛成派。

 協議時間は20分、主張時間は10分以内だ」



 先生は室内を180度、

 ぐるりと見渡し代表の三人を狙っている。

 あたかも肉食動物が、

 草食動物を捕獲する目つきだ。



「A班代表、上杉令也うえすぎれいや

 B班代表、小嶋平八郎こじまへいはちろう

 C班代表、今井雪いまいゆき。決定だ!」


「はい」


 ぼくは気の抜けた返事を返した。













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