第四十三話 真実

 その部屋の真ん中あたり黒髪で煙水晶の瞳を持っている男がゆったりと立っていた。その頭には冠を乗せていない。国旗と同じく黒を基調とした生地に、紫色の差し色が入った上着を来ている。炎のような形をした襟飾りのついた黒い外套を、その上から羽織っていた。彼はレイアの破れた上着に始まり、セレナの傷だらけの手足からアーサーの左腕に巻かれた包帯一つに至るまで、獲物を舐め回すかのように眺め見た。

  

「ほう。これは、確かに面白い顔ぶれだな。このランデヴェネストから抜け出した後、そなたはかような連中を連れてきたわけなのだな。アリオンよ」 

「……」

「こちらの兵で仕留められなかったのは残念だが、その結果としてお前達は万全な状態ではなくなった。儂を相手に生きて帰れるまい。覚悟するがいい」 

 

 アリオンは無言のままアエスを睨みつけた。何を言われても動じることはないが、何としてでも自分がアエスを押さえ込みたいところだ。だが、左手首にある冷たい黒い腕輪が鉛のように重く感じる。

 

「フハハハ! 残念ながら鍵は見つからなかったようじゃの。アリオン。その腕輪がある以上、そなたの勝機はほぼないと思え……」

「王とやら、やってもいないうちから結果を決めつけるのはどうなんだい?」

 

 アエスは声がする方向へと顔を向けると、睨んでいるヘーゼル色の瞳に気が付いた。すると、彼は顎に手をやり眉をひそめ、やや訝しげな顔をした。

 

「……そこな娘、初めての顔のはずだが、どこかであったような、見覚えのある顔だな。名はなんと?」  

「レイア・ガルブレイス。失礼だが、私はあんたの顔は知らないね」

 

 王の問いに対し、レイアは切って捨てるように言い放った。しばらく記憶をたどっていたアエスだったが、何かを思い出したように目を大きく見開いた。

  

「ああ、思い出した。お前は……あの時の娘だな。もうそんなに経ったか」

「?」

「いくら髪の色を変えても、風貌や雰囲気を変えてもその瞳を見れば分かる。お前の瞳はエオンの生き写しだからな。その面立ちは母親そっくりだ」

 

 アエスから突然聞き覚えのない名前を言われ、レイアは首を傾げた。

  

「エオン? それは誰だ?」 

「知らぬのか? 聞いたことも?」

「ああ。初めて聞く名だ」

 

 すると、再びフハハハハ! と、アエスは高笑いをした。レイアは頭に血がのぼってカッとなり言い返す。

 

「一体何がおかしい! いきなり笑うなんて失礼ではないか!!」

「いやあ、これは滑稽だ。いや、憐れむべきと言うべきか。可哀想にのうエオンよ……。そなたは本当に“エオン”という名に全く聞き覚えがないのか!?」

「知らん。全く分からん」 

「ダムノニア王国最後の王の名前だ。エオン・ロアン。お前の父親の名前だ」

 

 いきなり何のことか分からず、レイアは一瞬あ然となったが、アエスをぎろりと睨み付けた。声に苛立ちの色が混じり、今にも噛みつきそうな形相だ。

 

「突然何を言う!? 貴様……! 嘘をつくのも大概にしろ!! 私の両親はコルアイヌに住んでいた平民で、とうの昔に病死したと聞いている!!」 

 

 アエスは再びフハハハ!! と高笑いし、目尻に溜まる涙を豪奢な指輪だらけの指ですくいとった。

 

「……ああ、愉快だ愉快だ……腹の筋が痛くて堪らぬ!! 実の愛娘に存在を忘れられるとは、エオンは憐れな父親だのう!! その様子だと、産みの母であるコンスタンスも忘れられていると見える!!」

 

 アエスの言葉が更にレイアの神経を逆撫でする。 

 

「何故あんたがそう決めつける? そう言うのなら、あんたは本当のことを知っているとでも言うのか!?」

「勿論だ。エオンとコンスタンスを殺したのはこの儂だからのう」

「……何だって……!!」

「ロアン家の者を皆殺しにするよう、手下に命令したはずだったが……ここで再び相まみえるとは思わなかったぞジャンヌ」

「え……?」

 

