第234話 景虎と信長(2)

深夜,月が雲間から顔を覗かせる頃,織田信行率いる軍勢と北畠家からの軍勢は,清洲城に近い於多井川を渡っていた。

中心となっているのは柴田勝家と林秀貞らの武将。

全軍が川を渡り終えそうなころに柴田勝家の放った物見が戻ってきた。

「どうであった」

「多くの兵が酔い潰れ眠っております。見張りの兵も極わずか。夜風を避けるため多くの陣幕を張っております」

「上杉も噂ほどでは無いようだ。戦場で酔い潰れて,陣幕を張り視界を塞ぐとは・・・」

柴田勝家はしばらく考え込んでいた。

「勝家殿どうするのだ」

「秀貞殿,知れたこと。一気に叩き潰して,この尾張国から追い出してやればいい。ついでにあの大うつけも追い出そうではないか」

「上杉の奴らは,商人達から酒を相当な量を買い込んでいた。この清洲だけでは足りなくて周辺からも商人達が集めていたから相当飲んでいるだろう」

「我らを舐め腐った態度だ。何もできんと思っているのだろう」

家来から軍勢が川を渡りきったことが告げられた。

「全員川を渡ったようだ」

「よし,ならば行くか」

軍勢は声を上げずに静かに進む。

やがて篝火に浮かび上がる上杉の陣営が見えてきた。

見張りらしい男が座り込んで木に背中を預けている姿が見える。

「見張りも座り込んで眠っているようだ」

風に乗って酒の強烈な匂いが流れてくる。

「奴らはどれほど酒を飲んだのだ。これほどの匂いが流れてくるとは・・・」

「勝家殿。この匂いを嗅ぐと儂も酒が欲しくなるな」

「秀貞殿。上杉を叩き潰して勝利の祝杯を挙げようじゃないか」

「そうだな」

軍勢はジリジリと近づいていく。

「行け!」

勝家の指示で軍勢が一斉に上杉の陣営に飛び込んでいく。

陣幕を破り中に飛び込むと誰もいない。

「誰もいないぞ」

足軽達の声に慌てる勝家。

木の根本で寝ている男を蹴り上げると藁人形に甲冑を着せたものであった。

「これは一体・・・」

その時,夜の戦場に鉄砲の射撃音が響き渡る。

上杉陣営奥の夜の闇の中から,次々に鉄砲が火を吹き攻撃してきているのが見えた。

「しまった。罠か・・・」

次から次へと止ることなく鉄砲が撃たれている。

次々に倒れる足軽達。

「馬鹿な,どれほどの数の鉄砲を使っているのだ」

正面に見える全てのところから鉄砲が火を噴いているのが見える。

「何をしている。槍襖を作り突っ込め。何をしている。バラバラではやられるだけだ。行かんか」

一部の者は鉄砲を知っているが,大半の足軽は鉄砲を知らない。闇夜の中で目に見えない攻撃に晒されて,多くの者は恐怖していた。

やがて数カ所で一際大きな爆発音がして人が吹き飛ぶ。

「な・なんだ一体・・」

軍勢の中心付近を目がけての大砲による砲撃が始まった。

上杉側も全ての敵の位置を把握している訳では無いため,鉄砲隊は面による制圧。大砲は敵中心と思われるところに打ち込み牽制するのが目的であった。

「いつまでも火薬が続く訳がない。すぐに止る。その時が狙い目だ」

勝家が叫ぶが,鉄砲と大砲による攻撃は止まない。

「これ以上は,無理だ。軍勢がバラバラに崩されている。このままでは個別に討たれて終わるぞ」

勝家は頬に何か冷たいものが流れている感触があり,顔を拭うとそれは自らの血であった。

鉄砲の玉が掠っていたようだ。

「勝家。お主顔から血が出ているぞ。ここは撤退だ」

戦場の緊張感で感覚が麻痺していたようだ。

林秀貞の指示で撤退が開始された。

だが,上杉側の鉄砲と大砲による攻撃は止むことなく続いている。

於多井川の近くまで撤退してきた織田信行の軍勢に,横から織田信房と森可成らの軍勢1700が襲いかかった。

「伏兵だ〜」

混乱の軍勢がさらなる混乱に巻き込まれ,於多井川の流れに足を取られ流される者,信長の伏兵に討ち取られる者が続出した。

森可成の奮戦により多くの敵兵が討ち取られていく。

織田信行は,軍勢の3割近くを失いどうにか於多井川を渡りきり,末盛城に撤退していった。

夜が明けると完勝と言って良いほどの戦いに驚いている織田信長がいた。

信長は景虎と共に馬で戦場の様子を見て回っていた。

「景虎殿。信じられん!これほどまでの完勝とは・・・」

信長の言葉に景虎は毅然として言葉を発する。

「信長殿。まだ,戦いは終わっていない。これより末盛城を包囲すべきです。敵の大将はまだ健在ですぞ。放っておけば再び牙を剥いてきますぞ」

景虎の言葉にハッと我に帰る信長。

「弟のことですか・・・」

一瞬だが躊躇うような表情を見せた。

「敵将はまだ健在。すぐに末盛城を包囲すべきだ」

よく信長は冷酷と思われているが,身内や家臣にはとても甘い一面があった。

よく裏切られるが,その報告をすぐには信用しなかった。

信用しようとしなかったと言った方が良いかも知れない。

信用しきっているが故,本当に裏切られていることが分かった時に,その反動で冷酷とも言える態度に出るのであった。

しばし目を瞑り,そして景虎の言葉に答えた。

「・・承知した」

信長は迷いを振り切るように末盛城包囲を承諾。

織田信長,上杉景虎の軍勢は,直ちに末盛城に向けて軍勢を進めることとなった。

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