第278話 恐ろしくも頼もしき者

淀川下流域の湿地地帯の工事と築城工事は,摂津の領民達を多く雇い入れ進められている。

領民達には支払われる銭は,他の普請にて支払われるものよりも好条件であり,多くの領民がやってきていた。

さらにその領民の銭を目当てで多くの商人が露天の店を構え始めている。

そんな領民達をできるだけ一揆に加わらせないようにするために,彼らの生活を豊かにするように手が打たれ始めている。

支払われる銭で普段手に入れることができないようなもの,美味い酒,砂糖菓子,反物,多くの食材が割安で売り出されている。

領民達は稼いだ銭でそれらを買い求め家に持ち帰る。

そして家族で日々その恩恵に浸り,今までよりも良い暮らしを覚えるようになっていく。

人は豊かさを知ればその豊かさを,簡単には捨てることはできなくなる。

「こんな綺麗な反物がこんなに安いのかい。かかあに買って帰るとするか」

「こいつは美味い酒だ。よし,もっと買って帰ろう」

「砂糖菓子・・こんなに甘いのか。本当にこの値段で買えるのかよ」

「この猪肉は美味いな。味噌につけてあるのかよ。しかもこんなに安いのか」

領民達は稼いだ銭を握りしめて露天の店で買い物に夢中になっている。

そんな領民達に対してさらに別の手が打たれている。

本願寺以外の僧侶達を旅の僧侶にしたて,工事に集まった領民のところに送り込み辻説法させていた。本願寺の教えの矛盾を突くようにさせて信仰に疑念を持たせ,信仰が揺らぐようにするためである。

すぐに変わらなくても,領民達の心の中に疑念の種を植え,一揆への疑念を感じさせれば十分であった。疑念の種は,豊かな生活の中で自然と芽吹いていくからである。

さらに,領民達に別の噂も流していた。

「この工事は将軍様の肝入りらしいぞ」

「聞いた話だと,何でもこの工事を邪魔したら天子様の敵(朝敵)になるらしいぞ」

「寺もかなりピリピリしているみたいだぜ」

「将軍様は儂らのことをかなり気にかけて貰えているらしいぞ。それで待遇がいいらしい」

「寺が武器を集め始めてるらしいぞ」


工事現場近隣では簡単な商店街のような有様になってきていた。

ここは幕府が管理している土地である以上は許可が必要になる。

許可を得た商人が露天を次々に出してきている。

そんな商店街を三好長慶と慶興は連れ立って歩いていた。

「父上,晴景様はこのような手立てをどうやって思いつくのでしょう」

「儂にも分からん。側で驚いているくらいだ」

「普通なら力で抑えるか,年貢の増減程度しか思いつかないと思うのですが」

「まさか領民に豊かさを教え込み,敵対したらその豊かさを失うことを教え込むとは想像もできん手段だ」

「商人達にも神戸津をチラつかせながら,敵対したら神戸津で商売ができない。大発展の可能性を見せている神戸津に組み入れてもらうためには,商人達も従う他ないでしょう」

「毛利元就殿を謀神と呼ぶものがいるが,儂からしたら晴景様は,それを上回る謀神だ」

「謀神ですか」

「戦に関して武力以外に,銭の力と商売・情報・そして人の心を操る。それらを自在に組み合わせて戦をする。普通そんなことはできん。敵の位置を探り,せいぜい噂を利用するまでだ」

「それを聞くとまさに謀神ですね」

「恐ろしくも頼もしいものよ」

三好長慶親子は,ものが溢れ,人が溢れる仮設商店街を歩いていく。



本願寺では,内部を二分する議論が行われていた。

一揆を起こして,目の前で城を建て水路工事を推し進める幕府を追い払うべきとする主張。

幕府に従いこれ以上一揆を起こすべきではないとする主張。

議論は平行線のまま勢力を完全に二分する状態となっていた。

既にどちらを選ぼうと分裂しかねない事態となっている。

本願寺11世顕如はまだ14歳。

祖母である鎮永如をはじめとする周囲の助言を必要としていた。

議論の場では相変わらず皆好きな事を言い合い収集がつかないでいる。

七里頼周しちりよりちか下間頼照しもまらいしょうはこの状態が続くことを危惧していた。

主戦派が暴走でもしたら取り返しの付かないことになる。

畿内では幕府の力は昔とは比べ物にならぬほど強くなっていて,朝廷も幕府の意向を無視できない。

「頼照」

「はっ」

「どう考えている」

「幕府と事を構えるのは得策ではありません。ここで一揆を起こせば朝廷の門跡への道がさらに遠のきます。幕府は我らを乱世の一因と考えているようです。既に多くの商人が我らに物を売らなくなってきております。特に武器の類は全く手に入りません。人を迂回して手にいてようとしても拒否されてしまいます。どうやら幕府からの指示が出ているようでございます」

「「「けしからん。我らの力を示せば変わるはずだ」」」

主戦派が一斉に声を荒げる。

「いつから我らは殺しを生業とするようになったのだ。仏に仕えるものが力を示せと言われるのか。幕府は間違いなく待ち構えている。我らが事を起こす事を待ち構えており,今回は我らを潰す好機と見ているようです。周辺大名は全て幕府に従っている。我に協力的なところは全て潰されてしまいました。ここで籠城戦となったとしてどれだけ保つのですか。陸だけでなく海も幕府の支配下にあります。どこから兵糧を補給するのです。今回のことで幕府で指揮を取るのは,幕府管領上杉晴景様。越中国と加賀国の一向一揆を破り支配下に組み込み,大和国の今井郷の一揆勢も組み伏せてしまった方です。打ち破った一向一揆の者達は,完全に上杉様に臣従の姿勢を見せており,我らの指示には従っていません」

「どうすればいいのだ」

力なく顕如が呟く。

「ここはじっと我慢されるしかございません。ここで幕府と争えば,間違いなく我らを朝敵に認定すると思われます」

「朝敵だと。まさか・・・」

「まさかではなく,本当にあり得ることです。朝敵とされたら門跡など,夢のまた夢となりましょう。ここは我慢されるべきと思います」

顕如は暫く目を瞑り考え込んでいた。目を開けると皆に指示を出す。

「ここは静かに時を待とう。まず朝廷の門跡となり,朝廷への影響力を高めるのが先だ。皆一揆を起こすな。良いな」

顕如の言葉に主戦派も黙るしかなく,その場で解散となった。

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