第286話 強欲なる者
永禄元年(1558年) 3月
神戸津は防波堤が完成したお陰で,多くの船が交易のために停泊する有数の交易港として栄え始めた。
摂津の淀川下流域の改修工事は順調に進み,多くの商人が店を出し、日に日に巨大な商都となり始めていた。
淀川の水路を多くの船が行き交うようになっている。
京の都室町第では,将軍足利義輝と幕府管領上杉晴景の前に1人の人物が平伏していた。
上杉晴景がその男に声をかける。
「豊後国からよく参られた」
平伏しているのは豊後国守護である
「豊後国守護大友家家老吉岡長増と申します」
「それで,わざわざ大友家の家老が京の都まで何のために来られたのか」
「先立って書状にてお願いしております件でございます。主である大友義鎮は幕府の強い崇敬の念を持っております。幕府に対してできる限りの協力を致したいと考えております」
大友義鎮は,大内家から奪い取った‘’日本国王‘’の印を使い勝手に明との貢朝交易をしていた。
つまり,明に対して自分が日本国王だと言っている訳だ。
さらに南蛮人との交易を行い,南蛮商人達が日本人を奴隷として買い取っていることを黙認し,自らはキリスト教に改宗して,宣教師達に土地を渡すこともしていた。
そして,交易で得た莫大な利益を見かえりに幕府に多くのものを要求してきていた。
筑前国守護の地位。
九州探題の地位。
周防と長門の守護の地位と攻め込む権利。
滅んだ大内家の家督を誰に継がせるかを大友義鎮自らが決める権利。
昨年7月に惣無事令を無視して筑後国を攻め,秋月文種を討ち筑後国を手に入れていた。
将軍足利義輝は,何も言わず無言のまま管領上杉晴景の方を見る。
上杉晴景は軽く頷いて吉岡長増に声をかける。
「吉岡殿」
「はっ」
「大友家の要求は一切認めることはできん」
余裕のある表情であった吉岡長増の表情が変わる。
「なぜでございます。必要なら銭は幾らでも!」
「お主達に将軍家と幕府に崇敬の念などあるまい。銭でどうとでも動かせると考えているのであろう」
「そのようなことは」
「ならば聞こう。惣無事令をなぜ無視した。南蛮人の商人達が領民を奴隷として買うことをなぜ放っておく」
「な・・何のことで・・」
「筑前国秋月家を滅ぼしたことはどう説明する」
「攻め込まれたから攻め滅ぼしたまで」
「攻めこまれただと,よくもそのような戯言を言う。惣無事令は自衛の戦いのみと書いてあったはず。それ以外は幕府の許可がいる」
「そ・それは」
「南蛮人の商人たちが領民を奴隷として買い,異国に連れて行くことをなぜ放置している。禁止だと通達したはず」
「領民なんぞ,幾らでもおりましょう。多少異国に売られたぐらいで何が問題なのです。口減らしができて領民も助かるでしょう」
「それが本音か!上に立つものがそのような考えなら,領民は地獄にいると同じだ」
「・・・・・」
「最初は少ないだろうが,だがそれを放置すれば年を追うごとに増えていき,やがて数カ国の領民に匹敵するほどの人数が売られることになる。売られたもの達は,一生人間扱いされず牛や馬の如く扱われ,異国の地で帰ることもできず劣悪な環境で死んでいくのだぞ。それが多少ならかまわんのか。ならば,お主の身内全員を南蛮人に,売ってみたらどうだ」
3月にもかかわらず吉岡長増の顔に玉のような汗が浮かんでいる。
「さらに,大友義鎮は九州に伴天連の国を作ろうと考えているのではないか」
「えっ・・そのようなことは」
「ほぉ〜無いとでもいうつもりか。勝手に日本国王を名乗り交易をして,伴天連の宣教師に土地を与えて自由に布教させ,仏教を擁護の家臣達を討ち,領民が南蛮人に売られることを放っておき,惣無事令を無視。銭で地位と権力を買おうとしている。これのどこに崇敬の念があるか,聞かせてくれないか」
「決して,上様と幕府を侮っているようなことはございません」
「今この京の都に,東国と畿内から続々と兵が集結してきている。何のためだと思う」
「兵が集結。な・・なんのことで・・」
「集まってきているのは,幕府が号令をかけた九州平定の軍勢である。これに山陰道,山陽道の兵を加えたら20万の軍勢になるな」
「九州平定の軍勢,20万!」
「我らを舐めるのも大概せよ。お主は分かっているのか,今の将軍家の直轄領の広さを,将軍家の財力を,将軍家の力を,今の将軍家と幕府は,昔とは別物だ」
「別物?」
「お主達の頭の中は,弱かった昔の幕府のまま。だからこのような過大な要求を平然とするのだ。他家の後継を決める権利を寄越せ,他の国を攻めても良い権利を寄越せ,のぼせ上がるのも大概にしろ。我らの言葉は以上だ。さっさと帰るがいい」
将軍足利義輝と管領上杉晴景が立ち上がる。
「上様,管領様お待ちください」
将軍足利義輝が吉岡長増を見る。
「朝敵・幕府御敵を討ち滅ぼしてくれよう。豊後国で楽しみに待っているがいい」
それだけ呟くと2人は部屋を出ていった。
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