第6話 ゆけ、ふたり!

「それでどこへ」

「トーストへ!」

「裏の駐車場か?」

「そのはず」

 おれたちは夜の中を駆けた。


「まちなよ。楽しもう」サトミだ。闇に意味不明の言葉が響き空気が粘る。足も重い。

「これ、なんだ?」

「たぶんサトミの術」大急ぎで調べ、生前の彼女が従姉妹にあたる赤井翔子を通じ、邪法に親しんだ痕跡を見つけたという。

「時間ぎれで詳しい関係や甦りの全貌はわからない。ただし赤井って人、その筋じゃ有名だったそうだけど、少し前に近くのホテルで死んでいた」

「死んでた?」

「数日はかかる術に挑み、肉体がもたず死んだのではってモーガナが。あ、例の落書きすごく役に立った。顧問団に見せたらいろんな情報を読み出せた。サトミらはおそらく、片手じゃ足りない人命を吸収済みだろうって。許せない」

「モーガナ?顧問団?」そっちが気になる。

「つまり…」


 余裕しゃくしゃくでサトミの近づいてくるのが見えた。  

「とにかく止めてくる」おれは言った。「このロープで殴れば効くかな」

「こっちを試して」玲馬がビニール袋を差し出す。

「あいつサラダ嫌いなの?」中は野草みたいなのでパンパンだった。

 その「神聖なはずの植物」の使用法を聞き、おれはサトミに立ち塞がった。

「君はもう降参?」

「いーや。お口に合いますか」

 袋の中の草や枝を彼女の前面に撒いて、逃げる。サトミは「下手な小細工ね」と言いつつ、ヘジコを手に前進した。だが、植物を踏んだとたん足元がうねって泥川みたいになった。

「ちくしょう、そうきたか」髪を振り乱しながら、サトミは唄みたいな文句を唱える。だんだん魔法合戦みたいになってきた。


 広いモールを必死で駆け抜け、おれたちはトーストのそばにたどり着いた。平面駐車場の端だ。玲馬は相当へばっている。

 白い仮囲いの裏は土がすっかり露出し小山まである。窪みの中でトーストが尻尾を振っていた。喘ぐ玲馬をそのままに、ジャンプしてサトミの様子を見た。まだ緑と揉めている。がんばれ緑。

「このあとは」

「トーストの足元を探して」あえぎながら玲馬が言った。「我ながら情けない」

 赤色灯の光に、古い遺構らしきものが浮かんでいる。

 土や瓦礫とは違う塊をトーストが前脚で示した。掘り出したのだろうか。けっこう使える犬だ。バカにしてごめん。

「なんか汚いのがあるぞ。ウンコとかじゃないよな」

 冗談めかしたが、異様な気配がするのですぐわかった。今夜はそんなのばっかりだ。

「このウン、いやかつお節みたいなのは…」

「ミイラ化した内臓、たぶん心臓と骨片の癒着物かな」

「おえっ」


「これが騒ぎの直接の始まりであり終わり」と彼は言い、破壊し決着をつけると宣言した。疑問反論が胸をよぎらないでもないが、こうなれば付き合うしかない。

 幸運は、サトミがイマイチ重要性を認識していない点だという。

「さっきの続きだけど、サトミ本人じゃなく赤井が彼女を復活させた。それも完全ではなかったから、あんな統一性のない魔物になったと思われる」

「自分の復活したわけが、全部は把握できてないって?』

「そんなとこかな」

「ふーん。でもサトミも可哀想かも」と、自分でも意外なセリフが口から出た。「この世にいる理由が分かってないなんて」


(だれでもそう)

 また、あの声が聞こえた。

 優しいのに地獄から響くような声音。

 ビビるおれに、「紹介します。彼女がモーガナ」

 それは薫の部屋にいそうな、掌に乗るほどの人形だった。素朴な目鼻の手作りっぽい少女像。しかし姿が目に入ると、おれの意識が足を踏み外し、深い深い底へと落ちて行く。 

「あ、気をつけて」玲馬がおれを揺すっている。「やっぱり長島くん、霊的な感性がすごい。だから目をつけられたのかな」

「あまりうれしくないよ。で、こちらの方は…」

「分類上は身代わり人形」

「身代わり?」


 呪いを引き受けるうち、自らが桁外れの呪いと化したモーガナは、霊障によるトラブルのために各地を流浪の末、玲馬の祖母の元へ落ち着いた。その曰く付きの存在をこっそり持ち出してきたのだ。

