第321話 悪しき囁き
奥州で伊達晴宗が鬱屈した想いに囚われている頃、近江国にも幕府に対して鬱々とした思いを抱いている者たちがいた。
近江国観音寺城
六角義賢は、六角家家督を嫡男義治に譲り隠居し、
隠居と言っても依然として六角家の実権を握り続け隠然たる力を持っていた。
「父上。九州・四国と全て幕府の軍門に降りましたな」
嫡男六角義治の言葉に渋い表情を浮かべる承禎であった。
「ここまで、あっさりと幕府が勝つとは思わなんだ」
「九州平定軍は20万もの大軍。負ける要素がございません」
「最終的に幕府が勝つとは思っていったが、勝つまでにもっともっと苦しむかと見ていた。しかし、思いの外あっさりと終わってしまったな」
「九州に送ったもの達の話では、敵方に反撃らしい反撃を一切許さずに敵を圧倒。九州の大名達の勢力を削り落とした戦は見事であったそうでございます。九州にも幕府の広大な拠点を手に入れ、西国で逆らう大名はいないでしょう。これでますます幕府管領殿の権威が強まり、誰も逆らえるものがいなくなります」
「クッ・・少し前までは儂と同格であったはずが、いつの間にやら後塵を拝することになるとは。今や幕府は奴の掌の上。上様の奴に対する信頼は揺るぎないものだ。このままでは、幕府の中でますます我らは無用の存在と化してしまう」
「ですが、残るは紀州と奥州のみ。叡山も本願寺も幕府に降っております。流石にここからひっくり返すような手立ては、難しいのではありませんか」
「細川晴元殿が上杉晴景に討たれてしまったことが全ての誤算の始まり。やはりあの時点で無理してでも上杉晴景を討つべきであった」
「晴元叔父上が生きておれば、父上と二人で幕府を思いのままにできたでしょうが、もはやそれはすぎた話。昔を懐かしんでも何も変わりませんよ」
承禎は、懐から二通の書状を出してきた。
「これは」
「紀州根来衆と奥州伊達家からだ」
怪訝な表情をする義治。
「根来衆と伊達家ですと、まさか、父上は・・」
「その書状には、全てをひっくり返すことができる可能性がある」
「父上。今の幕府に立ち向かう姿は、巨大な津波に刀1本で立ち向かう様なもの。私は見ていない。聞いていない。全ては夢の中ということにいたします。ですので父上も全てのわだかまりを捨て、全てをお忘れください。それがこの六角家を守ることにつながります。この書状は、私から幕府に渡して、逆心なき姿勢を見せることにいたします」
「もはや遅い・・遅いのだ」
「遅い・・?それは一体」
「全ての謀は動き出し始めた」
承禎の言葉に義治の顔色が変わる。
「何ですと・・父上!正気ですか、六角家を潰す気ですか!!」
義治は、承禎に対してにじり寄りながら思わず大きな声をあげる。
そこに重臣である後藤賢豊ら六角家家臣達が飛び込んできた。
「如何されました」
義治が父承禎につかみ掛からんとしているところであった。
「御免」
後藤賢豊は、六角義治を羽交締めにして取り押さえる。
「義治の乱心である。座敷牢に入れよ」
「後藤。離せ。乱心は父上の方だ。お前達、六角家を潰す気か」
「義治の言葉に耳を貸す必要はない。すぐに連れて行け」
「六角家の当主は儂だ。儂の命を聞け、離せ。乱心は父上だ。後藤、離せ、離さんか、このままでは六角家が滅ぶ、滅んでしまうぞ」
六角義治は、引きずられように部屋から連れ出され、座敷牢へと連れていかれた。
「もはや遅いのだ。悪しき心の囁きに身を委ねた儂には、引き返す道はもはや無いのだ。ここから先は、意地と誇りをかけた戦いだ。お前が座敷牢に閉じ込められているのなら、お前は助かる可能性がある。お前が居れば六角は生き残る」
遠ざかる義治の声を聞きながら承禎は一人呟いていた。
しばらくすると後藤賢豊が戻ってきた。
「承禎様。これで本当によろしかったのですか」
「もはや引き返すことはできん」
「蒲生殿は如何します。必ずや反対されるはず」
「蒲生にはギリギリまで伏せた状態にする。もし邪魔するなら蒲生も始末するしかあるまい」
「承禎様。まだ、何事は起きておりません。今のうちならば、まだ引き返せます」
「言ったはず。もはや引き返せん。既に始まっているのだ」
「後悔されることになるかもしれませんよ」
「それはそれで仕方なかろう。敵がいかに巨大であろうと、武士として逃げる訳にはいかんだろう。これは、儂の武士としての意地をかけた戦いでもある」
「承知いたしました」
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