 そこで、レイアの表情から怒気が一気に抜け去った。それとともに、嫌なあの感覚が背中から這い上がってくる。長年彼女を苦しめている、脳の奥底からじわりじわりと攻めてくる痛みだ。ごくりと唾を飲み込み、その痛みをぐっと堪えた。

 

 (ジャンヌ? ……どこかで聞いたことのある名前……確か……十年以上前に行方不明になった……王女の名前……!? )

   

「ジャンヌ・ロアン。それがお前の真の名だ」

「一体何を言っている? 私はレイアだ。ジャンヌという名ではない!!」

「ロアン家の出自は隠せない。お前の身体に翼の形をした痣があるはずだ。それが何よりの証拠!!」

「!!」

 

 レイアは自分の右脇腹に痣があるのをまざまざと思い出した。聞いていたセレナとアーサーもはっとなった。雷に打たれたかのような衝撃が身体を一気に刺し貫いてゆく。

 小さい頃から翼のような形をした右脇にある痣。アエスが言うには、その痣がロアン家の血をひく者であれば、身体のどこかに現れる証拠だと言うのだ。

 

 (そんな……! あれは……偶然ではなかったのか……!? ) 

 

 まさか自分の実の親を殺した相手が、アリオンの両親の生命を奪った相手と同一人物だとは思わなかった。その衝撃がレイアの全身を駆け巡る。 

  

 今まで以上に耐えかねる痛みが襲いかかって来たが、こめかみを押さえ、歯を食いしばることでレイアは何とか堪えた。だが、早鐘を打つように痛みは増し、流れ落ちる冷や汗で上着が湿り気を帯びてくる。額から流れ落ち、顎から玉となった汗がしたたり落ちてゆく。痛みと驚愕の事実に襲われ、頭の整理が追い付かない。レイアの異変に気付いたアリオンがレイアの傍に駆け寄った。  

 

「……それじゃあ、今まで生きてきた私は一体何なんだ!?」

「レイア! 落ち着くんだ!」

「これが落ち着いていられるか! あいつの言うことが真実であるならば、今まで‘’レイア・ガルブレイス‘’として生きてきた時間は、全て偽物だったということだろう!?」

「レイア!」

「私は……私は……一体……何なんだ! 何者なんだ……!!」

 

 そんな彼女をアリオンは黙って後ろから抱き寄せた。汗で頭部が雨に打たれたかのように濡れ、すっかり冷たくなっている。彼女の身体が小刻みに震えているのを感じ、温もりを与えるかのように抱く腕に力を込めた。それに気付いたレイアは慌ててアリオンから身を剥がそうともがいた。

 

「離せよ! 離せったら!!」 

「……離さない。レイア。混乱する気持ちは良く分かるが、一先ず聞いてくれ。君は、君だ。名前が‘’レイア・ガルブレイス‘’だろうと‘’ジャンヌ・ロアン‘’だろうと、君が君であることに変わりはない。君は生きているんだ。名を変えているだけで、ジャンヌとしても生きているのだから!!」

「……」

 

 ようやくレイアの身体の震えが止まった。雪が溶けるように痛みが一気にひいてゆく。痛みから開放され安堵の吐息をつき、後ろを振り返りゆっくりと見上げてみると、悲痛な面持ちの王子の顔があった。金茶色の瞳はどこか潤んでいて、血走っている。アリオンは汗に濡れて張り付いた濃い茶色い前髪を、指でそっと避けてやった。レイアが口を開いて何か言おうとしたその時、アエスのハスキーがかった渋味のある声が、その場の空気を一気に引き裂いた。 

 

「しかし、あの時子供だったお前がここまで美女に育つとはな。気の強い女は好みだ。抱き心地の良さそうな女もな。何なら儂の妃になっても良いぞ。但し正妻がいるゆえ二番目だがな。そんな薄汚い格好などせず、痛い思いなどせず、昼夜問わず毎日楽しく過ごせるぞ。本来ならあるはずだった王族としての贅沢な暮らしが、儂の元にはあるのだからな!」 