「敵はめったにいない危険な死霊。でも対決のための時間も経験もない」

 そこで思い切ってモーガナに同行を頼んだ。「いちおうぼく世話係だし。そしたら、日ごろの義理もあるし特別に手伝ってくれるって」

「呪いの人形に義理?」呆れたが、思い出したことがあった。「じゃあ、学校での独り言は…」

「他にもいるけどね。みんな好奇心が強くて」

「空想のお友だちかと思ってた」

「そのほうが都合いい」

 今度ははっきり声がした。(うふふ。こんばんは、よろしくね)

「ど、どうも。お世話になります)

(なかなか楽隠居させてもらえないのよ)


「あーら休憩?」遠くからサトミの声がした。

 髪も服も乱れに乱れている。力任せに植物園から抜け出したせいだ。まだしつこく足に絡むツタを、サトミは甲高く呪文をとなえ焼き切った。「もうおしまい。逃げられないよ」

 役割分担を終えたおれたちは、サトミに向き合った。

 再びおれはロープを巻いた拳を構えた。

 だが、ケンイチと威圧感が違い過ぎる。緊張する耳に明るい音楽が届いた。胸ポケットに移動したモーガナの鼻歌だ。ケセラ、セラと唄っている。


 玲馬が静かに宣言した。

「早野聡美さん。元の場所へとお戻りを」

「あら、元の場所って今のここよ」

 玲馬は地面からさっきの塊を拾い上げ、くるっと後ろを向き走り出した。サトミは苦笑して見ていたが、くんくん鼻を鳴らし、「しまった」と急に恐ろしい叫びをあげ、追いかけはじめた。

(まだよ)声がした。

 目の前をサトミが通り過ぎようとしている。

(そら、いま)

「お願いしますっ」おれは横をすり抜けようとしたサトミに手を伸ばし、モーガナを押し付けた。

 瞬間、時間が停まった。目玉だけ動かしサトミは胸元のモーガナを見下ろす。モーガナが外国語風の言葉をかけた。意味はわからん。だが、同時に紫色の炎が燃え広がった。顔を腕で覆った直後、破裂音が響き突風が吹いた。おれは地面にひっくり返った。


 咳き込みながら起き上がると状況は一変していた。

 サトミのいた場所は地面がごっそりえぐれている。よく無事だったものだ。

 離れた場所にサトミが倒れていた。しかし、よろめきつつ立ち上がった。

「あーあ。やってくれたね。今のは?」左右に頭を振りながらおれを睨む。怖い。

 しかしサトミは、また玲馬に目標を定めた。

 彼は、土が露出しているが平坦な場所を選び、畏れ多くも蛇姫さまの銅鏡を使い五芒星を描いた。さらにさっきの心臓を置くと瓶から聖なるブレンド油?を注ぐ。サトミが駆け出した。

 おれはわめきながらサトミの背中に突っ込もうとした。

(まちなさい)声がした。モーガナだ。(まだ、壊れてない)

(やつらに命を与えた『しくみ』がまだ残っている。あれでは足りない。ぼうや、私を拾いなさい)

 たしかに、心臓に火がついたのにサトミは動いている。


 おれは近くに落ちていたモーガナを抱え走った。しかし、彼女の指示を後回しに、玲馬に迫るサトミの後ろにつくと同時に蹴りを放った。

 背に食い込むはずの足が見事に跳ね返った。振り返ったサトミの顔の恐ろしさを、おれはいまも忘れない。

 それでもやけくそでパンチを放った。ワンは避けられたが、すくいあげたツーが鳩尾をとらえた。

 だが、髪の毛を巻いていない右なので、手を掴まれ激痛が走った。

 耳のそばでサトミが言った。「あなたの心の中、ちょろっと読んであげた。ドラマな過去ね、あたしほどじゃないけど。そうなの、お母さん事故で死んだの」

 サトミは、美味を楽しむ表情をした。そしておれは、胸がつぶれそうで息ができない。

「ぷはっ」だが、それだけだった。


「変ね。今日は調子が悪い」舌打ちしたサトミはおれの首に手をかける。

 しかし、シューっと音がして花のような匂いがした。「ばかかてめえ」サトミが罵った。

 玲馬だ。火をつけ終えた彼がサトミに消臭剤を吹きかけていた。「ただのファブリーズじゃないぞ。添加剤いり」

「ああっ、ムカつくっ」

 おれを捨てて襲い掛かるサトミに玲馬はまたスプレーした。サトミが咳き込む。

(ほら、はやく)声がした。今度は指示通りに駐車場の一角へと走る。

 そこには汚れたレンガ製の長方形の塔があった。煙突かもしれない。

(この配置がダメ。三角のどれかを壊さないと)意味は理解できた。

 フェンスの向こうに鉄塔があり、建物の際には大きな樹がある。これらを煙突とを線で結べばきれいな三角形を形作る。心臓のあったのはその真ん中だ。これは祭壇なのだ。

 単刀直入に聞く。「どれか壊せってこと?」

(そうよ、ぼうや)


