第四十五話 レイチェルの手記より――亡命

 ――それは十年位前。

 ダムノニア王国が存在していた頃のことだった。

 

 私は当時ダムノニア王国の城でコンスタンス王妃付きの侍女の一人として勤めていた。表向き侍女として働き、いざという時はエオン・ロアン王を守る盾として戦うという少し特殊な立場で、もう一つの顔は王と王妃しか知らなかった。城に採用された時に王に武術の腕を見込まれ、普段は非戦闘員だが、非常時は戦闘員となるように契約した。そのことを外部に漏らさぬよう強く口止めされていたのだ。

  

 ある日私はエオン王に呼び出され、ある部屋へと向かった。その部屋は王専用の書斎であり、通された者は今までほぼいなかった。

 

 中ではお二人が待っておられたが、共に思い詰めた顔をされていた。


(何かあったのかもしれない。よほどお困りなのだろう)


 私は気になったが、お二人にどう声をかけて良いのか分からなかった。

 

 エオン王から詳細を知らされた時、私は耳を疑った。何と、エオン王のたった一人の愛娘であるジャンヌ姫を連れて一日も早く国を出るようにとのことだった。突然のことに言葉を失ったが、理由を説明され、私は断ることが出来なかった。

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

「カンペルロ王国が不穏の動きを見せている。それに対し、ダムノニア王国では目立つ動きが出来ない。あの国は強大な国だ。この国がまともに戦って勝てる相手ではない」

「攻撃の知らせが入ったのですか!?」

「いや。特にはない。しかし、きな臭い情報が入ってきているのだ。いつ攻撃されるかは良く分からないが、きっと時間の問題だろう。妃と自分は立場上逃げられない。せめて、せめて娘だけは助けたい。どうか、そなたの手をかして欲しい」

「……」

「簡単なことではないと重々承知している。独り身のそなたに負担をかけて申し訳ない。これは信頼できるそなたにしか頼めないことなのだ。そなたの生まれ故郷であるコルアイヌへ我が娘と共に避難して欲しい」

 

 言葉を失ったままだった私はすかさず言葉を返した。 

 

「いいえ、陛下。もったいないお言葉にございます。ところで姫様は今日お姿を見ておりませぬが、今どこへいらっしゃるのですか?」

 

 王は痛みを堪えながら絞り出すよう声を出された。

 

「娘には、今まで生きてきた記憶を全て封じる強力な術をかけた薬を飲ませておいた。今部屋でぐっすりと眠っているだろう」 

「え……!?」

 

 その傍で王妃が声を出さず、静かに泣き始めた。身体を小刻みに揺らしている。どう声をかければ良いのか分からず、私はしばらく言葉が出なかった。

  

「娘を少しでも危険から遠ざけたいのだ」

「そんな……! あんまりですわ! 陛下やお妃様から離れまいと、お二人を愛していらっしゃる姫様が、お可哀想!!」

 

 王宮での記憶を全て消し去るだなんて……。

 陛下とお妃様と過ごした日々、お城での日々を全て失うだなんて……。

 

 でも、断腸の思いだったのだろう。王とて人の親。目の中に入れても痛くないほど愛しく思う娘の命を守りたい一心で、そう踏み切られたに違いない。子供は素直で嘘がつけない。少しでも王族と嗅ぎつけられぬようにするには、記憶を根こそぎ奪ってしまうしかない。

 

「今日が‘’ダムノニア王国第一王女、ジャンヌ・ロアン‘’の命日だ。名前はそなたに任せる。いち早くこの城から立ち去り、必ずや生き延びてくれ。そなたが去った後は上手く取り計らうようにしておく」

「分かりました。それでは陛下……短い間でしたが、お世話になりました。どうぞご無事で……」

 

 私は特に私物はなかった為、荷造りするのにさほど時間はかからなかった。与えられていた小部屋に侍女服を畳んで静かに置くと、妙な喪失感に襲われたが、それをぐっとのどの奥に飲み下した。

 

 王から指示された通路を通ってたどり着くと、ジャンヌ姫の部屋が現れた。こんな裏道があったとは知らず、心底驚いたものだった。戸を音を立てず素早く開けると、寝台の上にジャンヌ姫が寝息を立てておられた。その姿を目にした途端、私は言葉を失った。

