第2話 会社
俺は中堅の電機メーカーに勤めている。会社では、できるだけ同僚に対してフレンドリーに振舞っている。もう、50だから職場では古株だ。ランチは会社の会議室で同僚たちと食べる。みな気さくな感じで、話しやすい。職場環境としてはかなりいい方だと思う。
その日は、UberEatsのことをみんなが話していた。
「あれは儲からないんだってね」
Aさんが言う。俺の1つ上の人で、専業主婦の奥さんと子供がいる人だ。ちょっと小太りで、剥げているが、親しみやすい人だ。
「やっぱり。だって、客からも店からもそんなに手数料取れないですよね?」
と、Bさんが聞き返す。彼は30代で独身。中肉中背のさわやかな好青年だ。
「うん。だから、1時間に2件配達しても、時給だと千円くらいなんだって。遠いところに配達したり、人が少ない時にやらないと稼げないみたいだね。嫌だよね。ああいう外でやる仕事。自転車が好きとかならいいけど」
「やっぱり内勤がいいですよね。夏は日焼けするし、暑いし。僕も無理です」
俺はそんな話を聞いていて、先日、宅配が届かなかったことを思い出した。
「そういえば・・・最近、誤配とか多くない?」
俺は話に割り込んでしまった。
「え、江田さんとこって、今も郵便来ますか?」
「まあ、あんまり来ないけどね。それより、先日、宅配頼んだら、うちの住所にたどり着けないって言われて、料理が届かなくてさ。うちって*ミニ開発だろ?だから、俺の家がGoogleとかで出て来ないみたいなんだよね」
(ミニ開発とは、1000m2未満の土地を細分化し、敷地面積が100m2未満など、小規模な宅地の分譲や建売住宅を開発すること)
「ああ。なるほど・・・」
二人とも微妙な顔をしていた。俺がいきなり話に割り込んだせいだろうか。俺は場を白けさせる男だと言われることがあるから、それからは大人しく弁当を食っていた。二人はその後も、先日見たテレビの話をしていた。俺はテレビを見ないから、話しについていけなかった。それでも、何とはなしに聞いていた。
「そう言えば今日って安倍元総理の国葬ですね」
「そうだ」
「どう思います?」
「別に。俺に関係ねえし」
「そういえば朝、駅に警官がいっぱい立ってたね」
俺は思わず話し始めた。
「あ、そっか。江田さん、いいところ住んでるからね」
「いやぁ・・・うちはそうでもないんだけど。ちょっと物々しい感じで怖かったね。テロとかあったらどうしようって、ドキドキしちゃったよ」
「ああ・・・」
二人ともまた顔を見合わせていた。俺はまた外したんだろうか。別に普通の話だと思うのだが。
「江田さんはまだ気付いてないんだから、余計なこと言っちゃダメだよ」
その場にいた、定年間近の男性が口を挟んだ。
「え?」
俺はその人の方を見た。
「江田さんは純粋だからね」
「そう。素直な人は・・・だよねぇ」
その人は困惑したような顔をしていた。俺がおかしいことを言っているんだろうか。こんな風に空気が悪くなるなら、黙っていればよかったと思った。俺は一人で黙って飯を食って、エントランスにある自販機にジュースでも買いに行こうと立ち上がった。
「あれ、どうしたんですか?」
「ジュース買いに行こうかと思って」
「ああ。なるほど」
俺は『なるほど』と言われる意味がわからなかった。
「ちゃんと戻ってきてくださいね」
「戻って来るよ。酒買いに行くわけじゃないし」
俺は弁当の入った袋を持って、取り敢えずその場から離れた。
いつもはもっと和気あいあいとしているのに、その日は居心地が悪かった。俺は誰もいない廊下を歩きながら、携帯を取り出した。相変わらず誰からも連絡が来ない。友達がいないんだから仕方がない。ネットニュースを見る。やはり、国葬のニュースが最初に出てくる。
俺はエレベーターに乗った。エレベーターについている鏡を見た。
そこには、人がたくさん写っていた。昼時だから満員だった。若いOLさんや白いワイシャツのサラリーマンがひしめき合っていた。
「あれ?」
周りには誰も立っていないのに・・・。背筋に寒い物を感じた。俺は戸惑いながら、1階でエレベーターを降りた。自販機のところに行ってジュースを買う。
俺のすぐ後ろにスーツ姿の男が立っていた。俺が買い終わるのを待ってるんだ。俺は手際よく屈んで、自販機からジュースを取り出した。その動作を急いでやったからと言って数秒しかかわらないのだが。
「お待たせしました」
