第四十三話 突破
セレナは赤褐色の髪を振り乱しながら、床に座り込んだままのアーサーの元に駆け寄った。必死の形相をしている彼女を彼は愛おしげに見上げた。
「アーサー!! ねぇ、身体はもう大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ。君の傷薬とアリオンの術で命拾いした。心配かけてすまなかったな」
「あなたは本当にもう……! 私を庇うために無茶するんだから!!」
彼女は膝立ちで大きな瞳に涙を浮かべている。普段は雲一つない晴れ渡る空のような瞳。その瞳が、不安の涙で揺れている。
(俺なんかのために、そんなに泣かないでくれ……セレナ)
それを痛そうに見つめていたアーサーは、動かせる右手でセレナの頭をそっとなでつつ、大きなため息を一つついた。
「俺はこういう人間だ。君を悲しませる原因を常に持ち歩いているような男だ。本当は君の涙を見るのは正直つらくてたまらない……」
「……え……?」
アーサーは右手をそのまま下ろし、セレナの涙を人差し指で優しく拭うと、空色の瞳の少女は頬をさっと赤く染めた。
「俺は君の笑顔が好きなんだ。いつも笑っていて欲しい。だけど、俺の傍にいては涙に濡れる機会が多くなってしまう。……だから、君は俺の傍から離れるべきだと思った」
「……」
「だが、君は俺の傍から離れると、もっと泣いてしまうだろうな」
「……アーサー……?」
「良いのか? 俺みたいな男で」
セレナは大きく首を縦に振り、感極まってアーサーの首に腕を回して抱きついた。そんな彼女をアーサーは口元に微笑みを浮かべてつつ、大きな右腕で優しく抱き寄せた。
「あなたが良いって、この前言ったじゃない! 私はあなたじゃなきゃだめだって……!」
涙声で訴える少女の頭を、彼は優しく撫で続けた。彼女は小鳥のように身体を小刻みに震えている。
「分かった。君がそう望むなら、この一件が無事に終わっても、これまで通り一緒に暮らそう」
「アーサー……!! 嬉しい!!」
心配の涙の後から喜びの涙がどんどん溢れてくる。そんな彼女の頭や髪に、アーサーは優しく口付けを落とした。
「セレナ、言い忘れていたが君は良くやった。普段戦闘と無縁な君にしては上出来だった」
「ありがとう。でもそれは先生が良いからよ」
「まだまだ先はあるが、頑張らないとな」
「でもアーサーは左腕、大丈夫なの?」
「俺か……そうだな。利き腕をやられなかったのが不幸中の幸いだが、身体の動きは鈍いし、全力が出せない。だが、君がいるから何とかなるだろう」
「アーサーったら……」
周囲の温度が上がっている二人を背にしたアリオンは、心の中で安堵のため息をつきつつ、真剣な眼差しで前方を見守っていた。彼の視線の先には、濃い茶色の髪の少女が剣を振り回している姿があった。
⚔ ⚔ ⚔
一方、レイアはアーサーに毒矢を浴びせた男を相手にしていた。相手をするのが連続立て続けで二人目ともなると、身体の負担と疲労がその分重くなる。だがそれを感じさせない位、彼女の身体の動きとキレは滑らかだった。
右、左、上、下、右上、右下、左上、左下、
八矢もの鋼鉄の矢がレイアを目掛けて次々と飛んでくると、それに対して
右、左、上、下、右上、右下、左上、左下、
と彼女は剣を瞬時に振るい、自分に向かって飛んでくる矢をことごとくはたき落とした。
金属音が鳴り響く中でビリッと何かが破れた音がしたと思ったら、左太腿辺りの布地が一部裂けているのに気付いた。
見たところ矢傷はなさそうである。
あと数ミリほどズレていたらレイアまで毒に侵されるところであった。
それを考えると、背中に冷たい汗がじっとりと流れ落ちるのを感じる。
(ふう、危ない危ない! ぎりぎりセーフというやつかな? )
何とかして自分の目の前にいる男の動きを早く止めねばならない。
どうやって勝機を見出すかが要だ。
ケホケホと軽く咳き込みながら、レイアは少し前かがみになった。
すると、やや余裕ぶった調子の声が耳に入ってきた。
「女、ひょっとしてもう降参か?」
「……いや。少し立ち止まっているだけだ」
「だがそれが命取りだ! 喰らえ!!」
頭を剃りあげた男は再び右手を前に突き出した。
袖口からギラリと矢じりの尖端がきらめいている。
それがレイアの眉間を狙い、焦点を定めてきた。
そこで、彼女はふと思い出した。
目の前にいる男が、先ほど懐から補充用の矢を取り出していたのを。
(矢筒はそこにあるか。ならば丁度良い)
「はあっ!!」