 

 美しい絹のような黒髪が、濃い茶色へと変わり、平民のような地味な洋服を身に着け、何事もないように眠り続ける姫。無邪気な寝顔だけは変わらないことだけが、せめてもの救いだ。

 

 目覚めた時にはきっと、彼女は全て覚えていないことだろう。ダムノニア王国で生を受け、王と王妃を始め、国民全員から祝福され、愛されてきたことを。背負うにはあまりにも残酷すぎる現実。確かに、知らない方がかえって幸せなのかもしれないと、私は素直に思ってしまった。

  

 愛娘を魔の手から逃れさせ、生きていけるように。父王により髪の色を変え、記憶を封じられた姫。その術がいつ解けるのかまでは、誰にも分からない。 

 

 私は眠り続ける姫様を背負い、落とさぬよう身体に紐でくくりつけ、外套を羽織り城から素早く立ち去った。王族しか知らない裏道を使った為、誰にも気付かれぬうちに城から脱出することが出来た。まさか、こんな形で城を捨てることになるとは思わず、正直無念だった。

 

 (ジャンヌ様だけは何者に変えてでもお守りしなくては! この私が! )

 

 姫様が目覚める時、早くも人生の節目を迎えてしまう。

 自分が王女だったことも。

 ダムノニア王国の王族だったことも。

 陛下とお妃様に愛されて育ってきたことも。

 財産も全て失ってしまうのだから……。

 

 そして、姫としての人生を捨て、新たな人生を生き抜くために生まれ変わるのだ。

 

 何て哀れな姫様……!!

 世が世ならダムノニア王国王位継承順位第一位なのに。

 何不自由なく生活出来るご身分なのに。

 何故運命は彼女に対してこんなにも残酷なのか。

 

 私とて、いつ命を狙われるか分からない。

 姫様が一人でも生き抜いていけるようにお育てしなくては。

 私の‘’娘‘’として……。

 

 平民として生きていける知恵と、力。そして知識と経験。基本的な読み書きといった学問は自分が出来るから何とかなる。退職の際の報酬があるから、それで本を買える。武術は私が伝授しよう。自分が出来ることを全て、姫様に捧げるつもりだ。

 

 ⚔ ⚔ ⚔

 

 その二・三日後、カンペルロ王国がダムノニア王国を急襲した。

 燃え上がる城と共に、エオン・ロアンはコンスタンス王妃と共に最期を遂げたらしい。

 城が焼け落ちる様をラヴァン山脈へと続く森の中から見て、私はつい立ち止まってしまった。

 首元にぶら下がる首飾りをぐっと握りしめる。

 透明で小さな丸い石に、羽飾りがついた首飾り。

 ダムノニア王国の国旗である羽をモチーフにしたもので、生前の王妃から預かった、大切な首飾り。

 ジャンヌが大人になったら、渡して欲しいと言伝てされているものだ。

 

 すると、背中から小さな声が聞こえた。

 姫が目覚めたのだろう。ふわあと、小さなあくびも聞こえる。

  

「ここは……どこ? あなたはだあれ?」

「レイチェルですよ」

「おとうさんは? おかあさんは? どこにいるの?」

 

 後ろから真っ直ぐに見つめてくるヘーゼル色の瞳を見ると、胸を針でさされるような心地がした。

 

 (ああ陛下と全く同じ色の瞳……!! 瞳の色だけは変えなかったのですね……)

 

「いい子ね。良くお聞き。あなたのお父さんとお母さんはね。病気で死んでしまったのです」 

「え……!? ふたりとも、いないの? もうあえないの?」

 

 私はぽろぽろ涙をこぼす幼子の頭をなでた。

 

「今日からは私があなたの新しいお母さんだから、よろしくお願いしますね。

「れいあ? それが、わたしのなまえ?」

「ええ、レイア・ガルブレイス。それがあなたの名前です。さあ、新しいお家に一緒に行きましょう」

 

 新たに芽生えた重みを背中に背負い、私はコルアイヌ王国へと目指した。しばらく帰ってなかった祖国へ――

 

  

 

 

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