顔を上げると見たことのない人だった。45歳くらいで、色白、黒ぶち眼鏡。水色のワイシャツを着ている。俺はこの会社に長く勤めているから、大体、全員の顔を知っているのに。
「中途の方ですか?」
俺は声を掛けた。
「はい。最近、入ったばっかりで」
「あ、そうですか。設備管理課の江田です。よろしくお願いします」
俺は感じよく挨拶した。
「購買の前田です。よろしくお願いします。長いんですか?」
「いや。でも、まだ10年くらいですよ・・・」
「どうですか?ここは」
「働きやすいですよ。定時で帰れますから」
「そうですよね。今さら頑張っても仕方ないですから」
「は?」
新入りのくせに、何言ってんだこの人。
「だって、家族もいないですから」
「俺もいないですよ・・・ハッハッハ」
「いいですよね。家族がいる人は」
「ハハ・・・。そんな、今から相手を見つけたらいいじゃないですか。俺より若そうだし」
「いやぁ・・・いいですよ。もう」
何が言いたいんだろう。
「張り合いがなくて。生きてる間に気付いてましたか?死んでからも働かないといけないなんて」
「え?」
「いえ、何でもありません。じゃあ、また」
その人は、所在なさそうに俺に愚痴ると、そのまま立ち去って行った。
俺は外に出た。会社は工場の中に建っていて、外には木が植えてあり、ちょっとしたベンチがある。俺はそこに座って、ジュースを飲んだ。普段はお茶にしているが、その時は炭酸飲料が飲みたくなったから、ジュースにした。普段カロリーを気にしているから、自分へのちょっとしたご褒美だ。久しぶりに飲んだが、実はあまり美味しくない。期待値が上がり過ぎているせいか、一口飲んだ瞬間、こんなもんだったかなと思う。
俺は少しぼんやりしていた。外に設置されている時計は12時50分だ。そろそろ、戻ろう。トイレに行って、午後からまた仕事だ。業者に見積もりを依頼していたから、その回答が届いている頃だ。
俺は立ち上がって、自分の時計を見た。スマートウォッチだ。1日1万歩歩くようにしている。あれ?時計を見たら、もう4時だった。やばい。俺は青ざめた。そして、慌てて部署に戻った。みんな、俺を見てクスクス笑ってた。
「昼寝してたんですか?」
「ごめん、ごめん。気が付いたら3時間も経ってて・・・」
「だから言ったじゃないですか。みんなから離れちゃダメだって」
「そうそう、時間の感覚なくなるからね」
Aさんが言った。
「はぁ・・・」
さすがに3時間もぼーっとしていたのだから、何を言われても怒る気になれなかった。
「江田君。もう、うちの会社に30年もいるのにね」
「え?」
「江田さんは純粋だから・・・」
「あと少しだけど、定時まで頑張って」
その人は笑った。
俺はデスクに座ってパソコンを開いた。取引先から見積もりが届いていたから、購入申込書を作って、部長にメールを転送した。山ほど来ているメールにも返信をする。その中に、こんなメールが混ざっていた。
『これまで、貴社を担当させていただいておりましたが、転勤のため担当から外れることになりました。これまで、長期間に渡り、ご指導ご鞭撻をいただき、誠にありがとうございました。今後も、江田様のご健康とご多幸をお祈りいたします』
健康って、馬鹿じゃねぇの。だって、俺死んでるし・・・。
俺は心の中でツッコミを入れた。
俺ははっとした。急に自分が死んでいることを思い出した。
あ、そうだった・・・。
こめかみが痛くなる。
それまで、すっかり忘れていた。
俺、死んでたんだ。
・・・そうじゃない。敢えて考えないようにしてたんだ。
あ、さっきの休憩室での発言はまずかった・・・。
やっぱり俺は空気読めないやつだ。
自分を責める。自分の存在が恥ずかしい。
この生活にやりがいを見出すには、忘れないといけない。
俺が死んでいることを。
30年前に、あの家で首吊りしたことを。
妻子に逃げられて、絶望した俺は2階の寝室で首を吊った。
俺は仕事に集中する。
今、一瞬頭に浮かんだことを俺は記憶から消そうとする。
俺はそうやって気持ちを切り替えることにもう慣れている。
俺は退職のメールをくれた人に返事を書く。
「ご連絡いただきありがとうございました。今後の前田様のさらなるご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。コロナ寡ですので、お身体には十分お気をつけください」
辿り着けない家 連喜 @toushikibu
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