 鉄塔を見上げた。素手では無理。樹木だって同じ。おれはとっさに煙突レンガを蹴り飛ばす。揺れただけだった。

 サトミが苛立っている。玲馬はドラえもんのようにつぎつぎ魔除けグッズを取り出し、相手を防いでいる。モーガナの声がした。

(私をそこに乗せ、髪の毛を巻いた手で叩き潰しなさい。遠慮容赦なく)

「なんだって?」本気かと聞くと、人形はもう一度言った。

(完全に破壊するの。私にはささやかな魔力がある。この澱んだ空間が吹き飛ぶぐらいには。あなたたちも多少、怪我するでしょうが煙突も鉄塔も三角も必ず壊れる。イッツオールオーバー)

「死んじゃうよ、人形が死ぬのかは知らんけど」

(そうね。でもいいの。今夜は楽しかった。ぼうやとも知り合えたし)


 おれは息を飲んだ。モーガナは、会ったばかりのおれの犠牲になるというのだ。なんで気軽に死ぬとかいうのだろう。呪いの人形の人生観はよくわからない。 

 いまや玲馬は、蛇姫様から拝借の銅鏡をサトミに突き出し、祝詞らしきものを唱えている。

 サトミは近寄れないようだが、すさまじい笑顔だ。肉を切らせて骨を断つ気かもしれない。トーストが玲馬の前に出て吠え立てているが、気にする様子はない。

(はやく)

 おれは大きく息を吸って、「いやだ」と言い、モーガナを胸ポケットに戻した。「そんなの、きらいだ」

(すきとかきらいじゃない)

「おいっこらっサトミっ」闇に叫んだ。「おれを見ろ。お前の復活の根拠をつぶしてやる」

「なんだと」

「修道女様、たのんます」叫びながら左右の拳、両足、肘膝を問わず煙突を叩きまくった。頭突きもかました。皮膚が裂け血が飛んだが「壊れろ、壊れろ」と喚き攻撃する。体当たりもした。狂ったように攻めていると、

(ばかねえ)と声がして、目地にヒビが入ってレンガの角がかけ、割れた。

「まてっ」サトミがおれを見ながら虚空を掻きむしった。頭の中に直接声がした。

「やめて私に従え。お前の母親を生き返らせてやる」

「うそつけ」おれは歯を食いしばって目に浮かぶ母の顔を振り払った。

 そして、さらに煙突を蹴って蹴って蹴りまくった。助走をつけて体当たりした。骨にヒビぐらい入ったろうが、ロープを握りしめ攻め続けた。

「あわれな死に方をした親友も蘇るぞ」

 今度は勇気の顔だ。寂しそうに笑う勇気。

「勇気」おれは言った。「お前ならわかるだろ」


 いきなり破裂音がして、何も見えなくなった。意識が途切れた。


 気がつくと、穏やかな風の音がしていた。

 玲馬が地面に座り込み、呆然とした顔でおれを見ていた。トーストもいた。サトミはどこにもいない。

「ど、どうなった」

 モーガナの声がした。(成功。しかしよくやった。あとでちゃんと薬を塗るのよ)

 玲馬の前までよろよろ歩いた。

「終わった…かな」

「終わった…かも」

「サトミ、なんか言ってた?」

「消える寸前、『変なの』って」

「変はお前だ、と言ってやればよかった」

 おれは玲馬の手をつかみ、彼を起こした。

「あっ、長島くん怪我してる。えっ、出血だらけ」

「お前が血だらけよりいい。おれは慣れてる」クールに決めたつもりでも声が震えた。というか、手足が今ごろ細かく震えている。

 夜空に月が出ていた。時刻はまだ21時過ぎ。ホンマかいな。

 遠くに車の音と、とぼけた鳥の鳴き声がした。

 血を拭い、震える手で胸のモーガナを取り出そうとする。

「ありがとう、助かった」

(こちらこそ。玲馬の友だちになってくれて、ありがとう)

 彼女を玲馬に渡しながら、うっかり涙が噴き出た。こんなのはじめてだ。鼻水も流れた。

 おれはモーガナと玲馬の華奢な手を自分の両手で覆い、

「ありがとう。ありがとう。妹が助かった。おれも助かった」と頭を下げた。

 玲馬も笑い、泣いていた。トーストだけがはしゃいでいる。

(いやねえ。二人とも。汚れるでしょ)

 モーガナは言ったが、声は限りなく優しかった。

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二人で祓魔師(ふつまし)を 和希と玲馬の心霊捜査線 布留 洋一朗 @furu123

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