第275話 そして神戸

上杉晴景は,播磨国と摂津国の堺にある神戸津にきていた。

平安の時代は大輪田泊おおわだのとまりと呼ばれた港であり,承安三年(1173年)に平清盛が作らせた国際貿易港であった。

当時,荒波から港を守るために経ヶ島と呼ばれた日本初の人工島を作り,経ヶ島を防波堤とした港である。南東からの風と波を遮るために,湊の南東部を扇を広げたような形で囲うように作られた人工島が経ヶ島であった。

当時あまりの難工事で完成の目処が立たなく,貴族達から人柱をとの声が上がっていたが,平清盛は人柱の意見を拒否。埋め立てに使う石ひとつひとつに経文を書いて,それを人柱の代わりとした。その甲斐あってか順調に工事が進み出して島が完成した。経文を書いたことから経ヶ島と呼ばれたそうだ。

経ヶ島は塩槌山の土を削り埋め立てたため波の力に弱かったのか,今では跡形もなくなっていて,目の前の神戸津は平安時代の国際貿易港の面影は無かった。

乱世が始まるまでは遣明船の発着港としえ盛ていたが。応仁元年(1467年)に発生した応仁の乱で,戦乱に巻き込まれ焼き討ちされことをきっかけに衰退に拍車がかかって行ったのだ。

神戸津を再開発するために,上杉晴景は上杉家の土木工事に詳しい家臣たちを越後から呼び寄せ,三好長慶を引き連れて神戸津を視察していた。

「古の大輪田泊を復活させるのですか」

三好長慶の言葉に晴景は頷く。

「平安の昔はここが日本の玄関であったのだ。衰退して見る影もないが,間違いなくここは京の都と瀬戸内の玄関口の様なものだ。幕府の水軍の湊であると同時に交易港としての機能を持たせたいと考えている」

「交易であれば堺がございます。堺があれば交易に問題無いのではありませんか」

「確かに堺には儂と旧知の仲である天王寺屋もあり,交易港として大きな力を持っている。だが,堺の1人勝ちは良くない。放っておけばますます堺衆が力を持つ。あまりに大きな力となると手がつけられんことになる。先の将軍足利義晴様に対抗して,堺に拠点を置いた堺公方の例もある。勝手なことをさせないために,堺衆の力は少し削る必要がある。堺は年中交易ができるのだ。我が越後の直江津港も整備をして大陸と交易しているが冬は交易ができないことがほとんどだ。どうしてもその分が劣り,堺を抑え切ることができん」

「新たな交易港として神戸津を作り,堺衆の力を削ぎつつ,なおかつ交易をある程度幕府の管理下におくために,神戸津を整備して新たな交易港を作る訳ですな」

「その通りだ。幕府が港を押さえておくことで,四国平定と九州平定のために船を使って西に軍勢を送り出すことがやりやすくなるという側面もある。瀬田五郎右衛門」

上杉晴景は,土木工事責任者として呼び寄せた家臣の名を呼ぶ。

少し白髪混じりの老臣が前に出てくる。

「はっ,ここに」

「ここの港をどのようにして整備していく考えだ」

「その昔,風と波から港を守るために来迎寺沖合に経ヶ島を作った聞きました。おそらく埋めただけであったため,波で土がさらわれて島が消えたのでしょう。ならば風に強く,波に強いものにする必要がございます」

「具体的にはどうするのだ」

「できるだけ巨石を中心に使用して台形の堤を,海に突き出す形で作りたいと考えております。不足する分は混凝土を木枠に流し込み混凝土の塊を作り使いたいと考えております」

「つまり石の堤を作るわけか」

「はい。荒波に打ち勝ち,湊を守るにはそれが最も強固で荒波に負けないものと思います。もしも可能なら混凝土で台形の堤を作れればそれが最も良いかと考えております。そこはコレからの思案次第かと思います」

「分かった。いいだろう。石の堤を海に作ろう。もし,できる目処がつけば混凝土の堤を試してみても良い」

「承知いたしました」

「どうせやるなら,堺よりもデカイ湊を作って見せろ」

「当然でございます。幕府管領である晴景様の作る湊が堺に負ける訳にはいきません」

「任せる。存分に腕を振え」

幕府管領上杉晴景の指示で神戸津の再開発が始まろうとしていた。


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