第四十七話 海の王子と闇の王

「……とんだ茶番劇はもう終いか……?」

「!!」

 

 声がする方向に顔を向けると、鳩尾に手をあてながらゆらりと立ち上がる王の姿が見えた。アリオンはレイア達を即座に背に庇った。背後にいる彼女に声をかける。

 

「レイア、力がまだ充分に戻りきっていないと思うから、君はアーサー達から離れず一緒にいるんだ。いいね」

「でも……!」

「何があっても、君の身体の中に入れた“水晶”が、きっと君を守ってくれる。僕のことは心配しなくていい」

 

 アリオンに言葉で制止され、レイアはぐっと堪えた。彼女の状態は言わば、一度死にかけたところを蘇ってきたばかりのようなものだ。今の自分が戦える状態ではないこと位、嫌でも分かっている。だるいような重いような、すっきりしないものが身体中を支配していて、身体が思うように言うことをきかないのだ。

 

 (鍛錬や仕事で酷く疲れた時でさえ、こんなことなかったのに……)

 

 身体の奥底から微弱ながらも何かがあふれて来ているのを感じる。言葉で表現しにくいが、柔らかくふわふわとした綿毛のようなものが、身体の中で膨らんできているような感じだ。自分の体内にある“水晶”が、傷付いた身体と消耗した体力を回復するよう、細胞へと働きかけているのだろう。

 

「レイア、ここは彼に任せてあなたはここで待機した方が良いわ。今は自分の身体を休めて、回復を待ちましょう。長い間かけられていた術が解けたばかりで、昔の記憶が今の身体に馴染む時間も必要だと思うし」 

「セレナの言う通りだ。アリオンがせっかく守ってくれた生命を無駄にせんようにせねばな」

「……分かった」

 

 アーサー達の説得もあり、レイアはしぶしぶ承諾した。アリオンにとって、アエス王は倒さねばならない仇敵である。そしてこの戦いは自分達のみならず、アルモリカ王国全体の命運をかけた戦いだ。王はレイアにとっても仇敵だが、全てを彼に委ねる方が良いと冷静な頭が告げてくる。

 

 アリオンは改めてアエスと向き直った。

  

「アエス王。仕切り直して勝負だ」 

「ふん。良いだろう。今度こそお前の心臓を本気で握り潰しても良いのだぞ。文字通りにな」

「そうはさせない……!」

 

 金茶色の瞳と煙水晶の瞳が睨み合う。空気が一気に張り詰め、痛い位にピリピリしている。そこへ、意外な声が割り込んできた。

 

「アリオン!! 受け取れ!!」

「?」

 

 アリオンが声のする方向へと顔を向けると、驚くべき早さで黒い何かが自分に向かって飛んできているのが目に入った。彼はそれを右手ではっしと受け取った。ひやりとした冷たい感触に驚いて手を開くと、それは一本の鍵だった。

 

「……これは……!?」 

 

 あの呪われた日から数ヶ月間自分をずっと苦しめ続けていた 、シャックル・リングを外せる唯一の……。

 

「それを使い、早く仲間達を助け出すがいい。全ての腕輪はそれで外せるようになっている」

「ゲノル……? 本当に……?」

「ああ。私を疑うのであれば、己の左腕で試してみるがいい」

 

 驚きのあまり、アリオンは目を丸くしている。今自分の目の前に立ちはだかる男の息子が、何故敵であるはずの自分達を助けるような真似をするのだろうか? 

  

 その様子を目の当たりにしたアエスは、歯ぎしりしながらいきり立った。床に乱暴に叩きつけられた抜き身の剣は、音を立てて転がり、不協和音が周囲に鳴り響いている。声に動揺と怒りの音が混じった。

 

「ぐぬぬぬ……ゲノル! そなたは、この父を裏切るつもりか!?」

「父上。あなたは間違っている……!」

 

 艷やかな黒髪、深緑色の瞳の美丈夫は、言葉を続けた。その瞳は痛みを堪えきれないとでも言いたげな表情をまとっている。

  

「あなたは先王は愚か、我が母上の生命さえ奪った! あなたはそれだけでも罪深いというのに、無意味な虐殺と浪費を繰り返し、その結果として我が国の財政もすっかり傾いてしまっている。今までの所業を数え上げただけでも充分万死に値するだけの罪深さ! 死をもって罪を贖うがいい!!」

  

 レイア達はあまりのことに言葉が出なかった。

 ああ、この国の王子も又、自分達とは違った形でこの暴君の犠牲者の一人であったと初めて知った。彼は表情一つ変えてはいないが、言葉に滲み出るような怒気が混じっているのを感じられる。彼は実の母親と実の祖父を実の父親の手によって殺されたのだ。察するに、親類縁者に至るまでみんな何らかの形で生命を奪われているようだ。アエスは自分のお気に入りだけを侍らせ、気に食わぬ者を全て闇に葬ったと街の情報で聞いていた。それが本当であれば、ゲノルはずっと四面楚歌状態だったに違いない。レイアは彼の苦悩と孤独を思うと、息が詰まって胸が苦しくなった。 

 

 (何てむごいことを……! )

 

 アルモリカ王国で出会った時は自分達と敵対していたゲノルだが、今は全く逆の姿勢である。どちらが本当の彼なのか正直理解し難いが、アーサーはふと思い付いた。

 

 (ひょっとして相手を騙すなら先ず身内をから……というヤツだろうか? もしそうだったらゲノル王子は中々の名俳優だな! )  

 

 ガチャ……ン……。

 アリオンの足元に、今まで彼を苦しめていた無機質な腕輪が開いた状態で落ちていた。

 