レイアは頭を剃りあげた男の右手首を狙って、剣を振り下ろした。そうやって焦点をずらさせた後、そのまま懐の辺りを狙って剣を思いっきり突き出した。剣先が相手のみぞおちに深々と食い込むと、バキバキッと湿気を帯びた、何かがへし折れる音が響き渡った。
「ぐお……っ!?」
衝撃で吹き飛んだ身体は床に強く叩きつけられた。頭を剃りあげた男は白目をむき、口から泡を吹いている。懐から蜘蛛の巣状にひびが入った矢筒が、力なく顔を出していた。
「……ふうっ! 何とかなったか……あれ……?」
レイアはふらりとよろめくと、後ろから自分の肩を抱く大きな手の温もりがあった。背後に温かい気配があるのを感じ、そこで初めて自分の身体が震えていたのに気付いた。
「大丈夫か? レイア」
「ああ。ありがとう。ちょっとふらついただけだ。スリーブアローなんて、見るのは初めてだったし、正直ヒヤヒヤだったよ……」
「あれは音がしないから厄介だな。何かあればすぐ動こうと思ったが、その必要はなかったようだ」
「あんたが見ててくれたのは分かったよ。お陰で勝機を掴めたようなものだ。ありがとう」
部屋中の空気が緩んだと思ったら、突然扉が軋む音がして、光が入り込んできた。黒い人影が床に浮かび上がってみえる。
「……五人共倒したようだな。壁の者も全て……か」
聞き覚えのある低い声が部屋中に響き渡った。レイア達がその声が聞こえてきた方向へと顔を向けると、今まで閉まっていた扉が開いていた。そこに炎のような形をした襟飾りのついた黒い外套を羽織った男が一人立っている。艷やかな黒髪、深緑の瞳を持ち、ギリシャ彫刻のように彫りの深い、端正な顔立ちをした精悍な美丈夫だ。その表情には代わらず感情はなかった。
「ゲノル!」
「陛下が待ちくたびれておられる。私が案内するからついて来い」
外套をひるがえし、颯爽と立ち去るカンペルロ第一王子の後を、四人は急いでついて行った。
⚔ ⚔ ⚔
コツコツと硬い足音だけが城内を響き渡った。
石造りの階段を上へと登りながら、アリオンは自分達を誘導する為に前を行くゲノルに尋ねた。
「ひょっとして、君は何か企んでないか?」
「私は陛下より誘導係を任せられた。今のところ、お前達に一切の手出しをするなと命ぜられている。襲う気は毛頭ないゆえ、安心せよ」
ゲノルはそれ以上口を開くことはなかった。まるで感情のない、文字通りアエスの操り人形のようだ。
たどり着いた先に扉が見えた。赤色だった。
「着いたぞ」
ゲノルがノックをすると、中から声が聞こえたが、何を言っているのか良く聞こえなかった。部屋の中いる者が入れと言っていたようで、ゲノルは扉を開けた。
ギイィイイイと軋む音が響き渡り、部屋の中がちらと見えた。ひんやりとした空気があふれてきてどことなく、薄暗い感じだ。一度入ると生きて出てこられないような、そんな予感をさせる位不気味だった。ゲノルに誘導されるまま、レイア達は部屋の中に入って行った。
全ての壁にろうそくがかけてあったが、その部屋はとても薄暗かった。レイア達が一歩ずつ入り込んでいくと、一人の偉丈夫が立っていた。彼女達がたどり着くのを待ち構えていたようだ。
彼は自分以外の足音に気付くと、扉のある入り口に向かって顔を上げた。相手の存在を目にすると、髭に覆われた厚めの唇をにたりと引き上げた。
「……到頭来たか。奴らを全て倒したか。それはそれはご苦労だったな」
ハスキーがかった渋味のある声が部屋中に響き渡る。ただ聞いているだけなら聴き惚れてしまうような美声のはずだが、誰の声かが分かるだけに油断ならない。
アエスは奥から部屋の中央に向かった。傍に控えていた部下達に命じ、カーテンを全て開けさせると、一気に部屋が明るくなった。太陽を直視したのではないかと思える眩しさに、レイア達一同は目を腕や手で覆った。部下達はろうそくを一つずつ消していった後、しずしずと部屋を出ていった。扉にはゲノルが立ち塞がっており、この部屋から逃げ出すことは不可能と知れた。
少しして腕や手をゆっくりと外すと、壮大な景観が目の前に飛び込んで来た。窓が壁になっているのではないかと思える程に大きな窓が壁には設けられており、そこから見える景色は絶景だった。山の上に建てられた城である上、ここはきっと城の最上階なのであろう。カンペルロ王国の街並みがずらりと並んでいる。そしてその傍に広がる大海原も見えた。どうやら、山の裏は海へと繋がる絶壁があるようだ。こんな状況でなければここは観光に向いている場所となるだろう。レイアはそう感じた。
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