「そんなもの……私は望んでいない!」

 

 喉笛に食らいつくのではないかという位の勢いでレイアは言い放つ。

 

「そうか……これでも儂は情けをかけてやったつもりだがな……仕方がない。お前もここから生きては出さぬぞ」

「……そうはさせない。アエス王、僕が相手だ」  

 

 アエスはレイアからアリオンへと視線を向けた。まるで見下すような瞳だ。王子は煙水晶の瞳を睨み付け、腕輪のある左の握り拳をぐっと握り締める。

 

「ほう。今のお前がこの儂に勝てるとでも?」

「……敵わずとも、一矢は報いるつもりだ」 

 

 アリオンはレイアを解放し、彼女を背にして立ち、腕輪のある左の握り拳をぐっと握り締め、すらりと剣を鞘から引き抜いた。

  

「ほう。この儂に剣を向ける気か。良いだろう。その腕輪の作り主が儂だということを今ここで思い知らせてやるわ……」

 

 アエスは右手を突き出し、手のひらを上に向け、何やらブツブツと呪文を唱えた。煙水晶の瞳が真っ黒になったその瞬間、アリオンが目を大きく見開いた。

  

「あああああああああああっっっ!!!!」

「アリオンっ!!」

 

 数ヶ月前に崖から落ちたレイアを助けるために“力”を使った時の倍以上の痛みがアリオンを襲ったのだ。

 アリオンは剣を落とし、左胸を押さえながら膝立ちになった。

 心臓を握り潰そうとする力がどんどん強くなってゆく。

 カシャンと音を立てて、手から滑り落ちた剣が床に転がった。

 

「あああああああああああっっっ!!!!」

 

 アリオンは真っ直ぐに立つことすらままならず、倒れずに済んでるだけマシな状態だった。

 痛みのあまり、呼吸が上手く出来ない。

 白皙の色が更に白くなった額に汗が浮き出し、宝石のように輝いている。

 胸を押さえてもがき苦しむ王子を見て、アエスは勝ち誇ったかのように高笑いした。

   

「フハハハ!! 儂を憎みたければ憎むが良いぞ! 所詮は悪あがきというもの。己の非力さを憎み苦しみ、泣き叫ぶが良い!!」

 

 王は腰に帯びている自分の剣を鞘からすらりと抜いた。その剣は外からの光を受け、ギラリと輝いている。その剣身を舌でべろりと舐めた。

  

「一度は見逃したが、その恩を忘れて刃向かうとはな。そんなに死にたければ死ねばいい!!」

 

 王は剣を振りかざし、身動きがとれずにいるアリオンの左胸を目掛けて突き刺そうとした。耐えきれなくなったレイアは急いで立ち上がる。

 

 (駄目だ!! それだけは絶対に許せない……!! )

 

 衣服が擦れる音を聞き、レイアの動きを察知したアリオンは痛みを堪え、絞り出すような声で彼女を制止しようと必死に叫んだ。

 

「……レイア……駄目だ……こちらに来ては……いけない!!」

「貴様! アリオンに何をする!!」

 

 レイアは身を踊らせ、アリオンを思い切り突き飛ばした。するとアエスの剣先が、誘われるかのように彼女の左胸を背中から真っ直ぐに刺し貫き、周囲に血が飛び散った。

 

 剣先からぼとぼとと血がしたたり落ちてゆく。レイアは全身に走る激痛を堪え、ありったけの力を振り絞り、背後にいる男の鳩尾を狙って肘鉄を食らわせた。

 

「何……!?」 

「これ以上……私から大切な者を奪うなぁああっっ!!」

 

 予想外の反撃をまともに食らったアエスは剣を握ったまま背後にふき飛ばされた。レイアの渾身の一撃だった。 

 

「ぐあっ!!」

「く……あ……っ!!」

 

 身体から剣が抜けてゆく生々しい感触にレイアは苦悶を浮かべた。左胸から迸る真っ赤な血潮が大きな弧を描く。髪留めが切れて、濃い茶色の長い髪が扇のように広がった。

 

「レイア――ッ!!!!」


 アリオンの悲痛な叫び声が室内に響き渡った。

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