 (何て、軽いんだ……!! ) 

 

 両手が晴れて自由になったアリオンは、己の両手首を眺めつつ、信じられないという表情をしている。身体の中心から手足の指先の隅々に至るまで、小さな波のようなものが一気に行き渡ってきた。久しく感じることのなかった、心地よい感覚だ。拘束されていた“力”が一気に解放され、身体全体にみなぎってゆくのを感じていた。


 途端に二つの瞳がパライバ・ブルーに変わる。

 手のひらに乗った鍵が青緑色の光に包まれ、音もなく姿を消した。

 

「アリオン?」

「……今地下牢にいる仲間に鍵を送った。送り主が僕ということはすぐに分かるように印をつけている。後は彼らに任せれば良い」

 

 身体全体が青緑色の光芒に包まれている海の王子に、カンペルロの王子が声をかけた。額に皺を寄せ、申し分なさそうな表情を浮かべている。

 

「アリオン。頼む。私が言えた義理ではないのだが、あえて勝手なことを言う。すまないが、この国のためにも、あの暴君を倒してくれないか?」

「ゲノル……」

「あの王は私の手では止められぬのだ。お前にしか出来ないんだ。頼む……この国の民のためなのだ……」

 

 同じ為政者の立場としての重みと縛りをアリオンは身に沁みて理解している。あの暴君のために自分とは異なる苦難を背負わされたゲノルの心中を思い、アリオンは彼の願いを快諾した。いくら暴君でも彼にとっては実の父親だ。己の手を下すのは忍びないだろう。

 

「……分かった。可能な限りやってみる」

「すまないな。恩に着る」 

「ぬおおおおおおおおっっ!!!!」 

 

 投げやりとなったアエスが咆哮をあげた。鼻息荒く煙水晶の瞳をぎらぎらと輝かせ、こめかみに静脈を浮き上がらせている。

  

「ゲノル……この裏切り者めが……! ここにいる全員始末してくれるわ……!! 先ずはお前からだアリオン!! その憎らしい首級を真っ先に上げてやる……!!」

 

 アエスは床に落ちた剣を拾うと、突進してきた。自分の喉笛を狙ってきた剣先をアリオンは余裕でかわし、身体を回転させてガードを相手のこめかみに叩き込んだ。

 

「ぐあああああああっ!!」

 

 アリオンの反撃をまともに食らったアエスは後ろに向かって飛ばされた。だが、あっという間に体勢を整え、手から黒色の衝撃派を放ってきた。それを目の当たりにしたレイア達は目を大きく広げた。

 

「え……!? 何なのあれは!? アエス王って、あんなこと出来たの!?」

「……誰から伝授されたかは知らぬが、父はその昔、昇りつめられることなら貪欲的に何でも身につけられたと聞いている。私は通り一辺倒の武術しか操れぬ。だから、父を抑えたくても出来なかったのだ……」

「そっか。実親があんな感じでは……あんたも今まで随分と苦労したんだね」

「……あの時は君達の気分を害するような真似をしてすまなかった。アリオンを利用するようなことをして、申し分ない」

「気にしないで。あとアリオンのことならきっと大丈夫だから、心配しなくていいよ」

 

 ゲノルは驚いて横にいるヘーゼル色の瞳の少女の顔を見た。戦闘中なのにも関わらず、太陽のような笑顔を浮かべている。

 

「……楽観的というか、随分と自信があるな」

「見たら分かるし、私は彼を信じているからな」

 

 海の王子に愛されている少女の笑顔を見たゲノルは、少し表情を和らげた

  

「おおおおおおおおおっっ!!」

 

 アリオンは、自分に向かって飛んで来た黒い光の塊を青緑色の衝撃派で跳ね返した。跳ね返されたそれが備え付けられている長椅子を吹き飛ばし、室内に騒音が鳴り響く。レイア達はその衝撃を避けるために、各自ばらばらに飛び退った。

 腕輪の拘束から解放されたアリオンは、身体のキレごと抜群に身体が元の状態へと戻っているのを実感していた。

 

 その時である。

 

「アリオン! 調子に乗っているのもそこまでだ!」

 

 アエスがそう言い終わるか否や、レイアは自分の身体に嫌な感触がまとわりつくのを感じた。傷と衝撃が癒えず、まだ身体を思うように動かすことの出来ない彼女は、虎視眈々と自分を狙ってきたものから避けられなかったのだ。

 

「あっ!!」

「レイア!!」

 

 紫色の触手のようなものに身体を絡み取られ、あっという間にアエスの足元まで引きずられてゆく。思ったほど締め上げられていないのは、彼女の体内にある水晶が力を発揮しているお陰だろう。自分達の戦いにレイアが巻き込まれたのを知るや否や、アリオンは右手から青緑色の光を瞬時に消した。今まともにアエスを攻撃しては、彼女を巻き込んでしまう。暴君を睨みつけた。 

 

「アエス王!! 何故彼女を巻き込んだ。彼女を離せ!!」

「お前の女を助けたければ、剣を離すんだアリオン!! でなければこの娘の命はないぞ!!」

「だめだアリオン。この男の言いなりになってはいけない……!!」

 

 アエスはレイアを人質にとり、彼女の首元に剣の刃をぴたぴたあてて脅している。どこまでも卑怯な態度を取り続ける王に、海の王子の怒りが静かに爆発した。

 

「アエス王……!!」

 

 アエスを睨みつけたアリオンの瞳の色が一段と強くなり、青緑色の光が彼の身体中を覆った。青緑色の大きな雷が床に落ち、周囲に轟音がなり響いた。

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