第329話 詰問状

今川氏真が帰ったあと、上杉晴景は縁側に座り、しばらく白砂の枯山水の庭を見つめていた。

数羽の雀達が白砂の上を飛び回っている。

そこに大阪上杉屋敷に止まっていた景虎がやって来た。

「兄上」

「景虎、どうした」

「奥州平定は如何されます。すぐにでも兵を出すべきではありませぬか」

晴景に詰め寄る景虎。

「すぐにはできんだろう。兵を少し休ませねばならん」

「此度の六角の騒動は、伊達の企みがあるのは間違いないことです。此度の騒動と義元殿の敵討ちをするべきです。上杉と今川だけでも可能でしょう」

「景虎。儂とてそうしたい。儂が昔のように上杉家を率いるだけの存在であれば、間違いなく上杉の全軍を動かしただろう。だが、今の儂は上様を支える幕府管領職だ。幕府管領職とは実に不自由なものだ。時には個人の気持ちを捨て去らねばならん。怨讐の気持ちがあれども、それを心の奥底に押し込め、何事も無く政を行わねばならん。実に不自由だ」

寂しそうな表情をする上杉晴景。

「兄上・・・」

「義元殿に力に見合う責任を持てと諭された儂が、個人の怨讐の気持ちによる敵討で軍勢を動かしてはならん。天下を平定し、戦の無い世にする大義名分に立って堂々と行かねばならん。上杉と今川で軍勢を出せば、確かにそれだけで簡単に片がつくであろう。だが、それでは天下平定ではなく、上杉と今川による単なる敵討ちにすぎん。それでは真の天下平定では無い。敵討で兵を動かせば次に新たな火種を作ることになるだろう」

「ですがそれでは」

「多くの大名が幕府のもとで集結して幕府の指示で動くことが重要なのだ。天下にその堂々たる姿を示してこその天下平定だ」

「堂々とですか・・・」

「証拠となる書状は全て燃やされ、伊達との窓口になったもの達は全て消されている。物的な証拠は何も無い」

上杉晴景は立ち上がり、白砂の庭を少し歩くと驚いた雀たちが飛び去っていく。

そんな上杉晴景の背中に景虎は声をかける。

「このままになされるのですか」

「そんなことはない。既に正式な使者を奥州の全ての大名に送った。今後戦を起こすことは禁止であり、戦を起こせば討伐軍を送る。他領の境界を侵すことは行えば討伐対象であることを通達。幕府に従うなら各大名家当主は上洛せよと命じた。そして、伊達晴宗には詰問状を送りつけた」

「詰問状ですか」

「上洛して此度の紀州と六角家の騒動に対する申し開きをせよ命じている」

「応じますか」

「応じなければ、それで幕府に逆らったことになり大義名分が立つであろう。それまでは、兵をしっかり休ませ、紀州を幕府領としてしっかり管理して取り込んで、体制を固めることが重要だ」

「兄上は幕府管領として大局からのご判断なのですね。承知いたしました。ただ、奥州平定の時はこの景虎が先陣を賜りたくお願いいたします」

「分かった。その時は頼むぞ」




奥州米沢城

伊達晴宗の下に幕府から詰問状が送りつけられていた。

書状に目を通した晴宗は、顔を真っ赤にして怒りを見せていた。

「儂に上洛して申し開きをせよだと」

怒りのあまり書状を握りしめている。

「殿。ここは上洛して申し開きをするしか無いかと思います。我らが六角家と紀州国衆に手を回した証拠は、忍びの者達に命じて全て処分しております。我らはひたすら知らぬ存ぜぬで通すしかありません」

重臣の中野宗時は、主君晴宗をどうにかして上洛させようとしていた。

「我らの周囲はすでに敵だらけだ。今川領を避けて上洛するにしても、広大な上杉領を通って上洛せねばなん。幕府管領上杉晴景は、今川義元討ち死にの件で怒り心頭と聞いている。間違いなく上洛途中を狙われるぞ」

「殿。ですが幕命を無視することは討伐の大義名分を与えてしまいます」

「ならば、中野。お主が儂の名代として上洛せよ」

「殿」

「儂は体調を崩しているとでも言っておけ、時間を稼いで迎え撃つ準備をする」

中野宗時の顔色が変わる。

「殿。本気でございますか。日本中の大名を敵に回すおつもりですか」

「今の幕府に心底従っているものは少ないはず。ならば勝機はあるはずだ」

「お待ちください」

「中野。上洛の件は申しつけたぞ」

伊達晴宗は、立ち上がるとそのまま城の奥へと去っていった。

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